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achaの言いたい放題
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今年の2月に公開してから10ヶ月で、この言いたい放題もおかげさまで100回になりました。
普段感じたこと、見たことの私の感想を書いているのですが、たまに独り相撲かなぁ。と思うときもあるし、こんな考えの人は私だけかなぁ。とかいろいろ考えながら書いていますが、ここに書くことで私の気持ちの整理が出来たり、違った見方が出来たりもしています。
人間だれでも評論家になれると言いますが、好き放題言えることはいいことだとも思っています。自分のサイトに自分の考えを書いていけることは、自分の考えがどのように変わっていくかと言うこともわかって、自分でもおもしろいです。
書きたいことが、どんどんとあふれて来るときと、何を見ても何も感じないときもあります。書き続けることは大変ですよね。だったら、もっと簡潔に小さいことを書けばいいと思いながらも、なんだか長くなってしまうのですね。そして、いいや、自己満足。なんて、自分で納得してしまうのです。
自分自身でも、もっと、過激なことを書くかと思っていましたが、どうも控えめですね。もっとダイレクトに書けばいいと思いながらも、どこかでいい子になっていますね。どのくらいたったら皮がむけるのか自分でも楽しみです。
こんな私の文章にコメント、反応をいただくと本当に嬉しいです。同感、反感、何言っているのこの人。などいろいろと感想は有ると思いますが、どんな事でも反応いただくと本当に嬉しいです。
会社を辞めた事で、もっとパソコンに向かう時間が増えるかと思っていましたが、それはそれでいろいろと有りまして、なかなか進みません。そして、毎日会社に行くことで、電車や歩いているとき、そして会社にいるときと、ずいぶん多くの人と接していたのですね。気付きませんでした。辞めたら1日に顔を見る人の数の少ないこと、少ないこと。世間だけは狭くしたくないとは思っているのですが、とにかく外に出ないとダメですね。そして、なぜか、スーパーでの人間ウォッチング時間が多くなっているこのごろです。(^_^;)
これからも、地道に書き続けますので、よろしくお願いします。
一週間の断食に行ってきました。断食というと宗教がらみで、飢えと苦しみの世界。と思われている方が多いと思いますが、私が行ったところは、あくまでも療養。「湯治、食事療養、東洋治療」と言う看板です。
6月にも2泊3日で行ってきて、次回は絶対に一週間でやりたい。一週間でいろいろと経験したい。と思って行ったのです。
近いうちに、ちゃんとページを作りますので、簡単に書きます。
一週間、6泊7日ですが、絶食日は3日間。人間は食べなくてもいいんだなぁ。と実感します。その間は、水分は取って良く、朝は酵素ジュース、夜は澄まし汁です。あとは、生姜湯のパック一袋を三回に分けて飲み、糖分を補給します。
人によっては断食反応が強くて、苦しむ人もいますが、終わってしまえば、喉元過ぎるなんとかです。断食反応は、頭痛や吐き気などが襲ってきます。すぐに終わる人と、3日間苦しむ人、あげくの果てに発熱。なんて人もいます。私は今回は3日目の朝が気持ち悪かったのですが、4日目の朝は、食べていないのにすごい爽快感です。身体も心も軽い、気分は晴天。って感じでした。
そして、4日目から回復食が始まります。重湯です。ご飯粒一つない重湯と、具のないみそ汁です。3日掛けて、普通食にしていくのです。断食は食べないことはいくらでも出来るらしいですが、この回復食が重要で効果が変わってくるらしいです。
断食は痩せるというだけでなく、普段の生活で豊富に身体に流し込んでいる栄養素を断絶することで、身体にショック状態を起こし、今まで働いていなかった所を働かせたり、身体全部を空にすることで、いろいろな効果が出るそうです。頭痛もブドウ糖が脳に運ばれなくなるので、起きるのでしょう。
私は回復食を食べ出した翌日は、晴天気分からどんより曇りになりました。立ちくらみもすごくて、頭を上下するだけで、クラクラ来ました。胃腸が悪い人は食べ出してから第二の断食反応が出ることが多いそうです。回復食はもっとゆっくりした方がいい人もいるそうです。
食事は、自然食で添加物などは使わず、味付けもそんなに濃くないのに、舌が、身体が少しの味にも反応するのです。具なしのみそ汁は出汁が利いているので、本当に身体に染み渡るおいしさでした。こんな素朴な物が美味しいと感じるなんて本当に不思議です。
食事が始まると、素材の味がよくわかり、食べることの愛おしさ、尊さを本当に実感します。食に対する考え方が変わります。あっさり味付けの、油も砂糖もほとんど使っていないこの料理が本当に美味しいのです。だいこん、ジャガイモの味を堪能します。
滞在中は1時間の東洋治療があり、他には朝の体操、夕方に行われるリラクゼーションはヨガ、楽健法、繰体法など、身体の凝りやゆがみを取る方法などの時間が有ります。そして、最後には食事療養のお話も有ります。これ以外は自由時間です。
この東洋治療がすこぶる気持ちいいのです。温泉ですから好きな時間に何度でも入れるし、屋上の露天風呂からは大島がよく見えます。同じ目的で来ているせいか、同宿の人たちとは気軽に話すこともでき、知り合った人たちと誘い合って、伊豆高原のハイキングコースを歩いたり、周辺の体験教室を巡ったりと、一週間時間を持て余すことなく過ごせます。
私も食べる事が大好きで、他人以上に量も食べるし、食べ歩きも大好きでした。今も食べることは好きですが、食の事をいろいろと考え出してからは、本物の味がいかに大切か。いかに美味しいか。誤魔化した味が大きな顔をして世間にはびこっているかがよくわかります。
食べることが好きだった私が出来るのですから、だれでも出来るような気がするし、一生に一度でいいから、体験してみる価値は有ると思います。私としては、年に一度、身体のリセットをするために行けたらいいな。と思っています。気持ちも身体も爽快なんですよね。不思議です。天気はこんなにどんよりとしているのに。
今回も確実に胃は小さくなったようです。折角体重も減ったので、腹八分目を目標にしよう。しかし、年末は飲み食いの機会が多いんですよね。(^_^;)
6月の2泊3日の断食体験記はここです。よろしかったらご覧下さい。
http://www.onsenfan.com/~acha506/myboom/kennkou/danjiki.htm
スタバが赤字になった。何時行っても満席なのに赤字なのか。こんなにいい場所にこれだけの店を出して採算が合うのだろうか。と思っていた私の疑問がこれで解決されました。
お客さんの回転もよくなさそう。私もあそこに行くと、どうものんびり座っていて、いいような気分になって、座れたらラッキーで、コーヒーなんてとっくの昔になくなっていても、いつまでも話をしたり、本を読んだりするのですね。
それが出来るんですね。そんな雰囲気なんですね。トランプをやっているアベックを見たことも有ります。他の店だったら、あんまり長くいると、追加オーダーをしたほうがいいね。なんて同席の人と暗黙の了解が有って、自主的になんか追加オーダーするのだけど、それは私だけだろうか。
スタバに初めて出会ったのは、銀座の一号店で平成9年の夏だったか。私は全然知らなかったが、たまたまアメリカ帰りの友達と歩いていたら。「スタバだ、日本にも出来たんだぁ」と言うので、入ってみたのです。当然、私はあの穴から飲むコーヒーは初体験で飲み方を教えてもらいました。なんか気恥ずかしかったことを覚えています。あのカップに慣れるまでは何回かかかりました。
次に名前を見たのは、横浜のみなとみらいのクィーンズが出来たときに入っていましたね。それから、2、3年のうちに色々なところで目にするようになり、禁煙の喫茶店ってなかったから、うけたんでしようね。タバコの煙が嫌いな人がこんなにもいたのかと思いましたね。そして、ここ1、2年はすごいですね。上場してからはなおさらですね。年間100店舗の出店だったそうです。それも好立地の場所に。それでも、どこの店もいつでも満席。
我が家から歩いていけるところにも出来たんですよ。ここも朝早い時間に行かないと一杯。平日でもほぼ満席ですよ。でも、これだけいい場所に出店していたら、どれだけの資金がいるのだろう。と思っていたら、出店コストが経営に大きく影響。21億の黒字予定が、マイナスが約2億と新聞に載っていた。やっぱりすごい。一店舗の出店資金が約7千万だというのもすごい。それも同じ商圏に何店舗も。
横浜の西口近辺で私が知っているだけでも、5店舗がここ1、2年で出来た。でも、どこもいつも満席。これだけ満席が続き、席待ちのお客さんが列をなしていれば、出店も増やしたい考えはわかるけど、出店コストと人件費は大変な物だと思う。これでもやっていけると判断したのでしょうが、やっぱりの赤字転落でしたね。
それでも、客離れが始まっていたというので、びっくり。まだ横浜は絶頂期なんだろうか。客離れをくい止めるために、パンなどを発売していたというが、そういう問題じゃないことをやっぱり知らなかったのだろうか。確かに、禁煙だし、長居が出来るからいいけど、私にとっては何度も飲みたいコーヒーの味じゃないのですね。どこかに座りたい、どこかに話をする場所がないか。あっ、スタバが有るね。と行くのだけど、いつも何を飲んでいいのかわからず、悩む。いろいろ飲んでみても、結局ラテになってしまう。私と同じように注文を悩む人は多いようですね。注文をスラスラと出来る人を尊敬してしまう。
パンと言えば、横浜の西口には9月に、アンデルセンと合体した店が出来ました。アンデルセンのパンとスタバのコーヒーが店でチョイスできるんですね。話の種に入ろうと思ったら、階段下までの長蛇の列。それだけみて止めてしまいました。
喫茶店の役割って何だろうか。あの店のあのコーヒーが飲みたい。あのマスターの顔が見たい。ということにも価値が有ると思う。しかし、ただ美味しいだけでは昨今は生き残れない。どうしてだろうか。
やっぱり旨いコーヒーを飲みたい。美味しいだけでは生き残れないのは、値段のせいなのだろうか。でも、スタバのコーヒーはけっして安くない。値下げもしないと言う。安くないから長居の人が多いんだろうか。世の中上手く行かないものである。
いつも「短気は損気」と窘められる。確かに私は気が短いと思う。勘違い、思い違い、思いこみが強い。ツーと言えばカー。しかし、たまには判断に困りいつまでもぐずぐずと考えているときもあるし、ずいぶん後になってから、ああそうか、そうだったのか。と妙に納得するときも有るのです。
去年の今頃は、秋味のビールを買うつもりで行ったのに、外見がよく似た発泡酒を買ってきてしまった。確かに値段は安かったけど、その外観が秋味にそっくりだったので、思いこんで買ってきた。飲むまでわからなかった。言われて初めて気付くのである。
こんな事を間違えるのは私だけなのか、それとも、そういうお客さんをねらっているのか。どこからも何の苦情も出ていないようだし、類似商品としてピックアップされている訳じゃなさそうだし。やっぱり、私だけか。(^_^;)
あと1分しかない。急げーと人混みをかき分けて、ゼイゼイ息を切らして階段を昇り、ホームに着くと電車はいない。あらーと思うと、ここは下りのホーム。向こうの上りホームには扉が閉まったところの電車。あーあ。遅刻だ。
上下線が同じホームの場合も、飛び乗ると反対方向に進んでいく。あーあ。だから、焦って乗らなきゃ良かったのに。と自己嫌悪。今日は余裕だったのに、これでまたギリギリだ。
待ちに待って発売日に本屋に行き、有った有ったと目当ての漫画を買ってきた。最近は発売日に買わないと手に入らないことが有るので、この日は逃せないのである。そして、翌日開いてみると、読んだ覚えのある内容。なんと前の号だった。何で、何で。昨日は発売日よね。どうして発売日に前のが並んでいるのよ。確認しないで買った私が間抜けなんでしようか。でも、他に買ってきた同じ発売日の漫画はちゃんと新しい号。
ここ蔦谷は開店時間が遅いので、あんまり早い時間に行くと本日発売の本が並んでいないことが有るので、それも承知で午後から行ったのよ。そして、もう一冊の方は新しいのに、どうしてこっちは前のなのよ。
買ったばかりだったら、その雑誌を持っていき、取り替えようと思ったかも知れない。レシートも有るのだし。しかし、昨日買ったものだし、小心者で間抜けな私はどうしても自分が確認しなかったことに、心が引っかかり、店に取り替えに行くことは出来なかった。
以前にも、同じ事をしたことが有ったのだが、その時は町はずれの小さな店だったので、前の号が売れ残っていたようだ。それからしばらくは買う前には必ず確認をしていたのだが、特に、最近は一日2日遅れるとなかなか手に入らない状況になって来たし、店が店だったので、疑いもなく、まさかそんなことが有るはずはないと思いこんで買ったのでした。
そして、仕方なくもう一度買いに行ったのです。すると、やっぱりまだ有るじゃない。と思って号数を見ると今週号。表紙の色も雰囲気もよく似ていて、一見しただけでは違いはわからなかった。
もしかしたら、店員も新しいのを並べたつもりでいたのかも知れない。すると、他にも買ってしまった人が他にもいるんだろうなぁ。レジに並びながら「きのう並んでいた先週号をかってしまったんですけど。」と喉まで出かかりながら、言葉を飲んでしまった、間抜けな私。350円返してくれー。と言ってもよかったのだろうか。やっぱりも買う前にちゃんとページをめくらなければ。(^_^;)
顧客管理の本を読んでいると、真実の瞬間と言う言葉が有ります。 同じように、人生には出会いの瞬間があると思います。今この時に出会ったから、お互いに何かを感じる。同じ方向を見ている、いい影響が受けられそうだ、同じ周波を感じるとでも言うのでしょうか。そんな人との出会いの瞬間があります。
でも、それはその時だから感じることで、時期がずれていたら出会いの瞬間ではないのですね。その出会いの時は、何らかの信号をキャッチするのではないだろうかと思うのです。
プロフィルに中学の時に出会った二人の先生からの影響が強かった。と書きましたが、それ以降の私の人生で他にも沢山のいい影響を受けています。いま出会ったから自分にとって良かった。これが一年前でも一年あとでも違うかも知れない。何かに呼び込まれる様に、巡り合わせがあるのですね。出会いの瞬間というのは、お互いに感じるようです。
人生の中で、影響を受ける人に何人出会うのだろうか。嫌な人のも出会うけど、それはそれで人生の勉強。会社のセミナーの講師だった人との出会いも、私の人生の考え方を変えるものでした。聞く話はおもしろく、自分の今までの人生と重ね合わさる。目から鱗ものだった。「〜ねばならない。」ではなく、「〜であってもいい。」と教えられ、この言葉で私はその時、救われたような気持ちでした。
何事も、ねばにらないと思って行動して、いつも肩に力が入り、肩肘張って仕事をしていました。
人に仕事を教える辛さや、自分のやっている仕事の事でいろいろと考えが行き詰まっていた時でした。どうやったら人間関係が上手くいくのか。自分が関わっている人と、どうやったら自然体でいけるのかと悩んでいました。自分では普通にしているつもりでも、なにやら嫌みを言われたり、波長が合わない人がいたのですね。それをどうしたものか、自分があの人に好かれて、上手くいくためにはどうしたらいいのか。人に好かれようと思ったら好きになりなさい。なんて宗教めいたことを教えられもしました。しかし、この人間関係というのはどうにもならないのですね。
それが、その講師の口から出た言葉は、万人の人間から好かれる人間はいない。そんな人間は神様だ。好かれようと思うのではなく、好かれてもいいと思う。好かれてやってもいい。と言うぐらいの気持ちで人と接してもいいのではないかという。これまた目から鱗。こんな考えをした人とは、今まで出会ったことがありませんでした。私が人間関係に悩んでいなければ、通り過ぎて行ってしまう言葉だったかも知れない。でも、私の心にはしっかりと残ったのです。
その後の私の仕事人生は随分と変わったように思う。少し、ほんの少し今までと違った見方をする。ほんの少し角度を変えてみれば、人生が変わることもあるんだ。と確信したのです。
人間生きている間にいろいろな人に出会う。そして影響を受け、また一歩人間的にも成長できる。出会いの瞬間でこの人と会えて良かった。これからも沢山のいろんな人と出会うことだろう。そして、その出会いをつまでも大切にしたい。
体調がよくないと、気落ちする。すると本当にいい気はどこかへ行ってしまうと言うか、悪い気ばかりが身体につくそうです。確かに体調がよくないと気が落ち込んで、呼吸も小さくなって、背筋も縮こまって、どんどんと悪循環。
そこで、背筋を伸ばして、腰も伸ばして、丹田(おへその指3本下のお腹の奥の方)を意識して、深呼吸。これだけでも、身体の気が入れ替わると言う。気分も変わってくると言うが、これが気落ちしているときには気付かないのですね。普段から深呼吸。深く大きな呼吸ですね。それをお腹のそこから吐いて吸ってと、気付いたときにやってみるといいそうです。
私は今月に入ってから、どうもお腹の雰囲気がいつもと違う。気になるのですね。なんだろう。どうしたんだろう。と思っているときは、後ろ向きにしか考えられないのですよね。何もかもが後ろ向き。
その時には、大きく深呼吸とか、身体を伸ばそうなんて忘れてしまうのですね。ただ、どうしたんだろう、何故なんだろうと、考えてしまう。そして、他の事に身が入らない。
身体のどこかが痛いのは、何かの信号。しかし、今回の私の信号はどこから出ているのだろうか。と考えていたら、ふと、胃腸の動きにいいのは、腕の上げ下ろしだということを思い出したので、丹田を意識し上半身の力は抜いて、上げ下げをしてみました。何となく、落ち着いたような気がした。やっぱり、人間なんでも「気」なんですよね。病は気からというし。
気のせい。いい気分。そんな気がする。気が向かない。気がつく。気を入れる。気が知れない。気まずい。気が抜けた。気が滅入る。気がいい。気が短い。気が散る。気をもむ。と思い浮かぶが、この気と気功の気は同じなんだろうか。
自分の周りには沢山の気があるそうです。空気も気ですかね。両腕を開いて両手で足元から気をすくって頭のてっぺんから取り込むといいらしい。それには地面、ようするに土です。そこから気を受け取るといいと言うが、私の住む所には土が露出している場所がない。地面を探したら、神社の境内や公園だった。
やっぱり、こんなコンクリートのゲージに入っていると、宇宙からのいいエネルギーはもらえないんだなぁ。とつくづく思う。地面からの気は遠いので、せめてベランダに出て天からの気を取り入れようと、ベランダに出のでした。
土曜は、中学の同窓会でした。楽しい時間でした。15才に戻って、話が出きるのですね。世間のしがらみや、嫌な人間関係、など、浮き世の憂さをすべて忘れられる、時間です。
何年逢っていなくても、その空白の時間はすぐに埋めることが出来るのです。不思議ですね。
7クラス有って、私のクラスは7組。一番端っこのクラスで、中学になると、男女別の授業が有って、普通は隣のクラスと合同で、人数はひとクラス分になるのに、何故か我がクラスは、7組だけなんです。
体育なんて18人でやるんですよ。バスケットは3チーム出来るから休む時間が有るけど、バレーボールなんて大変です。だから、他のクラスより団結が強かったように思います。
で、担任の人柄もよかったのか、卒業してからも必ず先生の都合を一番に聞いてからクラス会を開いていました。何回か開いていくうちに、開いていないクラスの人がうらやましがって、行きたいというので、ゲストの参加が増えてきたのです。
それで、こんな事なら全体のを開いてみようと。我が7組が母体になって、合同同窓会、二期生会を作ったのです。二期生とは、中学の卒業が二期なんですね。新しい学校で、創立が分校だったのですよ。施設もちゃんと揃っていなかったので、先生方の苦労も大変だったようです。
体育館がなくて、入学式は屋上。生徒集会は砂埃が吹く校庭。卒業式は校庭の予定が、霙だったので教室。校長が卒業証書を持って、各教室を廻ったのです。渡り廊下を歩いてくる校長のモーニングの裾が風に吹かれていたことを何故か覚えています。こんな卒業式はやりたくても出きるものだではない。
それで、先生方も長い教員生活の中でも、我々の印象は強いようで、私たちの事をよく覚えてくれています。いつも多くの先生方にご出席いただいているのです。幸せなことです。
それで、何回目かは忘れてしまいましたが、昨日、横須賀プリンスで開催したのですね。2年に1度の開催なんです。そんなに何度もと思うのですが、その度に話は尽きないのです。
40代半ばというのは、いろいろな意味で忙しいし、働き盛りでもあます。でも、女性の中には子育てから手の放れた人も出てきて、初めての参加。と言うことも出てきました。嬉しいことです。
今年は行けなくても、再来年がある。一度会えなくても、4年間。もし4年に一度だと8年間会えなくなってしまうのですからね。開催する方は大変かといえば、やり方も慣れているし、2年に1度だと住所捜索もそんなにしなくても大丈夫で思ったより、いいんですね。住所の捜索が一番大変なんですね。
それに、幹事達がみんなに会えることを楽しみで準備しているので、苦労とは思っていないのです。みんなの楽しい顔が見られれればそれで満足なんですね。その幹事も、16人もいるのです。幹事会事態が同窓会みたいなものですね。
今回はいつもよりバタバタしましたね。歳を重ねてくるとわがまま度が増してくるのでしょうか。いろいろと振り回されてしまった会ですが、でもやっぱり、みんなに逢えて良かったなぁ。みんなが楽しんでくれてよかったなぁ。と思う私です。
そして、母体である7組の参加人数は、今回は他のクラスの倍でした。ひとクラスひとテーブルを目標と毎回しているのですが、今回はテーブル2つでした。本当に嬉しいです。珍しい人、初めて参加する人もいたのですが、たぶん、担任に会いたい。という気持ちが大きかったと思います。
私も担任だった先生の顔を見ることが、楽しみなのです。どんなことが有っても、いつも一番に会場にやってくるのです。それが、今回は受付が始まっても、姿が見えません。どうしたのかな。と思っていたら、他の先生から入院されてしまったことを聞きました。私は全身の力が抜けました。どうして、3週間前に電話で話をしたときは、元気そうだったのに。何があったの。不整脈が有るといっていたので、それでなの。命に別状はないの。まだ死ぬには早い歳よ。なんて思いました。
7組のメンバーも一同に心配顔です。だれしもが、どんな状態なのかを知りたかった。今は面会謝絶も取れて意識もしっかりしてきてリハビリが始まるようです。ああよかった。他のクラスの倍も集まったことを伝えたら、病気の回復も早いかなぁ。今回はみんなで撮った写真が有るから、それも送ってみよう。と、時間が過ぎていくと、私の気持ちも落ち着いてきました。
2次会の2時間もアッと言う間。20階の会場から景色を見る余裕もなく、話をして廻る。みんなの楽しそうな顔を見ていると、本当にこの会をやってよかったなぁ。次回もひとりでも多くの人が来てくれたらいいなぁ。と。
そして、私は初めて多くの人に自分がホームページを作っていることを伝えました。名刺を印刷して配ってきました。今までは、どうも気恥ずかしくて、ほとんど極々親しい人にしか教えていなかったのですね。やっぱり、夢を追うために会社も辞めたのだから、どんどんと宣伝をしなければと思ったのでした。
そして、11時過ぎに、また2年後に逢おうね。と別れたのでした。いつもより寒い夜。みんなは3次会にいったのだろうか。私は終電に乗って帰宅。一次会場では、食べたのに、さすがにこの時間になったらお腹が減った。
発芽玄米を作ってみました。これが可愛いのです。作り方は簡単です。でも、根気がいるのかな。いや、ずぼらな私でも出来るからいいと思う。
ファンケルの発芽玄米が出てきてから、随分たつし、テレビでも雑誌でもギャバギャバ。ギャバがいい。って。でも、ファンケル高いですよね。二度買ってみました。そのうちの一度は、あの入れ物が欲しくてサイトから オーダーしました。そしたら、サイトで発芽玄米の作り方を見つけたのです。そりゃ、何にでも興味津々の私ですから、当然のように挑戦しましたよ。
実は、6月にやすらぎの里へ断食に行ってから、便秘のためにご飯は玄米ご飯にしようと、玄米も買い、圧力鍋も買ったのですが、どうも手が進まない。2キロ買った玄米は一度炊いたきり、冷蔵庫の中で眠っていました。で、発芽玄米のことを知り、これ幸い、作ってみよう。と。
そして、毎日食べているご飯は、玄米じゃなくて、胚芽米にしました。抵抗無く食べられます。そして、先週からは7分づきのお米に変えましたが、これが炊いているときの匂いが香ばしくて嬉しくなっています。炊き方は普通のお米と同じです。食べても美味しいよ。
発芽玄米の作り方は、玄米を、バットかトレーなどの平たい入れ物に薄く敷いて、玄米がすっぽり埋まるくらいの水を入れます。そして、3〜5時間で水を換えます。夏場で2日半くらい、今ならば3日半くらいで、可愛い角が出てきます。この姿が愛おしいと感じる私は変な奴。
それをそのまま使ってもよし、白米に混ぜて使うのならば、新聞の上に広げて乾燥させて、小出しで使います。私は密閉容器に入れて冷蔵庫で保管しています。乾燥させてから炊いた方が、プリプリ感が出るような気がします。
混ぜる分量は好みですよね。2合のご飯で、私は半カップを発芽玄米まします、時に、1合の場合もあります。自分の好みにするのがいいですね。
食べると、発芽玄米だけが色が違うのですぐにわかりますが、プチプチして香ばしくて美味しいです。自分で作ったから余計に美味しく感じるのでしょうか。そのうちに、全発芽米で食べることになるかな。
注意点は、水の取り替え。どうしてこんな短い時間に取り替えるのだろうかと思っていたら、発芽するあたりになると、匂いがしてくるのですね。発酵したような臭いです。そのまま放っておくと、出来ても臭うし、炊いても臭うのです。頻繁に水を取り替えると、大丈夫です。夏は3時間ごとに取り替えて、今回は、4時間ごとにしてみました。夜は寝る前に、そして起きてからすぐ取り替えます。
夏場はそのままの温度でも大丈夫ですが、30度から37度くらいが発芽の適温のようです。35度のぬるま湯を入れて下さいと書いてありましたが、発芽に時間が掛かるだけで、絶対にその温度にしてやる。と言うことは無いです。
私もまだそんなに何度も作っていないので、これからもいろいろ試したいと思っていますが、稲にするときに、玄米をお湯で洗うことを知りました。殺菌や発芽を促進させる効果かもあるのだとか。今回は手が入れられるほどのお湯で洗ってから、やってみました。でも、ここ数日の気温の低さなので、どう違うのかは、わかりません。
とにかく、何でも自分の手に掛けると、愛しいし、美味しい。玄米はスーパーではなかなか売っていませんよね。私は「らでっしゅぼーや」を取っているので、前回はそこから買いましたが、昨日行った百貨店の地下。要するにデパ地下になるのでしょうか、そこではいろいろな種類の玄米を量り売りしていました。2キロ買わないと精米はしてくれないようでしたが、私はコシヒカリの減農薬を新米で1キロ買ってきました。今は、増量サービス中で200グラムもおまけされていました。ラッキー。
なんて、大げさの事では無いですが、私は自信でいろいろと実験しています。準備が出来たらどこかでちゃんとページを作りますね。
夏からお腹の実験をしています。私は便秘です。その事はあちらこちらに書いていますが、どうやったら快便になるか長い間いろいろやっているんです。でも、なかなか解決策は見付からないのです。
お腹にはアロエ、ヨーグルト、ビフィズス菌、食物繊維を実験しました。そして、ついに我が家にもカスピ海ヨーグルトがやって来ました。これから実験に入りますが、結果が楽しみでもあるけど、これでいい結果が出なかった場合は・・・考えると落ち込みます。
お肌は、何もつけないとどうなるのか。この時期になると、テレビでは美容液だ、モイスチャーだと、高い化粧品を宣伝していますね。そりゃ、高ければ効果はありますよね。高いに何の変化も無ければ、ユーザは怒りますよね。
会社に行かなくなってから、ほとんど化粧らしい物はしなくなりました。ファンデーションについては一度もつけてない。 一昨日から、乾燥注意報が出ています。さて、私の顔はどうなるのでしょう。
最近アトムの事が目に付くと思っていたら、来年の4月7日は手塚治虫先生が作ったアトムの誕生日だという。そういえば、小さい頃にそんな事を読んだような記憶がある。夢中になってアトムを見ていた頃が懐かしい。あの歩くときの、シュッポ、シュッポって音が好きだった。しかし、私にとって2003年なんて先の先のことだったので想像がつかなかったのだろう。
それが来年なんだ。なんか不思議だ。アトムの誕生日かぁ。未来の国からやって来た。って、そうか2003年って未来の国だったんだよなぁ。それが来年かぁ。
未来の国って、車が空を飛んだり、宇宙に自由に出入りが出来たり、宇宙に住んだり。そんなことを考えていたっけなぁ。夢があったなぁ。何でもかんでも出来てしまうのが未来だったように思う。それが21世紀だったように思う。
でも、今、これが昔に考えた未来の時間なんですよね。あふれるゴミ、深刻な産業廃棄物、二酸化炭素によるオゾン層の破壊、人間のモラルの低下、人間性の変化、不健康、etc。誰がこんな世界を想像していたのだろうか。誰が、人間が自分の手で自分の首を絞めることになると考えていただろうか。
ゴミに関しては、手塚先生もどこかで書かれていたように記憶しているが、どんな物語だったかは覚えていない。しかし、いま、鉄腕アトムを読み返せば、今でも通用する話が一杯出てきてびっくりすることだと思う。
宝塚の手塚治虫記念館に行ってからどのくらいがだっただろうか。7、8年ほどが過ぎている。アトムに久しぶりに出会った時の感動は忘れない。思わずキャラクターグッズを買い込んでしまった。今でも、アトムノートは私のパソコンノウハウの雑記帳となって私の手許にある。
その記念館も入場者が減っているという。来年そうそうには改装のために閉館して3月には新装の記念館になるというが、私があそこのアトムに出会えるのはいつだろう。
記念館と言えば、川崎に出来る手塚ワールドの話は、どうしたんだろう。出来たんだろうか。調べてみよう。と、思っていたら、今朝の新聞に「手塚ワールド 断念」となっていた。資金不足だという。規模を小さくして何かはやるようだが。
このワールドの構想が出来たのは5年ぐらい前だったから、あのころはまだテーマパークで人が呼べると考えていたんだろう。しかし、ここ数年のテーマパークの破綻、閉園。考えてみれば、出来たての数年は人が来るだろうが、それを持続させていくと言うことは莫大な資金が必要だろう。
リピーターがどれだけ来るかが、テーマパークの使命。それは難しいこと。私が行ったテーマパークでまた行きたいと思ったり、行ったのはディズニーランドだけ。あそこほどいろいろと変えているところは無いと思う。アトラクションを変えたり、新設したり、季節ごとのパレード、テーマ。そして、ゴミ一つない園内と、色あせや埃がないアトラクション施設。子供でも大人でも、その夢を壊さない運営にはいつも感心してしまう。これだけを維持して行くには、莫大なる資金が必要だけど、それだけかければゲストも沢山来る。いい循環になっているんですね。
この前行ったハウステンボスのアトラクションでは、ずいぶん前に行った人が、奨めてくれたアトラクションを見たが、聞いたことと同じ事をしていた。同じ話をもうずーっとやっているのか。次回来たときも、この話なのかなぁ。それを思うと行く気が無くなる。
と言うわけで、建設の断念は寂しいことだが、出来ても人が行かなくて、経営に困るくらいならば、規模を小さくして、細く長くアトムの夢を私たちに与えて欲しい。いい選択だったと思う。