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achaの言いたい放題
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私は冷え性で自分で自分の身体を暖める力が弱いようです。それでも、冷え取り健康法や半身浴で大夫よくなりました。でもまだ、手足は冷えています。
、冬になるとお風呂から出て足が冷めないうちに布団に入らないと足が冷たくて寝られなかった私です。前は、お風呂にはいれないときは布団乾燥機で布団を暖めたりもしました。
足を暖めるために、電気あんかを使ったことが有るのですが、どうも塩梅がよくない。夜中に足元が熱くなって、その熱さが蒸れてくるような熱さでなんか気持ち悪かったのですね。だから、それを考えると電気毛布は使う気にはなれなかったのです。一番いいのは、寝しなにお風呂に入って身体が冷めないうちに寝る。そう信じていました。
冷え性はのぼせ症でも有るので、電気あんかはいれなくても夜中になると妙に足が熱くなって布団から足を出すほどでした。手足が熱くなるのは、身体のどこかが冷えていているので手足が火照っていると言うことを知ったときに、そうかやっぱり私の身体は冷えているのかと、実感したのでした。でも、どこが冷えているのだろうか。実は全体だったのです。
寒くてもだめ、暖かくすれば熱い。どうも上手い具合に調整がつかない。自分で調整が付かないと言うのは、辛いものです。
冷え取り健康法を通して陶器の湯たんぽを知ってからは、なかなかいい具合。非常に気持ちよく眠ることがでます。暖かさも調度いいし、冷めにくいのです。陶器がこんなにも具合良く足を暖めてくれるとは思ってもいなかった。
その暖かさは、電気の時のような変な熱さにならず心地よいのです。電気のような乾燥した暖かさではなく、湿気感のある暖かさがいいのでしょうか。今時流行りの、プラスイオン、マイナスイオンの関係だったりして。
絹と綿の靴下を重ねはくことで、身体からでる汗や熱が調整され、夜中に足が変に火照ることもない。寝る前に湯たんぽを腰のあたりに置いておくと、布団に入ったときに心地よい暖かさになっていてる。足が冷たい事もなくなり、ぐっすり眠れます。
そうそう、お風呂から上がってすぐに靴下をはくことも大切です。しかし、いつになったら自家発電で暖かく出来ることか。
相田みつをのこと誤解していました。ここ数年で相田みつをの事は目にしたり、耳にしたりしていましたが、何も知らないのに、いやだったんですね。
テレビの番組で若者が相田のみつをの詩を使っていたのですが、その使い方が変だったんです。だから潜在意識に変なものだとインプットされてしまったのだと思います。妙に嫌で本屋で見ようが、どこかで目にしようが見ようとは思わなかったんです。テレビって怖いですね。
それが、私が会社を辞めると知らせた人からの返事の中に相田みつをの詩が添えられていたんです。たった数行の詩なのに、私の心境を妙に言い当てていました。
なんていいことを書いているのだろう。私は完全に誤解していたのだ。と、もっとこの人の事が知りたくなりました。熱しやすい性格爆発です。
本屋を廻って探しました。いや、探さなくても自然と目に入ってくる場所に有りました。もらった詩を探したのですが、見つかりません。文庫本になっていたので、買ってきました。その本屋のカウンターに相田みつを美術館の割引券が置いてありました。おお、これも何かの縁だ。と当然もらってきました。
読めば読むほど味の有る言葉です。そして、小説で彼の生涯を知りました。あのままテレビを信じていたら私はなにか損をしていたんではないかと思う。
昔、村山暮鳥の詩に出会ったときと同じくらいの感動を受けたのです。何かの出会いというのは、自分で探すより人からの一言で出会うことも多いですね。最近では、金盛浦子を知人から教えてもらいました。人でも本でも出会いの瞬間は有るものです。いいものと出会ったときはなんか幸せな気分になる。
夏の頃に日めくりカレンダーが新横浜の本屋に有ったのですが、こんな物も出しているのかと、ぺらぺらとめくるだけで買いませんでした。しかし、その後買っておけばよかった。といつもの後悔です。
そして、この冬に相田みつをの美術館に行く機会がやっと出来たのです。無職になると有楽町も遠いのです。おばさま達が多いのにはびっくりした。でも、老若男女の人たちがいました。こんなにファンの人が多い人だったのか。と、改めて認識。
色紙、ハンカチ、スタンプ、シール、カレンダーといろいろなグッズがミュージアムには売られていました。私は日めくりカレンダーを二種類とシールを買いました。買っただけでなんか幸せな気分になるのが不思議。
トイレと、私のマックの前にある2つの日めくりは、毎日感心しています。しかし、私が一番最初に感動した詩にはまだ出会っていません。そして、会社を退職するときにそのメールを間違って消し去ったことをしばらくしてから気付きました。私が夢を追いかけると言うのを言い表していた詩だったと思います。いつの日にかあえることでしょう。
元旦の夕方に近所へ散歩に出掛けたらゴミだらけ。商店街や小さなマンションがたくさん軒を並べているので、土地柄なのかも知れないが、ゴミ収集所にはゴミが山のようになっている。モラルってなんなんだろう。常識ってなに。って思う。
今年は曜日の関係でずいぶん早くに年末のゴミ収集が終わってしまった。我が家もその後に片づけが本格的になってきたので、ゴミが沢山出ましたが、今はベランダにたまっています。出すときは何度も往復しないとならない程。年明けの収集日まで丸一週間分のゴミは二人家族でも大変です。
個別のマンションゴミ収集所にはさすがにゴミは出ていないものの、一般の収集所には年末の大掃除をしたと思われるゴミが山のようにで出ている。確かに、一般的な人がお正月休みに入ってすぐにゴミ収集は終わってしまった。そこで私の常識ではゴミは自分の敷地内に置いておき、来年の収集日が始まったら出す。だから、ベランダはゴミ袋だらけ。
しかし、世の多くの人は自分の目の前からゴミが排除できればいいのだろう。誰かが一つゴミを出せば、どんどんとその後に積まれていく。自分の目の前はきれいで、歩道はどんどんとみにくくなっていく。ねこや鳥がゴミをあさる。ここらには頭の黒いネズミも多いので、ゴミは散らかっていく。
道を見ればタバコの吸い殻が無数に落ちている。信号機の所などは凄い。商店街の通路などは吹き溜まりになっていて、ゴミが風に舞っている。コンビニの袋やら、ハンバーガーの袋。いろんな物がゴミとしてゆれている。
普段は店の人たちが掃除をしているのでしょう。誰かが捨てたゴミは誰かが掃除をする。そうやって、縁の下の力持ちがいるから、町は保たれているのだろう。
掃き清められたところで、新しい年を気持ちよく迎えたい。と言う心は無いのだろうか。いや、新しい年は迎える物でなく、やってくるものだから、どうでもいいものなのであろうか。
昔からの言い伝えや、常識がどんどんと変わっていく。いろいろな事に無関心な人たちが増えていく。常識だと思っていものが、常識ではなくなり、大勢の人がやっていく非常識が常識となっていくのであろうか。
かく言う私も歩行者の時は、裏通りや脇道の自動車が来ないであろう信号はほとんど守らない。左右を確認したら、渡ってしまう。車が来ないとわかっている、見えているのに待っているのは時間の無駄だ。と言うのが、私の常識である。
自分勝手な考えでは有るけど、どこまでが許されるモラル違反なのか。許される違反は無いのだろうか。小さなゴミならば道にポイ捨てしていい。家のゴミはゴミ収集所で有ればいつでも捨てていい。それぞれの判断基準が違うのだとは思うけど、その物差しの目盛りの幅がどんどんと変わってきているのだろう。
さすがに子供が待っている信号機ではちゃんと青になるまで一緒に待っている。少しでも模範になる大人にはなりたいとは思っている。まったく持って、自分勝手な奴だと、自分で十分に承知している。しかし、子供にはいいことなのか悪いことなのか判断はまだ出来ないので、ルールは守ることだと教えたい。
実家の近くは、古い人が多く住んでいるので物差しの目盛りが同じなのか、ゴミ収集所にはひとつもゴミが出ていなかった。
物差しなんて言っている私も古いよね。(^_^;)
今年は久しぶりに家にいた元旦でした。毎年毎年、どこかで元旦を迎えるか、どこかへ出掛けていました。今年は少し違う年にしたくて、家にいましたが、雨で明けた年は久しぶりです。毎年いい天気になった元旦でしたが、今年は雨。夕方からは天気が良くなったものの、こんなに寒くて天気のよくない元旦は本当に久しぶりだと思います。だから、今年はなにかいいことが起こるような気がします。
年々お正月らしさが無くなっていきますね。夕方近くに近所へ散歩に行きましたが、歩く人の姿も普通だし、着物の人はほとんどいませんでした。毎年初詣に行く神社が例年になく混んでいたのはなぜでしょう。
店も随分と開いている。新年は店が開かないから買いだめしておかないと食べるものがない。だから、年末に沢山買い込んで、お正月の準備をする。売る方も年内が勝負とばかりに年末大売り出し。沢山売り上げていい正月を迎えよう。と頑張る。
それがある年にダイエーが元旦も営業します。えー、元旦から店を。とやって以来次々と元旦から店を開けるところが多くなって、今では、コンビニは開いているし、スーパーもやっている。当たり前のように店が開いている。働いている人も大変ですよね。暮れも正月も無い人が増えた訳ですよね。
それだから、って訳ではないでしょうか、本当にお正月ってなに?状態になっていますよね。伝統的なお正月ってどこへ行ってしまったのでしょうか。
いや、お正月ってなんだったのかなぁ。三が日はゆっくり過ごす。だから、年末に忙しい思いをして、おせちを作り、新しい年を迎える準備をする。除夜の鐘が鳴り始めたら、氏神様に初詣に行き、元旦はお屠蘇で今年の幸福を願う。そして、家族や親戚が揃って、すごろくに、カルタ、トランプ。1日おせち料理をつまみながらお酒を飲み、家で退屈になってきた子供達は外で羽根突きに凧揚げ。おせち料理の一つ一つにちゃんと意味があるんですよね。無事に一年が過ごせるように。
こんな正月の過ごし方だったかはわかりませんが、少なくても私が子供の頃は羽根突きと凧揚げはしました。そして、親戚巡りをしてお年玉をもらいに行ったものです。書き初めもしました。今は、どんな正月なんでしょう。関西の方が伝統を守ったお正月を過ごしているんでしようね。
それと、新年を迎える。って気持ちが薄らいだような気がします。時間が来れば年は明ける。どうやったって時は止まらない。新しい時は来る。来るのであって、迎えるのでは無いみたいです。
最近は昭和30年代が流行っているそうですが、受け身だけの流行りじゃなくて、本当に世の中に浸透していけば、世の中ももっとゆったりしてきて、今の嫌な世の中から脱皮出来るような気がします。
三が日くらいは新しい年を無事に迎えられたことを喜んで、普段とは違う時間を過ごしてもいいような気がします。しかし、そういう我が家も、今年は久しぶりに家にいたのにおせちらしいおせちはない。わが夫もおせちは嫌いだという。でも、お雑煮は作りました。蒲鉾も食べました。たたきゴボウも食べました。あとは明日実家に行って、本来のおせち料理らしい物を食べてきます。
先日おすもうさんの事を書きましたが、新聞に相撲部屋でも若い力士達はお正月料理を食べなくなったので作らなくなった。と書いてありました。
若い力士はコンビニで売っているような物がいいそうです。おせちや雑煮には箸をつけないそうです。元旦から店は開いてるし、無理に食べさすわけにも行かないと。最近では量も少ないので、部屋で作らず、外に注文しているそうです。それも、洋風和風のおせちを。こんな所でも伝統が消えていくのですね。でも、その女将さんもこれではいけないとは思っているそうです。
やっぱり、伝統が強さと精神を守っていたと言う考えはあながち間違ってはいないような気がする。女将さんに頑張ってもらいたい物です。既製品じゃない、伝統日本の手作りおせちで力士達を力づけられるようになって欲しい物です。
今年はずーっと季節の巡りが早かったせいか、寒くなるのも早かったですね。突然寒くなると寒さが身にしみます。
その寒さもちょっとしたことで、暖かく過ごせるんです。この冬は電力不足も予想されるようですし、地球温暖化の事もある。だから、電気も使わず、二酸化炭素を少しでも出さずに暖かく過ごすためにはどうしたらよいか。
それは、自分の工夫で暖かくするんです。下着一枚で暖房の温度も1、2度低くても全然大丈夫。我が家なんてついに暖房器具を使わない冬になっています。
しかし、その話をするとだいたいの人がそんな歳じゃない。なんていうんですね。歳の問題じゃない。ってわかって欲しいのです。
どんな事を言うかというと、ズボン下を履く事です。私はGパン愛好者でしたが、冬の寒さに負けてここ数年はコーディロイになっています。それでも寒い。人によってはストッキングやタイツをはいてスボンを履く人もいますが、私は足がかゆくなってだめなんです。
で、私は絹のズボン下です。快適です。タンクトップも絹にしました。絹は身体の毒もとってくれるし、自分に付いた汚れも消すそうです。寒いときは暖め、暑いときは熱を取ってくれるそうです。
夏も絹のスボン下は離せなくなりました。汗でべっとりと濡れる感触が無くなって快適です。冷房の冷たさも少しは回避してくれるようです。
冬は絹一枚では寒いので、綿のズボン下を重ねばきしてその上に、毛糸のパンツ見たいのを履いています。靴下は重ねているし、外に出るときはレッグウォーマーです。下半身は重装備です。
ここまですると、上半身は今までの半分以下で大丈夫です。家の中では半袖のTシャツにフリースのベストの場合が多いです。さすがに寒くなってくると長袖にはなりますけど。セーターはここ数年着ていません。下半身が暖かいので快適です。
どこかに出掛けても建物の中や電車の中は暖房で暑いくらいです。寒いからと上にばかり着込んでいくと、本当に暑くて気持ち悪くなってしまいます。今は上は薄着だし、下半身は着込んでも気持ち悪くなることは無いのでいいですよ。寒いと思ったら上に着ずに下にはけですね。上半身は少し寒いくらいがいいのです。
人間の身体は下半身が冷えていて、上半身は暖かくなるように出来ているそうです。だから、下半身を暖めると暖まったものが上半身に運ばれるので、上半身は薄着でも寒くないのです。こうやって、身体の中の流れがよくなると健康にもいいそうです。
夫は以前は非常に寒がりで、冬になるとストーブのそばから離れませんでした。部屋着もフリースの綿入れのような物を着ているのです。それなのに下半身は一枚。熱はしょっちゅう出し、風邪は冬になると何度引くのよぉ。と言いたくなるぐらい引き、鼻は年中かんでいました。ティッシュがいくら有ってもすぐに終わってしまいました。
それがここ二年は、ほとんど風邪も引かないのです。今は咳をしているのですが、一年ぶりの風邪だ。と本人は言っています。これほどまでに、体調が変わるとは私も予想はしていませんでした。スボン下、靴下様々です。
最初にズボン下を履いたらと言ったときは、年寄りじゃない。といいましたが、歳じゃないんですよ。自分の身体を守るためにもズボン下の愛用をお薦めします。
化繊物を着ていると、静電気が起きますよね。静電気は身体のカルシウムを排泄してしまうそうです。せっかく骨粗鬆症になるまいと、カルシウムを摂っても一瞬の静電気で随分と失われると、私がよく行く絹屋の社長が言っていましたが、その後も新聞の文化欄にも書いてありましたので、本当なんでしよう。
光熱費も節約し、二酸化炭素も出さず、健康にもよく、カルシウムも守る。こんなにいいことは無いです。
初場所が近づいて来た。昔は相撲は好きでよく見ていました。でも、最近はみなくなってしまった。そしたら、みんなもみていないようで、満員御礼の札も出なくなったとか。
若貴が大関になるくらいまでがおもしろかったでしょうか。いや、結婚するまでかなぁ。いや、横綱になってもおもしろかったかな。貴乃花が何かにつかれたような顔つきになって、兄弟げんかが発覚して、女将さんも離婚して。なんか、相撲界の厳粛な空気が変わってきたからだろうか。そういえば、高田みずえの事なんて、覚えている人も少ないかも知れない。女将さんになってどうしているいるのだろう。たしか、若島津と結婚したはず。
とにかく、その厳粛と言うかなんとなく相撲界の空気が変わってきてから、どうしてそんなに怪我をするのかな。状態になったのだと思う。昔から、怪我でよく休む力士はいました。でも、ここまで休む力士は多くなかったでしょう。秋場所なんてなんなのこれ。って感じでしたね。このままではまずいよね。相撲界。
外人力士も増えてきて、日本人かと思っていたら、モンゴル人だという。どんどんと外国人力士が増えてくるのよね。そして、頑張っている。
怪我をして長く休場しても引退しないのは、本人の意思なのか、それても引退をさせてもらえないのか。今、貴乃花が引退したら日本人の横綱がいなくなってしまう。日本の国技である相撲が外人に乗っ取られてしまう。と、相撲協会は思っているのだろうか。どうも日本人力士には覇気がないように感じる。
土俵には金が落ちている。といわれているらしい。外人力士は少しでも多くのお金を拾って祖国に送金したい。親にお金を送りたい。親孝行をしたい。と頑張っているのだろう。
そして、怪我が多いのはなぜなんだろう。昔より筋トレにも励んでいるというのに。基本的なところが出来てないのかも知れないですね。食生活にも原因が有るのではと私は思っています。あとは、ハングリー精神かな。日本人はだれでも金持ちになってしまったんだろうか。
オリンピックでもメダルが取れなくなりましたね。そう思っていたら、五輪メダル倍増へ「日本復活プロジェクト」なるものが出来て来年度の予算に27億のお金が投入されると新聞に載っていた。
あほかいな。と思ってしまった。今の企業は苦しくて企業スポーツは衰退している。だから、国が企業スポーツにも援助するというのだ。
私はバレーボールファンですが、伝統のあるチームが会社の斜陽により解散していったり、どこかの企業に買い取られたりして、随分と参加チームの会社名が変わりました。確かに今までも強いチームは会社も強かったのです。お金が有るチームが強かったのでしょう。
しかし、お金の問題も有るかも知れないけど、精神ですよね。小学校では差別になると言うので、運動会でも順位をつけないと言う。高校でさえ、考査をしないというところも有るのだという。試験がないからその学校に行きたいという。勝ち負けや競争をさせると言うことをさけているようです。どうしてでしょうね。競争心を養う教育をしていないのに、勝てるはずが無いと思う。そして運動なんてかったるい。と思っている学生がどれほどいるんでしよう。
確かにビケは嫌かも知れない。でも、それをはねのける精神も必要でしよう。成績順が悪くても、勉強じゃないその子しか出来ないことが有ると思う。平等に順位をつけないのではなく、ビケの子がいじめられるのではなく、いいところを引っぱり出してやる教育は出来ない物なのでしょうか。
と、おすもうさんの話から飛んでしまいましたが、順位もつけない、勝負も危ないからさせない。そんな環境ののちに、勝負の世界で戦えるはずはないと思う。覇気のある人なんていなくなってしまうのだろう。ぬるま湯につかっている今の日本の状態ではいくらお金だけをつぎ込んでもメダルは取れないと思う。根本的な改造が必要なのですね。いや、昔に戻ればいいのかもしれない。
消費税のあり方が変わるようです。なんかバカ臭いのでよくは読んでいません。だって、取れるところから取りましょうって感じですよね。健康保険にしても、年金にしても、失業保険にしても。確実に取れるところを値あげているとしか思えないのです。そして、配偶者控除がなくなるという。サラリーマンばかりをいじめているというか、給与だったら取り損ないがない、という措置のように思う。
消費税についても、緩和措置が減るようですが、それでも消費税太りをしている所は有ると思うんです。一番最初に消費税をなぜ導入したかを思い出して欲しい物です。
顧客が預けた消費税を企業が、店がちゃんと納税して欲しいんです。ちゃんと納税していれば、こんなにも弱い物いじめの措置が出来ないと思う。
消費税サービスです。って、表現をしている店が有りますが、サービスって事は無いと思うのです。消費者は店に消費税を預けるのですから。だから、店は消費税をもらうのではなく、預かるんです。預かって、自分の所の支払消費税と預かり消費税の差額を納税するはずなんです。サービスって事はどう言うことなの。消費者に成り代わって納税してくれるのだろうか。もし、もともとが納税をしない措置の店だったら、その言葉はおかしいし。もし、税込みの値段だったらなおさらおかしい。
預かり消費税としてどのくらいの金額が帳簿に載るのだろうか。倒産したり、夜逃げをした店が預かっていた消費税はどこへ行ってしまうのだろうか。
私が預けた消費税はちゃんとに納税されているのだろうか。と最近つくづく思うのです。簡単に取れるところから取るのではなく、払うべき物を払ってもらう事も考えて欲しいなぁ。
年末だし、混まないうちに銀行の用事を済まそう。24日に思って行ったけど、ATMは長蛇の列。まぁ何台も有るからと並んで数分。私の番がやって来た。
入金キーを押して、通帳をいれる。処理中ですしばらくお待ち下さい。すると画面が変わって、今まで見たことのないコメントが出てきた。「係員がきます。そのままお待ち下さい。」というので、そのまま待っていた。
別になんのエラーが起きたわけでもなく、通帳が引っかかったりしたわけではない。出てくる前にそうなったのである。正直な私はそのまま待っていた。ただ立っている私の背中には視線を感じる。あの人何やっているんだろう。と。やっぱりこのまま待っていても何も起こりそうにないので、ウロウロとしていた、初老のフロアー係のおじさんに「これは、いつまで待てばいいんですか。」と問う。
すると「99を押して下さい。」とムッとしたような声でいうのである。あんた何やってんの。ってみたいな感じで。すると通帳が出てきた。どこにこんな場合は99を押して下さいって書いて有るんですか。と言っても、何も答えず、「カウンターに行ってください。」と言う。私は何が起きたのかわからずにカウンターの前に行く。さっきのおじさんはカウンターの中の人に何かを言っている。
そして、中の人は何事も無かったように、すぐに私の繰り越した通帳を渡したのである。そこで初めて私の通帳は繰り越しだったのか。とわかる。そして、ATMから出てきた通帳を見ると確かに途中で終わっている。
なんかおかしいと思うのは、私だけだろうか。世の中はこんな風に変わっていくのだろうか。通帳が繰り越しならば繰り越しで、そのままお待ち下さいじゃなくて、通帳が繰り越されました、カウンターへとか、係員にお知らせ下さい。とかの表示が有っていいものだと思う。
まぁ、それが出来ないなら出来ないで、あんたは99って、わかっているだろうが私知らないのよ。一言有ってもいいんじゃないの。通帳が繰り越されましたので、新しい通帳をカウンターで受け取って下さいとか。
本来ならば、ATMでその表示が出たときは、カウンターの内側で繰り越された通帳が勝手に出てきて、係りがそれに気づきATMの前にいるお客に届けるシステムなのだろう。
しかし、店頭も混んでいる。行員は自分の目の前に有る仕事だけで手が一杯で、勝手に出てきた通帳には気付かなかったんだろう。しかし、そんなシステムならば逆にお客の方がATMの画面を見て、繰り越しになりました。とカウンターに出した方がどんなにスッキリするか。店の人に不満をたれてもその場を逃れたいだけで愛想のいい顔で返事をするだけだ。ほんとうにやる気が有るのかい。この銀行と思ってしまった。なんか変だ。
振込も有ったのだ。と家の近くまで戻ってきて思い出した。あんな事でちょぃと頭に血が上ってしまったので、忘れてしまったよ。本当ならば、さっきの銀行の隣にその銀行が有ったので、そこで振り込むつもりだったのよ。
そうだ、あの銀行のATMならば、あったよなぁ。と普段はお付き合いのない銀行のATMへ。ここでも10人ぐらい並んでいた。私の番が来た。振込とキーを押すと、ただいまの時間は現金でのお振り込みは出来ません。と言う。
その銀行と取引が無い私は通帳もないし、振込カードもない。3時を過ぎるとこういうところのATMでは現金はだめなのか。こういうところとは、スーパーの中のATMである。でも、そんなことはどこかに書いてあったの。と、どこに怒りをぶつけていいものか。振込手数料を節約しようと同行振込にしたのに、結局は本日は完了せず。
安泰に過ごそう、スローライフでくらそう。些細なことでは腹は立てまい。と思うのだけど、どうも世のかな何かを忘れていませんか。それとも、こんな事にいちいちささくれ立つ私の心が狭いのか。
料理のさしすせそは、砂糖、塩、酢、醤油、味噌。本当にこの順番で入れないと、煮物の味が違いますよね。料理本によっては、材料の表示がこの順番じゃないときが有るんですよね。すると、本に書いてある順番に調味料を入れてしまうと、あらまなんか違うと思うのは私だけでしようか。
さてさて、家事にもさしすせそが有ったんですね。さは裁縫か。しって何だろう。としばし考えたら躾なんですね。すは炊事。せは洗濯。そは掃除。
さは裁縫か。あなたの家には裁縫箱有りますか。私は、一応手芸も趣味の一つなのであります。今は、釣りの道具をいれる物を代用しています。仕切が有るので、便利です。
凝りに凝って、クロス刺繍をしていた頃は可愛い裁縫箱を持っていましたね。あの籐の裁縫箱はどこへ行ったのかしら。
他にも、お菓子の缶にいろいろとごまごまとした物が入っています。一時はパッチワークもやったので、布も随分と有ります。編み物もやったので、毛糸も有ります。
でも、ここ5年ぐらいそれらの箱を開けていないし、使っていません。頸椎を悪くしたので、ずーっと下を向いているのもつらいし、肩も凝る。ボタンが取れたり、パジャマのゴムが伸びたりして、そんな時しか裁縫箱のお出でましの機会が無くなってしまった。
手芸は少しばかり出来るけど、洋裁は全然ダメです。型紙に合わせて布を切っているのに、印に合わせて縫い合わせるとなぜか合わないんですね。印が。どうやってもずれてしまうのですね。センスが無いんですわ。洋裁の。
しかし、しかし、ですよ。最近は雑巾がスーパーで売られているのですね。学校に持っていく雑巾はスーパーで買うらしい。いくら洋裁が出来ない私でも、ミシンは動かせるし、運針で雑巾縫うこともできる。ミシンを出すのが面倒なのです。しかし、いつの間にか雑巾は買って使う世の中にいつの間にかなっていたんです。
古くなったタオルはどうなるのだろう。私はタオルは最後は雑巾になる物だと信じていたけど、今のタオルの最後は違うらしい。どうなっているんだろうか。
そういえば、スカート、スボンの丈詰めます。の看板の下に、ボタンつけ一個20円。と書いてあった。自分でつけるよりお金で済むのなら、その方がいい人もいるのだろう。今は裁縫箱も無い家もあるのだろうか。 <つづく>
おそばは、さんたて。ひきたて、打ちたて、茹でたてを食べると、こりゃ旨い。といいます。珈琲も炒りたて、挽きたて、入れたてのさんたてで飲むとこれが旨い。忘れていた旨さです。
珈琲豆に、お湯を入れると、豆が膨らんで蒸れた。あははは、これは当たり前何ですが、すっかり忘れていました。この感覚。そして、炒りたての豆はよく膨らむ。
同じ時期に会社を辞めた人が、珈琲豆の自家製焙煎の店を始めたのです。早速おじゃましてみると、店に入るなり大きな機械。これが豆の焙煎器だという。すごい、こんな大きいもので豆を焙煎するのか。珈琲の青豆も沢山ある。焙煎する前の豆は余りみることが無いので、珍しい。
奥には試飲コーナー、ちょっといい雰囲気。今週のお薦め珈琲を飲ませてれる。マスターが一杯一杯丁寧にいれてくれる。こんなに美味しい珈琲が100円では申し訳ないような気がする。飲むと美味しいし、目の前にはいろいろな豆が並んでいるので、買わずにはいられなくなった。
充分に喫茶店としてもやっていけそうな広さなのに、どうして豆屋なの。と聞くと、焙煎器の手入れは大変だという。ガスの焙煎器なので秒単位で炒るらしい。そのあとの手入れに時間が掛かる。と言う。編み目の一目一目の粉かすをきれいにするらしい。
充分に手入れをして、いつもベストの状態で豆を煎りたい。そのためには、喫茶店にしていると、時間的に無理だという。珈琲が好きで、この商売を考えついたという。何ヶ月か修行ののちの開店。美味しい豆にこだわっているんです。
何にでも興味が湧いてくる私で有り、珈琲は好きだし、ここでもマスターから根ほり葉ほり聞いてしまった。
珈琲の入れ方
私も知っていたつもりだったけど、少し違いました。一時珈琲に凝ったので、細口のやかんを持っている私ですが、あのやかんでお湯を沸かすと、ガスコンロで安定しないし、お湯が沸くと飛び散るので困るのよね。と言うと、お湯は普通のやかんで沸かしてから、あの細いやかんに移してから使うという。こうすると温度が丁度よくなるらしい。そのままのやかんでいれる場合も、沸ききる少し前に火から下ろし、1分ぐらいたってからいれるのだという。私は、お湯はチンチンに沸いた熱湯を使うものだ思っていた。
少しお湯を入れて豆を蒸らす。30秒ですよね。と余計な口を挟むと、そうだね。でも、厳密にはそんな計らなくてもいいんですよ。ほら、プツプツしてきたでしょう。と、豆が一度膨らんできて、所々に穴があいてきた。こうなったら、真ん中に「の」の字をひたすら書く。あら、縁から真ん中に向かって「の」字を書くんじゃないの。と、ままたまた。縁には直接お湯はかけないで真ん中ね。そのうちに、縁にもお湯は張るけどね。と。豆によっては蒸らしが10秒ぐらいでいいのも有るという。そして、いただいた珈琲はえらく美味しかった。
スーパーで買う豆も、喫茶店で買う豆も、炒ってから時間が随分たっているという。場合によっては何ヶ月も前に焙煎した物かも知れないと。やっぱり時間が勝負だという。挽いてからの時間だけじゃなくて、焙煎してからの時間も大切。それで香りも味も違ってくると言う。
そうか、豆って膨らむんだよね。二週間ぐらいで使い切るのがよいという。味も変わるし。といわれて思い出したが、我が家の冷蔵庫に有る豆はいつ買ったものだったか。それで、香りも出ないし、蒸らしても膨らまないわけだ。
開店セールで安くなっていた豆を買い。そして、欲しかった手動の珈琲ミルも手頃な値段だったので買ってしまった。帰宅してから早速豆をゴリゴリと挽いていれてみる。いい香り。豆が膨らむ膨らむ。なんか嬉しくなってしまった。こんな感覚は久しぶりだ。この自家製焙煎豆がいいのだろう。普段は珈琲は進んでは飲まない夫が飲むのである。やっぱり、さんたての珈琲美味しいのだ。
そして、豆がなくなった。自分でゴリゴリと挽く味を忘れられなくて近くのスーパーに豆を買いに行ったのだが、これはやっぱり失敗だった。挽いたまめに静電気が起きるのです。今までは、ミルの引き出しを開けると、ちゃんとお行儀よく挽かれた豆が鎮座していたのに、この豆はミルの中のあちらこちらに飛び散っている。お転婆さんなのです。たたいても落ちない。お湯を入れても豆が上手く膨らまないのである。やっぱり、炒りたての豆がいいのだ。
その事を後日マスターに話すと、本来珈琲豆は炒っても、多少の水分が残っているけど、乾燥しきっているんだね。と。
横浜は京浜急行の金沢文庫駅から徒歩4分くらい。国道16号線を渡り一本裏の道。「珈琲の木」をよろしく。045-787-0698