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achaの言いたい放題
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私は温泉が好きである。泉質やら効能やらにはあまり興味がない。短気、せっかちの私は温泉に入るときくらいは、のんびり、ぼーっとしたいのである。
けっこう若いときから温泉が好きで、みんながペンションだなんだと騒いでいるときから、温泉旅館にしようよ。といっていた。なぁに、ばば臭いこと言ってんのよ。とみんなに言われたけど、その連中も今はしっかり温泉に行っている。
初めて露天風呂に入ったときの、気持ちよさは忘れられない。髪の毛の中を風が通り抜ける心地よさ。空は青く、木々は緑。木洩れ日が気持ちよい。浮き世の垢が落ちていく。
しかし、しかしである。この私のリラックスタイムを壊す事が多々起きるのである。大騒ぎして脱衣室で脱ぎ、大胆にプロポーションをほこるようにタオルで身体を隠すことなく歩き、そのまま湯船に直行。おいおい。そのまま入るのかい。プールに入るときだって、なにかするだろうに。
掛け湯をして。身体を洗ってから。とそこかしこに張ってあるじゃないかい。自分ちのお風呂にもそうやって入るのかい。親から教わらなかったのかい。テレビのようにバスタオルを巻いて入らないだけいいのかい。
掛け湯は身体を流すためだけじゃなくて、これからお湯に入る身体の準備でも有るんだよ。そのまま直行したら、お湯を熱く感じるでしょう。掛け湯で熱さにも、温泉にも慣れて欲しいのよ。そうすれば、自分たちだけでうめることも無いでしょう。そのままの体感でそんなに水を入れたら、ぬるくなってしまうのよ。
身体洗うときも隣の人にもう少し気を使ってね。あなたのシャワーが私に掛かるのよ。おまけに最後に立ってシャワーを浴びないでね。ひとりのお風呂じゃないのだから。
どうして、脱衣所から、湯船に直行なのか。せめてせめて掛け湯をして欲しい。これは、テレビ番組の影響なのだろうか。テレビ番組は脱衣室からバスタオルを巻いて出てきて、そのまま、湯船に。そりゃ、掛け湯や前を洗っている所は映像には出来まい。だけど、だけど、温泉に入る最低のエチケットはどうにか教えて欲しいものだ。テレビの影響は大きいのだから。
しかし、最近はカランの間に仕切のあるところが増えてきましたね。みんな隣の人のシャワーに迷惑していたのでしょうか。迷惑を掛けないように気をつけるのではなく、迷惑が掛からないように注意する世の中なのですね。
路上生活のおじさんが、雨が降ったり、寒かったりすると、地下道に入ってくる。一晩のつもりが、暖かいので数日になるのか。しばらくするとなぜかみんないなくなる。そして、また雪や雨になると降りてくる。
この繰り返しのなかで、このおじさん達のすぐ横でジベタリアン、もしくは寝ころんでいる高校生がいる。遠目に見ていると、なんの違和感も無く、高校生とおじさん達が同じような格好で、自分の前に何か食べ物を置いている。非常に不思議な世界だ。
そして、自分達が、ぺっぺといつか唾を吐いたところに、座れるのはどうして。その汚いお尻のまま、電車に乗り、家に帰り、もしかしてそのお尻のまま、ダイニングの椅子に座ったり、ベットに座ったりするのだろうか。するんだろうな。
そのズタズタのズボンの裾で掃除したゴミもご家庭にお持ち帰りですよね。その袈裟のようなスカートについた埃もお持ち帰りですよね。そして、その親たちは抗菌グッズにはまっているのだろうか。不思議だ。
私の前を散歩をしている犬が歩いている。可愛いヨークシャー。お尻フリフリ歩いている。と、突然立ち止まって腰を落としてジャァー。あらら、もう少しで踏んでしまうところだった。
しかし、犬ってこんな風に突然、それも道の真ん中にジャーってするもの?子犬ならやるけど。その様子から見たらメスの犬。それにしたって、周りの臭いをかいだり、道の端の草とか、なんか犬なりの行動が有るのでは。と思うのです。毎日、通る歩道の真ん中に水たまりや水跡が有るのは、犬のオシッコだったのね。
大の方も、道の真ん中で踏ん張るのですね。飼い主がさっと、新聞紙などを敷いて、大をキャッチする。後処理が簡単なので、飼い主思いなのでしょうか。
私が飼っていた犬は、大をするときは大変でした。草むらをクンクン、クンクン、肛門様はもういつでも飛び出す準備OKなのにクンクン、なかなかいい場所が見付からないらしい。納得のいく場所を見つけるまでクンクンしてました。そして、やっとここぞと思う場所に出会う。私と目が合う。止めてしまう。どうも犬でもその姿を見られるのが恥ずかしいらしい。でも、今の犬はそんなことは無いらしい。誰が歩いていようが、見ていようがしているような気がする。しかし、今は草むらは無いですね。
グイグイと引っ張る犬もほとんど見ない。私なんて、いつもグイグイやられてた。恥ずかしいくらいにグイグイ。しつけが出来ていないと言えば、それまでなのですが、何度やってもダメでした。そんなに急いでどこへ行く。
今の犬は、みんな優雅に歩いている。しっぽをピンとして、まるでドックショーで歩いている犬を見ているようだ。たまにグイグイしている犬を見ると、なんか親しみを感じる。
中には歩くのが嫌いな犬がいる。少し歩いては、飼い主を見上げている。だっこして欲しいのだという。犬も運動を嫌うのか。糖尿だ、肥満だと人間が困っている病気にもなるという。犬のルームランナーを見たときはびっくり。番犬だった犬が、子供同様になり、いや子供以上の存在になって、かわいがられて、今時の犬はお犬様なのですね。
毎日更新したいと思って、やりだしたものの、書く事ってエネルギーがいりますね。
ネタはいろいろ書きためてはいるものの、それを読み返すと、なんか意味不明で、直したり、いろいろ手を加えたりしていると、打つのもそんなに早くない私は時間も掛かるのです。
早くないと言えば、私はカナ打ちなんですが、会社のマシーンはデフォルトがローマ字入力。で、まだひとりひとりにマシーンが無くて、共用パソコンとして存在しているパソコンを使うときに、カナ文字に変えて作業をするのですが、たまにもどし忘れてしまうと、ご長老が「だれだ。こんなことしたの。どうやったらちゃんと文字が出るんだ。」と、叫ぶのを聞くに耐えかねて、ローマ字入力にと思ったのですが、それこそ雨だれ。長い入力の時はカナにもどし、短いのはローマ字。と切り替えてやっていました。
しかし、ここ2年ほどでめっきり上達。それは、携帯メールをポケベル入力で打つようになったことが多く影響していると思います。「あ」を打つときに「ああ」になったりして。
で、会社ではローマ字、家ではカナ打ちと入力バイリンガルです。休み明けは会社で仕事をすると、一瞬指が遊びますが、すぐに慣れます。車のマニュアルギアと オートマチックを乗り換えたときの左足のためらいのようです。で、最近は個人にもパソコンを与えてもらったのですが、せっかく覚えたローマ字と言うことで、会社ではローマ字でやっています。ちゅうちょとか、ほんじゃなんて、打つときに指が止まりますが、慣れなんですね。なぜか、家ではローマ字にしたいとは思わず、しっかり指が切り替えを覚えていて無意識に打っているのです。自分でも不思議です。
さて、話を元に戻しまして、何回も、読み直して、推敲もして、アップしたのに、アップしてから読み直すと、やっぱり直っていないところがあったりして。まぁ、いいっか。と思う私です。
しかし、ここにエネルギーを使っていると、他のページに回すエネルギーが無くなってしまうことに気付きました。
故に、ここもしばらくぽちぽちやっていくことにします。#もっと文章が上手くなるといいのになぁ。
また、中学生が殺人をした。注意されたことを恨んでの仕返し。自分たちが図書館で騒いでいたのを注意されたという。それで、人数を集めて1時間半の暴行。角材などでなぐるける。保護者に連れられて自首をしたという。起こしたことを反省していると言う。
これだけ長い間暴行を続けたら、人間は死ぬと言うことに気付かなかったんだろうか。そのときはおもしろくてやっていたんだろうか。殴られたりしないで育ってきたので、痛みがわからないのか。それだけ人を痛めつけても、その後に平然といつもの生活に戻れるのは、どういうことなんだろうか。
ニュースでも会社でも犯行をした子供達を責めているが、確かに罪を犯したのはあの子ら。罪を憎んで人を憎まず。ではないが、彼らの生きてきた環境はどのようなものだったのか。その環境は大人が作ってきたわけで、親の影響は大きい。
しつけとか、小言とかそういうものではなく、生きていく環境。生活そのものの影響は大だとおもう。こういう事件が起きるたびに、彼らの食生活はどのようなものなのかと考えてしまう。今は、多くの母親も働いているので、出来合のものやインスタント食品ばかりを食べているのだろうか。総菜が豊富で、便利ですもの。
親に食事を作ってもらっていたんだろうか。楽しい夕食は過ごしていたんだろうか。おやつには何を食べていたのか。お昼は何を食べていたのだろうか。清涼飲料水はどのくらい飲んでいたのか。親が食事時に清涼飲料水を飲んでいる家庭もある。当然子供も飲む。それはどんな影響が有るんだろうか。
食事と脳の関係、食品添加物が身体、心に及ぼす影響。食べることの大切さ。に気付いているのだろうか。ただ、お腹が空いたから満たすだけの食事が多いように思う。食べれば、お腹に入れば同じじゃないか。って、それは違うのだけど、なかなか気付いてもらえない。楽しく食べる。これが大切なんだけどなぁ。たとえ出来合のものを食べても。
大人に注意をされて、それを逆恨みする。大人と子供の区別がない。それは、そのように育てられてきたのか。子供も甘やかせれば、大人より偉いと思ってしまう子供もいるだろう。犬だって甘やかして育てるとある日突然飼い主に歯向かう。自分の方が偉いと思ってしまうらしい。
子供の間違いは正してやるもの。しかし、その大人さえも、正しい判断が出来なくなっている人もいる。大人さえも、食べるもので影響を受けていたとすれば、子供の方がその影響はもっと大きいはずだ。大人が子供を怖がっていて、どうなってしまうんだ日本。
何かがおかしい世の中。政治の世界も、社会も、企業も何かおかしい。どこかでだれかがなんとかしなければ、日本は破滅する。一度、やっぱり今の食事を考えなければならないと思う。
夕方のスーパーのレジは混んでいる。どこの列が早く進みそうかと見渡して、短気の私は並ぶのである。同じように並んでいても私の方が先にレジを通過すると、なんだか得した気分になるのは私だけでしょうか。
しかし、予想に反してどんくさい人に当たってしまったり、超新人だったりすると、「あーあ、予想が外れた。」と思い、急いでいる訳じゃないからと自分をなだめるのである。
以前、レジの人にもノルマが有るような事を聞いたのですが、そのときは、どうやって自分のレジにお客さんを呼ぶのかと不思議に思っていたのですが、何のことはない、レジ作業を早くすれば、同じ時間でレジをこなす客数は増えるのですね。
昨今は、「見習い中」などの腕章をつけているので、並ぶ前からチェックできるので私はうれしいのです。見習い中でも、てきぱきとレジ作業をこなしていく学生アルバイトもいるのであるが、なんとも、なんとも、私が手伝おうかって思う人もいます。
私の行くスーパーのアルバイトは、なぜか男子高校生のアルバイトも多くいてなんとなく、可愛い子だな。なんて所の列にフラフラと並んだりして・・・
今日はいつのもスーパーではなく、初めてのスーパー。どこのレジも長蛇の列。私が買うのは醤油だけ。並んでいる人は、どうしてそんなに買うのだろうか。と思うくらい二つのかごに品物が満載の人ばかり。レジを見渡すと、二人組のレジが一箇所。これだこれだ。二人組の所は並びが長くても他より早いのよ。しかし、一人は見習いの腕章をつけた、か弱そうな男子高校生。まぁ、いいっか。と並ぶ。
レジの周りのものを見ながら並んでいた私。しばらくしても全然進まない。なんで。と思ってそのレジ台をみてみると、こんな事があるのぉ?
ピコピコと商品をポスレジに打って金額を告げる。普通はそのまま前方のレジでお客がお金を払い、終わる。すぐにそのレジでは次の人の会計をする。たまに、ピコピコレジの方が早くて、会計レジに溜まってしまう場合もあって、お互いが調整しながらやって行く、二人は手を休めることなく次々に客をさばいていくのが、二人レジのいいところのはずである。
しかし、しかしである、このレジは違った。ピコピコとする人は前の人の会計が終わるまで、次の人のピコピコを始めないのである。何を思うか、お客さんが会計を終わるのを見ているのである。会計レジはピコピコが終わるまで手持ちぶさた。二人で一人のレジであった。ひとりのレジより時間が掛かっているように思う。そのレジスターは同時には動かないのか!
のどの下まで「なんですぐにやらないのですか。」って、出ていた私だが、声に出すことは出来なかった。ここのスーパーはそれが当たり前だったら困るもの。しかし、後ろのおばちゃまも不思議そうには見ていた。こんなレジのやり方は、初めて見たわ。
並び変わるともっと遅いので、仕方なくそこに並んでやっと、私の番。代金を払う私は、細かいお金を財布から出すのに時間がかかってしまった。なんかうしろのおばちゃんの視線を感じる。悪いことをしているような気になってしまった。私がわるいの?
私は温泉が好きです。かけ湯して、軽く身体を洗って、湯船にのんびりと浸かる。景色でも見ながらぽーっと過ごすこの時が何よりも好きである。浮き世の嫌なことは忘れてしまう。
しかし、ふとカランの方を見ると、そこは泡泡泡。シャンプーの泡、ボディーソープの泡。どうしてこんなにアロエのボディーソープが充満したんだろう。
何時からだろう。こんな山奥の温泉場から排出されるこの泡はどこへ行くのだろうか。一昔前ならば、温泉では石鹸を使わなかったし、環境保護からも使わない所も有ったはずだ。この施設には浄化槽が有るのか、それとも下水が完備されているのか。それとも垂れ流し・・・
今は、どこにでも合成シャンプーが置かれている。石鹸の姿を見なくなったなぁ。
そういえば、尾瀬のお風呂は石鹸も使ってはいけなかったなぁ。湯船につかりながら、シャンプーの泡の行方を考える私でありました。そんなことに疑問を感じるのは私だけなんだろうか。
ここ数年ベランダ蛍族が増えているけど、マナーは守って欲しい。家の中がたばこ臭くなるとか、煙の害、子供に対する影響を考えて外でたばこを吸うのでしょうが、灰をベランダの欄干で落としたり、吸い終わったあとは、そのままポイ外に投げ捨てるのはいったい何なんだろう。
自分の所ばかりがきれいならばいい、自分のところが安全ならいいってどうして思うんだろうか。
階下の家のベランダに灰は降ってくるし、臭いだって進入してくる。そして、ある家では、車の屋根に火のついたままのたばこが落とされて、焦げてしまった、と言う。火ぐらい消してよ。
夏のスキー場のリフト付近にはたばこのフィルターがまるで花のように落ちている。これも自分さえよければか。なんか、世の中自分だけ良ければいいって人が多すぎる。
私の生活にキッチンタイマーは切っても切れないです。特にパソコンを始めてからは絶対的必需品です。
タイマーが無いと、魚は真っ黒、お湯は沸き放題、洗濯機は止まってから何時間も過ぎている。
最初はお茶を飲むために買ってきたのに、今では、料理をするときには当然で、生活すべてが、タイマーのブザーです。何でもタイマーを掛けています。
とにかく、他のことをやるとすっかり前にやっていたことを忘れてしまうし、こうやって書き込みなどをしていると、思いの他時間が過ぎていくのが早いんですよね。
最近では、携帯のタイマーも大いに活躍中。事務所が移転し、通勤時間が40分も多くなって、当然起きる時間も早くなり、睡眠時間も減りました。
そして、座って行ける連続30分の乗り心地はすこぶる良く、席に着くなり、睡魔に襲われる。この電車の中で新聞を読もうなんて、思っていたのに、新聞や本を開くまもなく睡魔が襲う。地下鉄ってやつは景色も見えないので、余計に睡魔に襲われるのでしょう。
何度も寝過ごしてしまった。帰りはまだいい。しかし、行きは困る。始めの電車は終点なのでその先には、進まないが、折り返し運転。ふと気付くと周りには誰もいない。時計を見ると到着から3分が過ぎている。アチャー。当然、調度よい乗り継ぎの電車には乗れない。余裕の通勤時間なので、遅刻はしないけど、折り返さなくて良かったと安堵するのである。
帰りも、気付くと電車のドアが閉まった。あっ、私のえきぃーーー。私の駅が過ぎていく。
起きた瞬間に、この駅は私の駅より前なの、後なのと、とっさに判断が付かないときがある。しかし、こんな時はけしてあわてて降りてはならないのである。あわてて降りると手前の駅だっりするのである。
こんな時は一つ乗り越しもていい気持ちで、ゆっくりと判断機能を動かすのです。そして、次の駅で降りる私です。たった15分の乗車時間なのに、なんでこんなに熟睡したのだろう。
あーあ、前はこんな事ほとんどなかったのになぁ。で、考えたのが携帯のアラームとイージータイマー。乗換駅で、アラームがバイブで知らせてくれ、帰りは乗ってから30分後にイージータイマーのバイブを設定する。しかし、良くもまぁ、こんなに熟睡できるものだと、自分ながら感心するよ。
今、家では3個一緒に計れるキッチンタイマーも加わって、4個です。これらのタイマーが一斉に活動する事も有るんですら、すごいものです。しまいには、何でタイマーがなっているのかわからなくなったりして。アチャー。
やっと、公開までこぎつけた。ファイルは出来たのに、アップロードが出来なくて悩みました。でも、出来た。出来た。構想3年。制作を始めてから半年ほど。
冬には公開と言う目標でしたが、本当はお正月にやりたかったけど、出来なかった。とにかく出来てよかった。
ここのページは日々書きためて来ましたので、順次アップしていきます。