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achaの言いたい放題
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初場所が近づいて来た。昔は相撲は好きでよく見ていました。でも、最近はみなくなってしまった。そしたら、みんなもみていないようで、満員御礼の札も出なくなったとか。
若貴が大関になるくらいまでがおもしろかったでしょうか。いや、結婚するまでかなぁ。いや、横綱になってもおもしろかったかな。貴乃花が何かにつかれたような顔つきになって、兄弟げんかが発覚して、女将さんも離婚して。なんか、相撲界の厳粛な空気が変わってきたからだろうか。そういえば、高田みずえの事なんて、覚えている人も少ないかも知れない。女将さんになってどうしているいるのだろう。たしか、若島津と結婚したはず。
とにかく、その厳粛と言うかなんとなく相撲界の空気が変わってきてから、どうしてそんなに怪我をするのかな。状態になったのだと思う。昔から、怪我でよく休む力士はいました。でも、ここまで休む力士は多くなかったでしょう。秋場所なんてなんなのこれ。って感じでしたね。このままではまずいよね。相撲界。
外人力士も増えてきて、日本人かと思っていたら、モンゴル人だという。どんどんと外国人力士が増えてくるのよね。そして、頑張っている。
怪我をして長く休場しても引退しないのは、本人の意思なのか、それても引退をさせてもらえないのか。今、貴乃花が引退したら日本人の横綱がいなくなってしまう。日本の国技である相撲が外人に乗っ取られてしまう。と、相撲協会は思っているのだろうか。どうも日本人力士には覇気がないように感じる。
土俵には金が落ちている。といわれているらしい。外人力士は少しでも多くのお金を拾って祖国に送金したい。親にお金を送りたい。親孝行をしたい。と頑張っているのだろう。
そして、怪我が多いのはなぜなんだろう。昔より筋トレにも励んでいるというのに。基本的なところが出来てないのかも知れないですね。食生活にも原因が有るのではと私は思っています。あとは、ハングリー精神かな。日本人はだれでも金持ちになってしまったんだろうか。
オリンピックでもメダルが取れなくなりましたね。そう思っていたら、五輪メダル倍増へ「日本復活プロジェクト」なるものが出来て来年度の予算に27億のお金が投入されると新聞に載っていた。
あほかいな。と思ってしまった。今の企業は苦しくて企業スポーツは衰退している。だから、国が企業スポーツにも援助するというのだ。
私はバレーボールファンですが、伝統のあるチームが会社の斜陽により解散していったり、どこかの企業に買い取られたりして、随分と参加チームの会社名が変わりました。確かに今までも強いチームは会社も強かったのです。お金が有るチームが強かったのでしょう。
しかし、お金の問題も有るかも知れないけど、精神ですよね。小学校では差別になると言うので、運動会でも順位をつけないと言う。高校でさえ、考査をしないというところも有るのだという。試験がないからその学校に行きたいという。勝ち負けや競争をさせると言うことをさけているようです。どうしてでしょうね。競争心を養う教育をしていないのに、勝てるはずが無いと思う。そして運動なんてかったるい。と思っている学生がどれほどいるんでしよう。
確かにビケは嫌かも知れない。でも、それをはねのける精神も必要でしよう。成績順が悪くても、勉強じゃないその子しか出来ないことが有ると思う。平等に順位をつけないのではなく、ビケの子がいじめられるのではなく、いいところを引っぱり出してやる教育は出来ない物なのでしょうか。
と、おすもうさんの話から飛んでしまいましたが、順位もつけない、勝負も危ないからさせない。そんな環境ののちに、勝負の世界で戦えるはずはないと思う。覇気のある人なんていなくなってしまうのだろう。ぬるま湯につかっている今の日本の状態ではいくらお金だけをつぎ込んでもメダルは取れないと思う。根本的な改造が必要なのですね。いや、昔に戻ればいいのかもしれない。
消費税のあり方が変わるようです。なんかバカ臭いのでよくは読んでいません。だって、取れるところから取りましょうって感じですよね。健康保険にしても、年金にしても、失業保険にしても。確実に取れるところを値あげているとしか思えないのです。そして、配偶者控除がなくなるという。サラリーマンばかりをいじめているというか、給与だったら取り損ないがない、という措置のように思う。
消費税についても、緩和措置が減るようですが、それでも消費税太りをしている所は有ると思うんです。一番最初に消費税をなぜ導入したかを思い出して欲しい物です。
顧客が預けた消費税を企業が、店がちゃんと納税して欲しいんです。ちゃんと納税していれば、こんなにも弱い物いじめの措置が出来ないと思う。
消費税サービスです。って、表現をしている店が有りますが、サービスって事は無いと思うのです。消費者は店に消費税を預けるのですから。だから、店は消費税をもらうのではなく、預かるんです。預かって、自分の所の支払消費税と預かり消費税の差額を納税するはずなんです。サービスって事はどう言うことなの。消費者に成り代わって納税してくれるのだろうか。もし、もともとが納税をしない措置の店だったら、その言葉はおかしいし。もし、税込みの値段だったらなおさらおかしい。
預かり消費税としてどのくらいの金額が帳簿に載るのだろうか。倒産したり、夜逃げをした店が預かっていた消費税はどこへ行ってしまうのだろうか。
私が預けた消費税はちゃんとに納税されているのだろうか。と最近つくづく思うのです。簡単に取れるところから取るのではなく、払うべき物を払ってもらう事も考えて欲しいなぁ。
年末だし、混まないうちに銀行の用事を済まそう。24日に思って行ったけど、ATMは長蛇の列。まぁ何台も有るからと並んで数分。私の番がやって来た。
入金キーを押して、通帳をいれる。処理中ですしばらくお待ち下さい。すると画面が変わって、今まで見たことのないコメントが出てきた。「係員がきます。そのままお待ち下さい。」というので、そのまま待っていた。
別になんのエラーが起きたわけでもなく、通帳が引っかかったりしたわけではない。出てくる前にそうなったのである。正直な私はそのまま待っていた。ただ立っている私の背中には視線を感じる。あの人何やっているんだろう。と。やっぱりこのまま待っていても何も起こりそうにないので、ウロウロとしていた、初老のフロアー係のおじさんに「これは、いつまで待てばいいんですか。」と問う。
すると「99を押して下さい。」とムッとしたような声でいうのである。あんた何やってんの。ってみたいな感じで。すると通帳が出てきた。どこにこんな場合は99を押して下さいって書いて有るんですか。と言っても、何も答えず、「カウンターに行ってください。」と言う。私は何が起きたのかわからずにカウンターの前に行く。さっきのおじさんはカウンターの中の人に何かを言っている。
そして、中の人は何事も無かったように、すぐに私の繰り越した通帳を渡したのである。そこで初めて私の通帳は繰り越しだったのか。とわかる。そして、ATMから出てきた通帳を見ると確かに途中で終わっている。
なんかおかしいと思うのは、私だけだろうか。世の中はこんな風に変わっていくのだろうか。通帳が繰り越しならば繰り越しで、そのままお待ち下さいじゃなくて、通帳が繰り越されました、カウンターへとか、係員にお知らせ下さい。とかの表示が有っていいものだと思う。
まぁ、それが出来ないなら出来ないで、あんたは99って、わかっているだろうが私知らないのよ。一言有ってもいいんじゃないの。通帳が繰り越されましたので、新しい通帳をカウンターで受け取って下さいとか。
本来ならば、ATMでその表示が出たときは、カウンターの内側で繰り越された通帳が勝手に出てきて、係りがそれに気づきATMの前にいるお客に届けるシステムなのだろう。
しかし、店頭も混んでいる。行員は自分の目の前に有る仕事だけで手が一杯で、勝手に出てきた通帳には気付かなかったんだろう。しかし、そんなシステムならば逆にお客の方がATMの画面を見て、繰り越しになりました。とカウンターに出した方がどんなにスッキリするか。店の人に不満をたれてもその場を逃れたいだけで愛想のいい顔で返事をするだけだ。ほんとうにやる気が有るのかい。この銀行と思ってしまった。なんか変だ。
振込も有ったのだ。と家の近くまで戻ってきて思い出した。あんな事でちょぃと頭に血が上ってしまったので、忘れてしまったよ。本当ならば、さっきの銀行の隣にその銀行が有ったので、そこで振り込むつもりだったのよ。
そうだ、あの銀行のATMならば、あったよなぁ。と普段はお付き合いのない銀行のATMへ。ここでも10人ぐらい並んでいた。私の番が来た。振込とキーを押すと、ただいまの時間は現金でのお振り込みは出来ません。と言う。
その銀行と取引が無い私は通帳もないし、振込カードもない。3時を過ぎるとこういうところのATMでは現金はだめなのか。こういうところとは、スーパーの中のATMである。でも、そんなことはどこかに書いてあったの。と、どこに怒りをぶつけていいものか。振込手数料を節約しようと同行振込にしたのに、結局は本日は完了せず。
安泰に過ごそう、スローライフでくらそう。些細なことでは腹は立てまい。と思うのだけど、どうも世のかな何かを忘れていませんか。それとも、こんな事にいちいちささくれ立つ私の心が狭いのか。
料理のさしすせそは、砂糖、塩、酢、醤油、味噌。本当にこの順番で入れないと、煮物の味が違いますよね。料理本によっては、材料の表示がこの順番じゃないときが有るんですよね。すると、本に書いてある順番に調味料を入れてしまうと、あらまなんか違うと思うのは私だけでしようか。
さてさて、家事にもさしすせそが有ったんですね。さは裁縫か。しって何だろう。としばし考えたら躾なんですね。すは炊事。せは洗濯。そは掃除。
さは裁縫か。あなたの家には裁縫箱有りますか。私は、一応手芸も趣味の一つなのであります。今は、釣りの道具をいれる物を代用しています。仕切が有るので、便利です。
凝りに凝って、クロス刺繍をしていた頃は可愛い裁縫箱を持っていましたね。あの籐の裁縫箱はどこへ行ったのかしら。
他にも、お菓子の缶にいろいろとごまごまとした物が入っています。一時はパッチワークもやったので、布も随分と有ります。編み物もやったので、毛糸も有ります。
でも、ここ5年ぐらいそれらの箱を開けていないし、使っていません。頸椎を悪くしたので、ずーっと下を向いているのもつらいし、肩も凝る。ボタンが取れたり、パジャマのゴムが伸びたりして、そんな時しか裁縫箱のお出でましの機会が無くなってしまった。
手芸は少しばかり出来るけど、洋裁は全然ダメです。型紙に合わせて布を切っているのに、印に合わせて縫い合わせるとなぜか合わないんですね。印が。どうやってもずれてしまうのですね。センスが無いんですわ。洋裁の。
しかし、しかし、ですよ。最近は雑巾がスーパーで売られているのですね。学校に持っていく雑巾はスーパーで買うらしい。いくら洋裁が出来ない私でも、ミシンは動かせるし、運針で雑巾縫うこともできる。ミシンを出すのが面倒なのです。しかし、いつの間にか雑巾は買って使う世の中にいつの間にかなっていたんです。
古くなったタオルはどうなるのだろう。私はタオルは最後は雑巾になる物だと信じていたけど、今のタオルの最後は違うらしい。どうなっているんだろうか。
そういえば、スカート、スボンの丈詰めます。の看板の下に、ボタンつけ一個20円。と書いてあった。自分でつけるよりお金で済むのなら、その方がいい人もいるのだろう。今は裁縫箱も無い家もあるのだろうか。 <つづく>
おそばは、さんたて。ひきたて、打ちたて、茹でたてを食べると、こりゃ旨い。といいます。珈琲も炒りたて、挽きたて、入れたてのさんたてで飲むとこれが旨い。忘れていた旨さです。
珈琲豆に、お湯を入れると、豆が膨らんで蒸れた。あははは、これは当たり前何ですが、すっかり忘れていました。この感覚。そして、炒りたての豆はよく膨らむ。
同じ時期に会社を辞めた人が、珈琲豆の自家製焙煎の店を始めたのです。早速おじゃましてみると、店に入るなり大きな機械。これが豆の焙煎器だという。すごい、こんな大きいもので豆を焙煎するのか。珈琲の青豆も沢山ある。焙煎する前の豆は余りみることが無いので、珍しい。
奥には試飲コーナー、ちょっといい雰囲気。今週のお薦め珈琲を飲ませてれる。マスターが一杯一杯丁寧にいれてくれる。こんなに美味しい珈琲が100円では申し訳ないような気がする。飲むと美味しいし、目の前にはいろいろな豆が並んでいるので、買わずにはいられなくなった。
充分に喫茶店としてもやっていけそうな広さなのに、どうして豆屋なの。と聞くと、焙煎器の手入れは大変だという。ガスの焙煎器なので秒単位で炒るらしい。そのあとの手入れに時間が掛かる。と言う。編み目の一目一目の粉かすをきれいにするらしい。
充分に手入れをして、いつもベストの状態で豆を煎りたい。そのためには、喫茶店にしていると、時間的に無理だという。珈琲が好きで、この商売を考えついたという。何ヶ月か修行ののちの開店。美味しい豆にこだわっているんです。
何にでも興味が湧いてくる私で有り、珈琲は好きだし、ここでもマスターから根ほり葉ほり聞いてしまった。
珈琲の入れ方
私も知っていたつもりだったけど、少し違いました。一時珈琲に凝ったので、細口のやかんを持っている私ですが、あのやかんでお湯を沸かすと、ガスコンロで安定しないし、お湯が沸くと飛び散るので困るのよね。と言うと、お湯は普通のやかんで沸かしてから、あの細いやかんに移してから使うという。こうすると温度が丁度よくなるらしい。そのままのやかんでいれる場合も、沸ききる少し前に火から下ろし、1分ぐらいたってからいれるのだという。私は、お湯はチンチンに沸いた熱湯を使うものだ思っていた。
少しお湯を入れて豆を蒸らす。30秒ですよね。と余計な口を挟むと、そうだね。でも、厳密にはそんな計らなくてもいいんですよ。ほら、プツプツしてきたでしょう。と、豆が一度膨らんできて、所々に穴があいてきた。こうなったら、真ん中に「の」の字をひたすら書く。あら、縁から真ん中に向かって「の」字を書くんじゃないの。と、ままたまた。縁には直接お湯はかけないで真ん中ね。そのうちに、縁にもお湯は張るけどね。と。豆によっては蒸らしが10秒ぐらいでいいのも有るという。そして、いただいた珈琲はえらく美味しかった。
スーパーで買う豆も、喫茶店で買う豆も、炒ってから時間が随分たっているという。場合によっては何ヶ月も前に焙煎した物かも知れないと。やっぱり時間が勝負だという。挽いてからの時間だけじゃなくて、焙煎してからの時間も大切。それで香りも味も違ってくると言う。
そうか、豆って膨らむんだよね。二週間ぐらいで使い切るのがよいという。味も変わるし。といわれて思い出したが、我が家の冷蔵庫に有る豆はいつ買ったものだったか。それで、香りも出ないし、蒸らしても膨らまないわけだ。
開店セールで安くなっていた豆を買い。そして、欲しかった手動の珈琲ミルも手頃な値段だったので買ってしまった。帰宅してから早速豆をゴリゴリと挽いていれてみる。いい香り。豆が膨らむ膨らむ。なんか嬉しくなってしまった。こんな感覚は久しぶりだ。この自家製焙煎豆がいいのだろう。普段は珈琲は進んでは飲まない夫が飲むのである。やっぱり、さんたての珈琲美味しいのだ。
そして、豆がなくなった。自分でゴリゴリと挽く味を忘れられなくて近くのスーパーに豆を買いに行ったのだが、これはやっぱり失敗だった。挽いたまめに静電気が起きるのです。今までは、ミルの引き出しを開けると、ちゃんとお行儀よく挽かれた豆が鎮座していたのに、この豆はミルの中のあちらこちらに飛び散っている。お転婆さんなのです。たたいても落ちない。お湯を入れても豆が上手く膨らまないのである。やっぱり、炒りたての豆がいいのだ。
その事を後日マスターに話すと、本来珈琲豆は炒っても、多少の水分が残っているけど、乾燥しきっているんだね。と。
横浜は京浜急行の金沢文庫駅から徒歩4分くらい。国道16号線を渡り一本裏の道。「珈琲の木」をよろしく。045-787-0698
今年の2月に公開してから10ヶ月で、この言いたい放題もおかげさまで100回になりました。
普段感じたこと、見たことの私の感想を書いているのですが、たまに独り相撲かなぁ。と思うときもあるし、こんな考えの人は私だけかなぁ。とかいろいろ考えながら書いていますが、ここに書くことで私の気持ちの整理が出来たり、違った見方が出来たりもしています。
人間だれでも評論家になれると言いますが、好き放題言えることはいいことだとも思っています。自分のサイトに自分の考えを書いていけることは、自分の考えがどのように変わっていくかと言うこともわかって、自分でもおもしろいです。
書きたいことが、どんどんとあふれて来るときと、何を見ても何も感じないときもあります。書き続けることは大変ですよね。だったら、もっと簡潔に小さいことを書けばいいと思いながらも、なんだか長くなってしまうのですね。そして、いいや、自己満足。なんて、自分で納得してしまうのです。
自分自身でも、もっと、過激なことを書くかと思っていましたが、どうも控えめですね。もっとダイレクトに書けばいいと思いながらも、どこかでいい子になっていますね。どのくらいたったら皮がむけるのか自分でも楽しみです。
こんな私の文章にコメント、反応をいただくと本当に嬉しいです。同感、反感、何言っているのこの人。などいろいろと感想は有ると思いますが、どんな事でも反応いただくと本当に嬉しいです。
会社を辞めた事で、もっとパソコンに向かう時間が増えるかと思っていましたが、それはそれでいろいろと有りまして、なかなか進みません。そして、毎日会社に行くことで、電車や歩いているとき、そして会社にいるときと、ずいぶん多くの人と接していたのですね。気付きませんでした。辞めたら1日に顔を見る人の数の少ないこと、少ないこと。世間だけは狭くしたくないとは思っているのですが、とにかく外に出ないとダメですね。そして、なぜか、スーパーでの人間ウォッチング時間が多くなっているこのごろです。(^_^;)
これからも、地道に書き続けますので、よろしくお願いします。
一週間の断食に行ってきました。断食というと宗教がらみで、飢えと苦しみの世界。と思われている方が多いと思いますが、私が行ったところは、あくまでも療養。「湯治、食事療養、東洋治療」と言う看板です。
6月にも2泊3日で行ってきて、次回は絶対に一週間でやりたい。一週間でいろいろと経験したい。と思って行ったのです。
近いうちに、ちゃんとページを作りますので、簡単に書きます。
一週間、6泊7日ですが、絶食日は3日間。人間は食べなくてもいいんだなぁ。と実感します。その間は、水分は取って良く、朝は酵素ジュース、夜は澄まし汁です。あとは、生姜湯のパック一袋を三回に分けて飲み、糖分を補給します。
人によっては断食反応が強くて、苦しむ人もいますが、終わってしまえば、喉元過ぎるなんとかです。断食反応は、頭痛や吐き気などが襲ってきます。すぐに終わる人と、3日間苦しむ人、あげくの果てに発熱。なんて人もいます。私は今回は3日目の朝が気持ち悪かったのですが、4日目の朝は、食べていないのにすごい爽快感です。身体も心も軽い、気分は晴天。って感じでした。
そして、4日目から回復食が始まります。重湯です。ご飯粒一つない重湯と、具のないみそ汁です。3日掛けて、普通食にしていくのです。断食は食べないことはいくらでも出来るらしいですが、この回復食が重要で効果が変わってくるらしいです。
断食は痩せるというだけでなく、普段の生活で豊富に身体に流し込んでいる栄養素を断絶することで、身体にショック状態を起こし、今まで働いていなかった所を働かせたり、身体全部を空にすることで、いろいろな効果が出るそうです。頭痛もブドウ糖が脳に運ばれなくなるので、起きるのでしょう。
私は回復食を食べ出した翌日は、晴天気分からどんより曇りになりました。立ちくらみもすごくて、頭を上下するだけで、クラクラ来ました。胃腸が悪い人は食べ出してから第二の断食反応が出ることが多いそうです。回復食はもっとゆっくりした方がいい人もいるそうです。
食事は、自然食で添加物などは使わず、味付けもそんなに濃くないのに、舌が、身体が少しの味にも反応するのです。具なしのみそ汁は出汁が利いているので、本当に身体に染み渡るおいしさでした。こんな素朴な物が美味しいと感じるなんて本当に不思議です。
食事が始まると、素材の味がよくわかり、食べることの愛おしさ、尊さを本当に実感します。食に対する考え方が変わります。あっさり味付けの、油も砂糖もほとんど使っていないこの料理が本当に美味しいのです。だいこん、ジャガイモの味を堪能します。
滞在中は1時間の東洋治療があり、他には朝の体操、夕方に行われるリラクゼーションはヨガ、楽健法、繰体法など、身体の凝りやゆがみを取る方法などの時間が有ります。そして、最後には食事療養のお話も有ります。これ以外は自由時間です。
この東洋治療がすこぶる気持ちいいのです。温泉ですから好きな時間に何度でも入れるし、屋上の露天風呂からは大島がよく見えます。同じ目的で来ているせいか、同宿の人たちとは気軽に話すこともでき、知り合った人たちと誘い合って、伊豆高原のハイキングコースを歩いたり、周辺の体験教室を巡ったりと、一週間時間を持て余すことなく過ごせます。
私も食べる事が大好きで、他人以上に量も食べるし、食べ歩きも大好きでした。今も食べることは好きですが、食の事をいろいろと考え出してからは、本物の味がいかに大切か。いかに美味しいか。誤魔化した味が大きな顔をして世間にはびこっているかがよくわかります。
食べることが好きだった私が出来るのですから、だれでも出来るような気がするし、一生に一度でいいから、体験してみる価値は有ると思います。私としては、年に一度、身体のリセットをするために行けたらいいな。と思っています。気持ちも身体も爽快なんですよね。不思議です。天気はこんなにどんよりとしているのに。
今回も確実に胃は小さくなったようです。折角体重も減ったので、腹八分目を目標にしよう。しかし、年末は飲み食いの機会が多いんですよね。(^_^;)
6月の2泊3日の断食体験記はここです。よろしかったらご覧下さい。
http://www.onsenfan.com/~acha506/myboom/kennkou/danjiki.htm
スタバが赤字になった。何時行っても満席なのに赤字なのか。こんなにいい場所にこれだけの店を出して採算が合うのだろうか。と思っていた私の疑問がこれで解決されました。
お客さんの回転もよくなさそう。私もあそこに行くと、どうものんびり座っていて、いいような気分になって、座れたらラッキーで、コーヒーなんてとっくの昔になくなっていても、いつまでも話をしたり、本を読んだりするのですね。
それが出来るんですね。そんな雰囲気なんですね。トランプをやっているアベックを見たことも有ります。他の店だったら、あんまり長くいると、追加オーダーをしたほうがいいね。なんて同席の人と暗黙の了解が有って、自主的になんか追加オーダーするのだけど、それは私だけだろうか。
スタバに初めて出会ったのは、銀座の一号店で平成9年の夏だったか。私は全然知らなかったが、たまたまアメリカ帰りの友達と歩いていたら。「スタバだ、日本にも出来たんだぁ」と言うので、入ってみたのです。当然、私はあの穴から飲むコーヒーは初体験で飲み方を教えてもらいました。なんか気恥ずかしかったことを覚えています。あのカップに慣れるまでは何回かかかりました。
次に名前を見たのは、横浜のみなとみらいのクィーンズが出来たときに入っていましたね。それから、2、3年のうちに色々なところで目にするようになり、禁煙の喫茶店ってなかったから、うけたんでしようね。タバコの煙が嫌いな人がこんなにもいたのかと思いましたね。そして、ここ1、2年はすごいですね。上場してからはなおさらですね。年間100店舗の出店だったそうです。それも好立地の場所に。それでも、どこの店もいつでも満席。
我が家から歩いていけるところにも出来たんですよ。ここも朝早い時間に行かないと一杯。平日でもほぼ満席ですよ。でも、これだけいい場所に出店していたら、どれだけの資金がいるのだろう。と思っていたら、出店コストが経営に大きく影響。21億の黒字予定が、マイナスが約2億と新聞に載っていた。やっぱりすごい。一店舗の出店資金が約7千万だというのもすごい。それも同じ商圏に何店舗も。
横浜の西口近辺で私が知っているだけでも、5店舗がここ1、2年で出来た。でも、どこもいつも満席。これだけ満席が続き、席待ちのお客さんが列をなしていれば、出店も増やしたい考えはわかるけど、出店コストと人件費は大変な物だと思う。これでもやっていけると判断したのでしょうが、やっぱりの赤字転落でしたね。
それでも、客離れが始まっていたというので、びっくり。まだ横浜は絶頂期なんだろうか。客離れをくい止めるために、パンなどを発売していたというが、そういう問題じゃないことをやっぱり知らなかったのだろうか。確かに、禁煙だし、長居が出来るからいいけど、私にとっては何度も飲みたいコーヒーの味じゃないのですね。どこかに座りたい、どこかに話をする場所がないか。あっ、スタバが有るね。と行くのだけど、いつも何を飲んでいいのかわからず、悩む。いろいろ飲んでみても、結局ラテになってしまう。私と同じように注文を悩む人は多いようですね。注文をスラスラと出来る人を尊敬してしまう。
パンと言えば、横浜の西口には9月に、アンデルセンと合体した店が出来ました。アンデルセンのパンとスタバのコーヒーが店でチョイスできるんですね。話の種に入ろうと思ったら、階段下までの長蛇の列。それだけみて止めてしまいました。
喫茶店の役割って何だろうか。あの店のあのコーヒーが飲みたい。あのマスターの顔が見たい。ということにも価値が有ると思う。しかし、ただ美味しいだけでは昨今は生き残れない。どうしてだろうか。
やっぱり旨いコーヒーを飲みたい。美味しいだけでは生き残れないのは、値段のせいなのだろうか。でも、スタバのコーヒーはけっして安くない。値下げもしないと言う。安くないから長居の人が多いんだろうか。世の中上手く行かないものである。
いつも「短気は損気」と窘められる。確かに私は気が短いと思う。勘違い、思い違い、思いこみが強い。ツーと言えばカー。しかし、たまには判断に困りいつまでもぐずぐずと考えているときもあるし、ずいぶん後になってから、ああそうか、そうだったのか。と妙に納得するときも有るのです。
去年の今頃は、秋味のビールを買うつもりで行ったのに、外見がよく似た発泡酒を買ってきてしまった。確かに値段は安かったけど、その外観が秋味にそっくりだったので、思いこんで買ってきた。飲むまでわからなかった。言われて初めて気付くのである。
こんな事を間違えるのは私だけなのか、それとも、そういうお客さんをねらっているのか。どこからも何の苦情も出ていないようだし、類似商品としてピックアップされている訳じゃなさそうだし。やっぱり、私だけか。(^_^;)
あと1分しかない。急げーと人混みをかき分けて、ゼイゼイ息を切らして階段を昇り、ホームに着くと電車はいない。あらーと思うと、ここは下りのホーム。向こうの上りホームには扉が閉まったところの電車。あーあ。遅刻だ。
上下線が同じホームの場合も、飛び乗ると反対方向に進んでいく。あーあ。だから、焦って乗らなきゃ良かったのに。と自己嫌悪。今日は余裕だったのに、これでまたギリギリだ。
待ちに待って発売日に本屋に行き、有った有ったと目当ての漫画を買ってきた。最近は発売日に買わないと手に入らないことが有るので、この日は逃せないのである。そして、翌日開いてみると、読んだ覚えのある内容。なんと前の号だった。何で、何で。昨日は発売日よね。どうして発売日に前のが並んでいるのよ。確認しないで買った私が間抜けなんでしようか。でも、他に買ってきた同じ発売日の漫画はちゃんと新しい号。
ここ蔦谷は開店時間が遅いので、あんまり早い時間に行くと本日発売の本が並んでいないことが有るので、それも承知で午後から行ったのよ。そして、もう一冊の方は新しいのに、どうしてこっちは前のなのよ。
買ったばかりだったら、その雑誌を持っていき、取り替えようと思ったかも知れない。レシートも有るのだし。しかし、昨日買ったものだし、小心者で間抜けな私はどうしても自分が確認しなかったことに、心が引っかかり、店に取り替えに行くことは出来なかった。
以前にも、同じ事をしたことが有ったのだが、その時は町はずれの小さな店だったので、前の号が売れ残っていたようだ。それからしばらくは買う前には必ず確認をしていたのだが、特に、最近は一日2日遅れるとなかなか手に入らない状況になって来たし、店が店だったので、疑いもなく、まさかそんなことが有るはずはないと思いこんで買ったのでした。
そして、仕方なくもう一度買いに行ったのです。すると、やっぱりまだ有るじゃない。と思って号数を見ると今週号。表紙の色も雰囲気もよく似ていて、一見しただけでは違いはわからなかった。
もしかしたら、店員も新しいのを並べたつもりでいたのかも知れない。すると、他にも買ってしまった人が他にもいるんだろうなぁ。レジに並びながら「きのう並んでいた先週号をかってしまったんですけど。」と喉まで出かかりながら、言葉を飲んでしまった、間抜けな私。350円返してくれー。と言ってもよかったのだろうか。やっぱりも買う前にちゃんとページをめくらなければ。(^_^;)
顧客管理の本を読んでいると、真実の瞬間と言う言葉が有ります。 同じように、人生には出会いの瞬間があると思います。今この時に出会ったから、お互いに何かを感じる。同じ方向を見ている、いい影響が受けられそうだ、同じ周波を感じるとでも言うのでしょうか。そんな人との出会いの瞬間があります。
でも、それはその時だから感じることで、時期がずれていたら出会いの瞬間ではないのですね。その出会いの時は、何らかの信号をキャッチするのではないだろうかと思うのです。
プロフィルに中学の時に出会った二人の先生からの影響が強かった。と書きましたが、それ以降の私の人生で他にも沢山のいい影響を受けています。いま出会ったから自分にとって良かった。これが一年前でも一年あとでも違うかも知れない。何かに呼び込まれる様に、巡り合わせがあるのですね。出会いの瞬間というのは、お互いに感じるようです。
人生の中で、影響を受ける人に何人出会うのだろうか。嫌な人のも出会うけど、それはそれで人生の勉強。会社のセミナーの講師だった人との出会いも、私の人生の考え方を変えるものでした。聞く話はおもしろく、自分の今までの人生と重ね合わさる。目から鱗ものだった。「〜ねばならない。」ではなく、「〜であってもいい。」と教えられ、この言葉で私はその時、救われたような気持ちでした。
何事も、ねばにらないと思って行動して、いつも肩に力が入り、肩肘張って仕事をしていました。
人に仕事を教える辛さや、自分のやっている仕事の事でいろいろと考えが行き詰まっていた時でした。どうやったら人間関係が上手くいくのか。自分が関わっている人と、どうやったら自然体でいけるのかと悩んでいました。自分では普通にしているつもりでも、なにやら嫌みを言われたり、波長が合わない人がいたのですね。それをどうしたものか、自分があの人に好かれて、上手くいくためにはどうしたらいいのか。人に好かれようと思ったら好きになりなさい。なんて宗教めいたことを教えられもしました。しかし、この人間関係というのはどうにもならないのですね。
それが、その講師の口から出た言葉は、万人の人間から好かれる人間はいない。そんな人間は神様だ。好かれようと思うのではなく、好かれてもいいと思う。好かれてやってもいい。と言うぐらいの気持ちで人と接してもいいのではないかという。これまた目から鱗。こんな考えをした人とは、今まで出会ったことがありませんでした。私が人間関係に悩んでいなければ、通り過ぎて行ってしまう言葉だったかも知れない。でも、私の心にはしっかりと残ったのです。
その後の私の仕事人生は随分と変わったように思う。少し、ほんの少し今までと違った見方をする。ほんの少し角度を変えてみれば、人生が変わることもあるんだ。と確信したのです。
人間生きている間にいろいろな人に出会う。そして影響を受け、また一歩人間的にも成長できる。出会いの瞬間でこの人と会えて良かった。これからも沢山のいろんな人と出会うことだろう。そして、その出会いをつまでも大切にしたい。