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achaの言いたい放題
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最近、あちらこちらで犬のうん○を見る。一時はほとんど見なかったのに。
それも、草むらや街路樹の根元ではなく、歩道の端だったり、真ん中だったり。前に、歩いていた犬が突然オシッコをした事は書きましたが、うん○も場所を探して心地いいところにする習慣は消えてしまったのだろうか。行き当たりばったりでしたように見える。
いや、そんなことよりどうして飼い主がそのままにしているかってこと。
一つあると、連鎖反応のようにある。あそこにあるから、うちの子のもいいか。とほったらかして行くんだろうか。私が小さい頃は、草むらや道の端っこにはうん○が有る可能性が高いから、気をつけて歩いたり、そばに行かなかったりしたものだった。それでも、下など見て歩いていない私は何度も踏んでしまったことはある。だから、犬のうん○は始末しましょう。って始まったときは嬉しかった。
それが、どうして最近またほったらかしが増えてきたのだろうか。この前なんてマンションの廊下に転がっていた。あれには呆れた。道ばたならとにかく、自分の住んでいるマンションの廊下の真ん中に。
我がマンションは動物飼うのは申請すればOK。そして、公共の場所、ろうか、エレベーターなどは抱っこをする。というのが決まり事。ということは、廊下のうん○は抱っこしていればあり得なかったはずである。
たとえ、してしまっても始末はすべきで、こんな事も出来ないのならば飼う資格はない。消えたうん○はだれが処理していると思っているのだろうか。消えたからそれで良しなのだろうか。
この前テレビを見ていたら、ペットを飼うのがブームで、特に小型犬が人気があるらしい。ミニダックスが流行りだしてからも、ずいぶんたつが、最近はチワワの人気もすごいらしい。
ミニブタもペットとして人気があるという。流行っているから、可愛いから。癒されるから。だけで、飼っては欲しくないものだ。犬自体も自分が犬だということを忘れてしまい、本能を失った犬もいるといる。ペットとは何だろう。
私の知り合いにも、随分前に犬を飼っていた。寂しいから犬を飼ったといい、すごい可愛がりようだった。自分もきれいに着飾っておしゃれな人だったけど、犬にも随分とお金を掛けていたようだった。でも、たまに彼女の服からオシッコ香水が漂ったりして。
その犬は、どこへ行ってもどの家に行ってもわがまま放題。芸はない。なにも教えてないの。と聞くと、お手も、お座りもしないという。芸どころか躾も全然していなかったのだ。
彼女のアパートの部屋はどこでもトイレであった。オシッコ香水はそれだったのだ。トイレは何度か教えたけど、覚えないので諦めたという。確かに、1日のうちで一緒に家にいる時間は少ないから難しいのかも知れないけど、躾は根気が肝心なのだ。それにしても、よくもこの臭いの中で寝られるものだ。とびっくりやら呆れるやら。
もしかしたら、ブームに乗って飼った人たちが、うん○をやりっぱなしなんだろうか。そうは思いたくはないけど、飼った以上はちゃんとして欲しいし、そして、ブームが去ったからと生ゴミには捨てないで欲しい。
同世代だった。ヒポクラテスを見たとき衝撃を受け、その時から気になる役者になったのです。ショックです。春になると天に昇りたくなるのかなぁ。もう少しどうにかならなかったのかな。ワイドショーではいろいろとやっていますが、見たくない気持ちと、知りたいという気持ちが交差してます。
確かに30代に入った頃から、怖いくらいの演技だった。ヒポクラテスの時とは変わってきていた。趣味が役者だったそうで、息詰まっていたのだろうか。もう少し気楽に生きて欲しかった。自分で自分を縛り付けたり、自分を持っている人ほど、自分で道を選んでしまうのだろうか。
自宅の部屋っていうのが、追いつめられていたのではないかと思う。せめて外へ出て欲しかった。外へ出ていけば、踏みとどまることも有ったかも知れない。何かに取り憑かれているものが落ちたかも知れない。
もう、あのしゃべりを聞くことが出来ないと思うと、寂しい。ご冥福をお祈りします。合掌
過去の日記を読み返していたときに、思い出しました。私は中学の頃から万年筆を使っていたのだ。そうだ、あれはどこへ行ったのだろうか。
会社に入ったときからボールペンで字を書くことになったのですが、最初の頃は本当に嫌でした。字を書くならば万年筆か鉛筆。これが一番と思っていました。
鉛筆のシャリシャリとした感覚がいいんですね。働きだした頃はまだ職場に鉛筆削りが有りました。だから、鉛筆を使っていましたが、いつの間にかその鉛筆削りもなくなってしまいました。
そして、いつの間にかシャーペンとボールペンの世界。そして、いつの間にか慣れてしまいました。それでも、会社で支給されるものではなく、自分でいろいろと探して少しでも使いやすいものを使っていました。
海外出張に行く人には、パーカーのポールペン買ってきて欲しいと頼みました。本体の値段より、日本で買う替え芯の方が高いんですよね。だから安い本体を何本も買ってきてもらったのです。一時、ポールペンが1カ月くらいしか持たないほど、字を書いていた時代が有ったのです。でも、あのころは業績も良かったし、会社ライフは楽しかったなぁ。
ドクターグリップが出たときも嬉しかったです。ポールペンで書くとなぜか筆圧が強くなってしまうので、太くないと疲れて疲れて。
もう仕事でポールペンを使わなくていいんだ。そうだ、また万年筆を使おう。絶対に万年筆の方が字が上手く見える。そう信じている私です。そして、机の引き出しをがさごそと探したら、3本の万年筆が出てきました。
中学、高校の頃に買った安物と、叔母に就職祝いに買ってもらっパーカーです。何年もやりっぱなしだったので、固まっている。2、3日ぬるま湯の中でつけて置いた。何度も何度も水を取り替える。
そして、文房具売場に行って驚いた。もう何年もたっているのに、カートリッジが同じなんです。まだそのまま使えるんです。妙に嬉しくなりました。
売場のお姉さんも大丈夫ですよ。同じですから。という。ぬるま湯につけてあるというと、それで出なければ分解掃除をする事になります。と言われた。
早速、家に戻ってからブチッとカートリッジを入れて何度か振るとしっかりインクが出てきた。書ける書ける。懐かし感覚。いい書き味。やっぱり字を書くには万年筆だ。
44年も続いたテレビ朝日の大相撲ダイジェストが秋場所限りで終わるという。平成5年の春場所には最高視聴率26.7%で、今場所は17日の9日目までは2.6-6%と低迷していると新聞に書いてあった。平成5年は「若貴」の人気絶頂期だ。私も毎日のように見ていたし、結びの一番は会社の食堂で何回か見た覚えがある。
この大相撲ダイジェストがこんなに昔からやっていたとは知らなかった。いつの頃から見始めたのだろうか。巨人、大鵬、卵焼きって言葉は知っているけど、巨人は好きじゃなかった。中学生の頃は相撲はリアルタイムで見ることが出来たけど、高校に入った頃は5時に家に帰ることはほとんどなかったのでこのころから見ていたのだろうか。でも、あのころは11時過ぎにはテレビは余り見たことがなかったような。それとも、このころに2台目のテレビが我が家に登場したかな。
若貴も好きだったけど、なぜか一番好きだったのは北尾のちの双羽黒。このころは絶対的にリアルタイムで見るか、聞くかしていた。ラジオで聴いてもどうなったのかサッパリ分からないけど、勝敗だけは分かる。そして大相撲ダイジェストで再度確認。何が何でも見ていた。
会社で見たときは、それぞれが自分の出身地の力士を応援したり、結構盛り上がっていた。なんであんなに夢中になってみていたんだろう。
北尾が双羽黒になって横綱になって、アッと言う間に事件を起こして破門になった。短い横綱だった。優勝は一度もしていないのに横綱になって、本人もいろいろと大変だったと思う。
私はショックでした。59年の入門だというので、入幕前から応援だったのだ。あんな形で辞めてしまったので、気落ちしました。少しの間相撲から遠ざかったかな。
でも、貴乃花が千代の富士に勝った一戦はちゃんと見ているんですね。
昔の力士の方が、個性的だったし特徴もあった。魅力があったよなぁ。どんな相撲を取るのか楽しみだった。武蔵丸がなかなか曙に勝てないときは、なに遠慮しているんだ。ドーンとやれ。なんてテレビに向かって叫んだものです。そして、初めて勝ったときに、やれば出来るじゃないか。と言ってしまった。
琴風は友達の子供がそっくりだったなぁ。昔の力士を思い出してみようとしたが、結構忘れてしまっているものだ。輪島、高見山、隆の里、貴の花、多賀竜、青葉山、陣岳、隆三杉、麒麟児、蔵間、板井、旭国、若島津、逆鉾、朝潮、保志、北の海、北天佑、琴風、そして水戸泉、寺尾。寺尾は38軍団の中で一番最後まで頑張ったのよね。凄いわ。昭和の30年代生まれの力士がどんどん引退をしていく頃から、私は相撲から離れたのだろう。
貴乃花の引退をいろいろなメディアで見たけど、綱を張っていくと言うことは、相当のプレッシャー。歴代の横綱で何年も張ってきた人たちの精神力は凄いものなんだろう。今後も長い期間、綱を張れる横綱がいるのか不安だが、もしかしたら精神力より、怪我で続かなくなるのだろうか。
今の相撲には「覇気」がない。立ち会いの時から迫力がない。やっぱりあの立ち会いの息もできない緊張感のある相撲が数少なくなったことで、ファンも消えたのだろうか。私もここ5年ぐらいはほとんど見ていない。スポーツニュースでちらりと見るくらいになってしまった。あら、まだ頑張っているんだこの人と思ったりしている。だから、貴闘力が引退したことはずいぶん長い間知らなかった。
視聴者層変化と新聞には書いてあるが、視聴者が変わったのではなく、けが人ばかりで覇気のなくなった大相撲に魅力がなくなったのだろう。日本全体がぬるま湯につかってしまったこの時代になにが緊張感を与えるのだろうか。
全国の制覇の旅もあと和歌山を残すだけになりました。その和歌山にも今月中には行けそうです。20歳の頃に廻りの人間が我も我もと海外旅行に出掛けるようになりました。そして、海外の魅力を語るのです。
もともと、和製な人間だった私は、「どうして日本の事を知らないのに海外の良さが分かるのよ。絶対におかしいよ。私は日本を知ってから海外に行く。」と宣言したのでした。
当時は海外旅行の費用も高かったし、飛行機に何時間も乗るなんて考えただけでも嫌だったので、そんなこともあって宣言をしたのかも知れません。
あれから、長い年月がたち、国内旅行よりも海外旅行の方が安くなったり、ヨーロッパへ行くのにも直行便も出来、随分と飛行時間は短縮されたようです。
その間何度となく、海外旅行に誘われたり、行く計画も立てたことも有ります。でも、不思議なことにいろいろな事情で行けなくなってしまうのです。
10ヶ所を切ったときに悟りました。そうか、自分が宣言したことは守らなくてはならないのだ。だから、行く機会が失われるのだ。なんて、変な悟りですがそれで納得したのです。
それからはかたくなに海外旅行の誘いは断り続けてきました。最近は夫が海外旅行に凝りだしたので、私を誘うのですが、やっぱり断っています。そんな訳で去年から制覇に向けてのダッシュが始まったのかも知れません。
あと一県になったので、全国制覇の旅のリストを完成させようと、昔々の日記とアルバムを引っぱり出してきました。
私は中学の頃から日記を付けていましたが、まさか将来こんな事に役に立つとは思いもしませんでした。
旅に出た日のことを追いかけながら、読んでいるといろいろな事を思い出します。1行日記だった時代や、感情がこもった日記を書いていた時代。ずーっと書いていない時期もある。今読むと何に怒っていたのか主語がないので分からないものもある。
一言読むだけでその日のことが昨日のことのように思い出す日もある。書いていない日のことを何で書かなかったのか。それさえ思いだした日もある。私の青春だったなぁ。なんて感慨にふけってしまった。
短い日記を書いているので、こんなずぼらな私でも続いていたのでしょうね。基本の形はビジネスダイアリーですから。青春時代が過ぎた日記の内容は、その日の行動と体調が主な項目ですね。不思議なことに毎年同じ時期にお腹が痛くなったり、不調になったりしているのです。
今では、パソコンの3年日記になっていますがつけています。3年前の今日のことが分かるもの楽しいです。今年は手書きの10年日記にしたかったのに、やっぱりあの大きさでは取扱がだめかなぁ。不精者には不精者の方法があると今年も3年日記です。
不精でずぼらな私がよく続くと思うのですが、最近は物忘れも激しいので、何かに残しておかないと忘れてしまうのです。あとは書いたことさえ忘れないようにならないことを祈ります。
でも、つけていてよかった。あの日記がなければ私の全国制覇の旅は完成しなかった。
このままじゃ日本は崩壊だ。国家危機だ。日本は病んでいる。どうしてこうも毎日殺人事件が起きるのだ。どうして簡単に人を殺すのだ。どうしてそんなに簡単に人の物を盗むのだ。逆上するのだ。どうしてだろう。
世界状況も緊迫していて、どのように日本に影響するか。そんなことは誰が知っているのだろうか。でも私が国家危機だ、破滅だ破壊だというのは、そんな事ではない。そんな大それた事はわからない。そんな遠くのことでなく、もっと身近なこと。
本来の日本人の生活をしないと、日本の将来はない。お箸をちゃんともてますか。1日にご飯をどのくらい食べますか。1日にカタカナ語のご飯をどのくらい食べていますか。
南瓜の煮物食べますか。鯵の干物食べますか。今の旬の野菜食べてますか。みそ汁飲んでますか。鯖の味噌に作れますか。お新香は好きですか。
何で、日本人が日本人で有るための文化をこうもあっさり捨ててしまったのだろうか。西洋かぶれ。しかし、散切り頭をたたいてみれば…の言葉が有るように、明治時代からまねっこ。
ここの所70年代もののリバイバルや昭和30年代の物が新しいものとして、今は受けているという。CMに懐かしい歌が出てくると思わず口ずさんでしまう。いい歌が沢山あった。歌詞がよかったなぁ。
今なんて横文字ばかりでなんの意味なんだか、私にはサッパリわからないし、歌手の名前も横文字やカタカナが多い。日本人の歌なのか、外人なのか。芸能界情報に疎い私にはさっぱり。
何かの機会に見ることがあると、ああ、日本人だったのか。と気付く。新聞のCD売れ行きトップ10などを見ると、漢字やひらがなの名前の人の方が少ないのだ。私などは読み方さえわからない。
30年代は、誰かがもはや戦後じゃない。なんていい、国民所得倍増計画。西洋の生活、西洋のご飯、タンパク質を摂りましょう。お肉をたくさん食べましょう。それらがだめだったとはいいたくないけど、どうしていとも簡単に日本の伝統文化を切り捨ててしまったのだろうか。共存は出来なかったのだろうか。
どこの国でも新しいものは受け入れながら、自分たちの伝統、風習は守っていると思う。そして、それらを守らないと将来が無いと思う。
新しいものが好きであり、戦争という物を経験してきた人は、戦前にしてきたことがすべて悪かったから戦争に負けたと思い、すべてを西洋式にして新しい日本にしたかったのだろう。
どうして頑固にも伝統を守ろう、パンなんて食べたって腹の足しにもならないという声が大きくならなかったのだろうか。
日本の食糧自給率が40%を切っている。目の前にはたくさんの食べ物が有るのでそんなことは考えたこともないだろう。輸入が途絶えたら日本はどうなるのか。自給率が下がっても、物は金で買って来ればいいのだ。という。しかし、買うものがなければいくらお金があっても買えやしない。自国民が食べるのにやっとなれば、どうして日本に売ってくれようか。
消費期限や賞味期限が切れたからと、それだけで大事な食糧が廃棄されていく。自給率は先進国では最低なのに、残飯率は60%。そして手つかずで捨てられる物が9%も有るという。恐ろしいことだ。今日食べるものがなくて困っている人もいるというのに。
先進国でも自給率は上がっている国が多いのです。それなのに、日本は…
一次産業がしっかりしなければ、基盤がしっかりしなければだめなんだ。自分の国で、自分たちの手で作ることを尊ばなくては将来はない。どうして、政府は減反ばかりするのだろうか。食べないから、余るから。余らない方法を考えたのだろうか。地方に行って、休耕田を見るたびに悲しくなる。もっと農業を守りましょうよ。
海外に生産拠点をどんどんと移している大会社よ。今はいいかも知れないけど、日本の製品を作らないとなったらどうするの。今は人件費が安いかも知れないけど、技術は日本にも残しておかないと大変なことになる。
せめて、自分の国で自分たちの食べるものは作りたい。お金で食糧が買えなくなれば化学で作り出せば良いと思っているかも知れない。化学物で腹を満たしていれば人間は病む。まがい物、偽物を食べていれば考えも病む。この病みに飲ませる薬は、自分たちで作った物をたべることだろう。
このいろいろと起きる事件の根源は何なんだろう。何か事が起きれば対処療法で手先の法律やルールを変えて、処罰しようとする。そうじゃなくて、根源を変えなければいつまでも同じ事の繰り返し。
どこの刑務所も満杯だという。定員オーバーだから起きる事件もある。定員オーバーだから刑務所を増やすのではなく、刑務所に入る人を減らす、事件が起きないようには出来ないのだろうか。
せっかく70年代や昭和30年代が流行っているならば、食・生活そのものも40年前に戻ってみれば、日本病も少しは回復するかも知れない。
ここに引っ越してきてこの2月で丸6年が過ぎた。前半の3年は仕事が忙しくて家に帰ってくるのは早くて8時。その時間からご飯の支度をして食べ終わると10時ももうお風呂には入って寝るだけ。休みの日はたまった洗濯物や家事仕事。
どこかへ出掛けたい病でも有るので、家のことはほったらかして2日間とも遊びに行くこともある。帰ってきて楽屋裏状態になっているリビングを片づけるほど気力も体力もないので、またそのまま一週間が過ぎる。そんなことの繰り返し。
そして後半の2年間は仕事は暇になった物の、からだがいうことをきかない。家事はほとんど出来ない状態。最低限の家事で過ごしていた。
埃じゃ死なないと思っても、陽が当たるとコロコロとどこからともなく現れる毛埃を見るとイライラ。でも、からだがいうことを聞かない。ああジレンマ。
そんな6年間だったので、日常最低の掃除がやっと。いや、週常だわね。
いつの日からか、靴下が妙に汚れる。裏が真っ黒になるんですね。二人とも真っ黒。どうしてだろうと思っていたら、フローリングだという。フローリングのワックスが取れてくると汚れやすくなり、その汚れが靴下に付くのだという。
うーん、考えてみれば引っ越ししてからその後一度もワックスを掛けていない。かけなければね。と思いつつ3年が過ぎていた。
仕事を辞めて7ヶ月。やっといろいろと余裕が出てきた。掃除も以前よりはやるようになった。
ここの所肩こりが激しいので1時間パソコンに向かったら少し身体を動かそうと決めたので、肩の運動がてら固く絞った雑巾でフローリングを拭いてみると、ほんと真っ黒だ。こんなに汚いんだもの白いソックスが汚くなるわけだ。
フローリングは水拭きをしてはいけないと聞いていたので、ほとんど拭いたことがなかった。こんなになっているとは思いもしない。そして、よく見るとひび割れしていることを発見。
黒いしひび割れ。こりゃまずいなぁ。腰を上げるまでは時間が掛かるが、気が短い私。考えていたらまた出来なくなると思い、フローリングが出ているところだけをワックス掛けしてみた。
そして、6年目にしてやっと、リビングの4分の1程にワックスが掛かったのです。風呂上がりに裸足で歩くと気持ちいい。キュッキュッとという。そしてかすかな光で光っている。掛けたところと掛けないところでは、光方も感触も違う。
ワックスを掛けるのに家具をどかさなければとか、いろいろ面倒なことが先に立ってしまい、ワックスを掛けなければ、掛けなければと、思いつつ3年も過ぎていたのである。
なにもそんなに大騒ぎをしてかけなくてもいいんだ。表面が出ているところ、歩くところをかけるだけでもよかったんじゃないのさ。と6年目にして気付いたのでした。
ワックスには2、3週間に一度掛けて下さい。と書いてあるったのだが、そんな時間はどこにあるのよ。と思っていた。出来るところだけ掛けたっていいんじゃない。私はやっぱり間抜けだね。
前回の「さ」を書いてから、2ヶ月も過ぎてしまった。この「し」は実は何度も書き換えている。書きながら自分でもいろいろと迷ってしまったのです。
同じように育てた二人の子供が、全然違う生き方をする。たかが3歳しか違わないのに、生きているのが別世界なんですね。いったいこれは何が原因なんだろう。と思ってから、私の考えは間違っているのか、いや、いいんだ。と葛藤していましたが、自分の判断に軍配を上げることにしました。
しは躾。私には子供がいないから躾は関係ないかなぁ。と思っていたけど、身が美しいと言う字を見ていると、自分自身を磨くことも躾なのかなぁ。あんまり人のことをとやかく言えるような立派な生活をしているわけじゃないけど、今の子供の世界があまりにも変。
それは、子供が変になったんじゃなくて、親が変になったんだと思う。親に威厳が無いというか、自信がない。友達親子もいいかも知れない。でも、やるときにはやる。人生の先輩として子供を叱ってもいいと思う。優しくするのは簡単なんですね。友達親子は子供が成人してからなるものだと思う。
客観的にみると、今の親って子供に対して強くなれないのかな。と思う。信頼関係が無いのだろうか。もっと子供を叱っていいと思う。ファミレスでかけずり回っていても、エレベーターの中ではね飛んでいても、他人に迷惑をかけていても、注意をするわけでも、叱るわけでもない。他人に迷惑をかけていても、自分の子供が安泰ならばいいのだろうか。
他人様に迷惑をかけてはいけない、と言う基本的なことを小さい頃から教え込んで欲しい。人に挨拶が出来る。と言うことも大事。いくら叱ったって親だもの、道理が通っていれば、嫌われることはないと思う。そして、子供にも反省をする時を作ってあげて欲しい。叱ったり、ほめたり。この手綱さばきが難しい。
叱ると、怒るの違いを把握していないのだろうか。あんまり叱ると世間から虐待って思われるのじゃないか。と心配する人もいるようだけど、虐待と叱ると怒るは違う物です。躾ることは叱ることも含まれていると思う。
親にも叱られたことが無い子供が、他人に何かを言われて素直に認められる訳がない。逆上してキレてしまうのは当たり前かも知れない。叱られ免疫の少ない子供が多いんじゃないだろうか。
昔は、近所に怖いおじさんやおばさんがいて、ちゃんと叱ってくれた。いいことと悪いことの区別が付くように自然と世間が一緒になって子供を育ててくれたのですね。
今じゃ、ちょっと注意したり叱れば、うちの子が何をしたというのです。と喰ってかかられるらしい。柔道や空手の道場でもたたいて教えることが出来ないらしい。親がビデオカメラで練習風景を取っていて、たたこうものなら、すぐに告訴だという。子供もたたかれる理由を理屈で求めて来るという。なんのために柔道や空手を習わせているのだろうか。
自分の子供を満足に叱ることも、注意することも出来ずに育てる。子供が家の中で一番偉いような錯覚さえ起こす。いや、一番偉いと思ってしまうのだ。親はなんでも言うことを聞くし、ちゃんと出来ないと子供に謝るのだから。
反抗期に反抗的な態度を取り始めたときにいくら叱ってもだめ。もう遅い。今までが花や蝶だ、あなたが一番よ、可愛い息子よ、娘よ。と、甘やかして育ててきたんだもの。その人から突然叱られても、納得は行かないし、理解できない。
どうして、今までは自分の思うままでよかったのに、今はダメなのか。全然理解できない。と、子供の理屈は通っている。今まで、ちゃんと教えなかったツケなのです。
しかし、親は親で納得が出来なくて、感情的になって怒り出す。でも、子供には関係ない。あんまりガタガタ言うから、じゃまになって逆恨みで刺し殺してしまう。と、少し過激な考え方かな。
どこそこのおじさんの怒られるから止めなさい。とか、あのおばさんが見ているから止めなさい。という注意の仕方は絶対に止めて欲しいものだ。ちゃんと理由をわかるようにして欲しい。
だれにも叱られないし、注意もされないことはやっていいことと認識してしまう。そして、周りは注意をすれば逆ギレされることが怖くて何も言えない。
お小遣いは贅沢にもらい不自由はしない。その許容範囲は大きくなるばかり。親がリストラや減給されて収入が少なくなったからと、お小遣いを減らせば、キレる。あげくの果ては、金ほしさに、ひったくりに、援交、銀行強盗。働いてお金を稼ぐって事さえも知らない。
そして、自分の子供が怖くて手に負えないからと、知らんぷり。もしくは、どこかの施設に相談はまだいいけど、家庭内暴力に困り果てて、だれにもそんなことは相談もできなくて夜中に夫婦で暗黙の了解。
どうにもならない、出来ない。そんな気持ちもわからなくはない。しかし、子供だけが悪いんじゃないことに気付いて欲しい。だれのせいでこんな考えになったのか、少し考えて欲しい。
できれば、小さい頃にたたき込み、中高校生になったら自分で考えなさい。と突き放すぐらいでもいいんじゃないだろうか。いつまでも、子離れできない親もいる。
ああ、この先世の中はどうのようになっていくのだろうか。我が家の近くの公園に「考えて、それはやっていいこと、悪いこと」という標語が有るのだが、いいか悪いかの判断を自分でする躾を受けていない者に、そんなことを言っても関係がないのである。親が、大人がちゃんと教えないといけないことを、教えないでいる。教えないのに答えさせようとしてもだめなのである。
子供をしっかりさせるためには、大人もしっかりしなければいけない。しかし、今の世の中、子供の手本にはしたくない大人が多すぎる。
今の変な世の中の被害を被っているのは子供達じゃないだろうか。社会の一番小さな組織は家庭だと思う。その一番小さな社会ので生き方を習わないのだから、大きな社会に出ても生き方はわからない。三つ子の魂100まで。
と、過激的で、飛躍的な考えを書いてしまいました。
全部が全部、みんながみんな、だとはまったく思っていません。ちゃんとしっかり子育てが出来て、良し悪しの判断が出来るこ子供に育て上げた人もいます。その子の素質とか、持って生まれた性格とか、いろいろと有るから親も大変だと思います。
あとは食べもでも変わる。食べ物でからだや脳が出来ていくのだから、変な物を食べて、変な脳になれば、だれがなんと言おうとだめだろう。人に良いと書いて食。いいものを楽しく食べさせたいものだ。
しっかり子供の顔や目をみて育て、しっかりした物を食べさせれば、子供の世界も変わっていくのではないだろうか。
自転車を止めるために道を少しの間ふさいでいた小学生が後ろの人に向かって「すみません」と言ったり、エレベーターに乗ったら「何階ですか。」と言ってくれる小学生などに出会うと、当たり前の事なのに、日本もまだまだ捨てたものじゃない。とも思ってしまいます。
自分の子供だ、人の子だ、と分けないで、昔のようにみんなの子供、子供は宝、みんなの財産。未来へ通じる子供。と言う考えは出来ない物だろうか。
こんな事を考えていたら、ここの所こんな話が新聞やテレビで話されている。やっぱり同じ様な考えの人はいるんだ。
テレビドラマなどを見ていると、大人の箸の持ち方が気になる。素敵な人だなぁ、と思っていた人が、ひどい箸の持ち方をして食べている姿を見ると、興ざめしてしまう。やっぱり、食べ方も素敵にして欲しい。逆に、きれいな箸の使い方食べ方をしている人を見ると、印象が悪かった人も、見直してしまう。
日本人がどんどん箸を使えなくなる。下手になっていく。日本びいきの外人の方が上手い。最近の外人さんは箸の持ち方を練習してくるのでしょうか。私たちが中学高校の頃にテーブルマナーとして、ナイフとフォークでの食事の仕方を習ったように、箸での食べ方を習ってから日本に来るのかと思うほどです。
なんで、日本人は箸の持ち方がへたになったのでしょうか。食事の変化にも原因は有ることでしょう。1日3回の食事では何回を箸で食べるのでしょう。きっと、箸を使う回数が減ったのも原因の一つでしょう。
そして、弧食化、個食ともいいますね。家族揃って食事をする機会が無くなったので、箸の持ち方を教えるときがない。弧食化は食べることの大切さも楽しさも教えることが出来ない。
会社に入ってくる新人でも、随分と変な使い方の人がいます。上司や先輩が「なんだおまえの箸の使い方は」と、見かねて教えたりしました。親はなにも言わなかったのかと聞くと、小さい頃には言われたけど直らなかったと言います。親はいずれ直ると思っていたのでしょう。本人は、これでいいと思っていました。
まだ、一昔前までは、そうやって、上司や先輩が後輩に対していろいろ言える環境が有ったかも知れませんが、いまはどうなんでしょう。
変な使い方をしていても、口に出さず心の中で「あいつの箸の使い方はなんだ」と思っているのでしょうか。
お弁当を持ってくる女性の何割がスプーンやフォークで食べていることでしょう。どうしてでしょうか。自分は箸の使い方が下手だから、人前では箸を持ちたくないのでしょうか。
普通の箸が使えなければ、料理に使う長めの菜箸なんて、全然だめでしょうね。だからなのか、最近は菜箸でなく、アメリカの料理番組で使うような物が増えてきましたね。
器用だと定評のあった日本人の指先はどんどんと不器用化していくのでしょう。だれからも矯正されることなく大人になって、自分の子供にも教えることが出来ない。と言うことは、どんどんと箸の持てない日本人が増えていくのでしょうか。
最近は、箸の持ち方矯正道具も売られているらしい。もしくは、洗濯ばさみを箸につけるとちゃんともてるようになると何かに書いてありました。
お箸の国の人だもの。ってCMが有りましたけど、やっぱり日本人はお箸を使って、きれいな食べ方をしたいですね。
風邪が流行っていますね。熱が下がったあとは咳攻撃なのでしょうか。咳をしている人も多いです。わが夫も咳が数日残っていました。
不思議なのは電車の中で口を覆うわけでもなく、咳をしている大人は何でしょう。子供にだって手を使いなさい。と教えますよね。たぶん。
大人なんだから、せめて手で覆って欲しいですね。ハンカチとかタオルとかで押さえてくれればいいんですけどね。
咳をしている方は周りのことは気にならず、されている方は自分の所に菌が飛んでくるのではないかと気になる。
自分ではもう喉は痛くないし熱もない。だから外出したり、仕事に行く。でも、咳が出るのならばマスクはして欲しい。どうであっても。
やっぱり、目の前の人が咳をすればいい気はしない。こんなに咳をしている人が何もしていないのならば、咳が出ないこっちがマスクをしないとならない。
しかし、まだ電車の中や外ならばゆるそう。エレベーターの中でも小部屋間中でもゆるそう。しかし、しかしです。食べ物を食べるところでは止めて欲しい。スーパーの総菜売場の前では咳をするな。と言いたい。
そして、私はパン教室に行っても咳の攻撃に会いました。パン教室はいつものクラスではなく、臨時の講習会でした。
斜め前に座った人が咳をするのです。初めてご一緒した人でした。それも、タオルとかで口を押さえるわけでなく、手で押さえるんです。それも前を向いたまま。
さすがに作業中は咳をしてはいませんでしたが、説明中に咳を押さえた手で、パンを作るのです。当然、パンは素手で作るのです。
焼くから菌も滅菌できるのだろうとは思うけど、出来上がったパンを分けるときに、あの人が作った物がこの中に混じっていると思うと、いい気持ちはしません。
顔見知りだったら、咳が止まらないんだね。大丈夫とか言いながら、きっとタオルを使ったら。とか言えたのでしょうが、値が小心者ゆえ、昨日は何も言えませんでした。私だけがそんなことに神経質になっていると思われるのも嫌でしたから。
もっと、風邪の状態がひどければ当然欠席したでしょうが、欠席するほどの症状でも無かったので、出席したのでしょう。なんでせめてマスクをしてこないのかと思いました。
風邪を引いている本人は廻りには気が行き届かないのだろうとは思うけど、食べ物を扱うのだからもう少し神経質になっていもいいんじゃないかなぁ。と思ったわけです。
昨日一緒に講習を受けた人で、こんな風に思った人は他にはいなかったのだろうか。
マスクは人のため?自分のため?
もしかしたら人混みにはいろんな菌が有るから、咳防御だけでなく、マスクは元気でもしたほうがいいかも知れない。と思ったのでした。