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achaの言いたい放題
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統一地方選の第2段が始まったと言うが、この前の選挙結果を見ていたらすごいのを発見してしまった。5票差で当選し、落選した人がいるのだ。
いくら、算数に弱い私でも下一桁の違いで当の字が有るのとないのには気付く。普通は3桁ぐらい違うので、何票差で当落のしたのかはよく分からない。
でも、5票差はしなくても分かった。当選した人落選した人。5票差ってどんな気持ちなんだろうか。当選した人はセーフって感じで、落ちた人は悔しいだろう。
と、思っていたら、長野県議会では1票差の当落が有ったらしい。これもすごいものだ。1票の重み。そして、落ちた人は異議申し立てをしているという。無効票やらなにやらで、取りこぼしていたら逆転の可能性は有るわけですよね。
こんな票差を見ていたら、もし、投票率が80%を越したら、ほとんどのところで当落の線は変わったんだろうなぁ。と。思ったのでした。
テレビニュースのインタビューなどで自分一人が投票しても変わらないし、だれがなっても変わらないから投票には行きません。と断言する人がいるけど、行ったらやっぱり違うのかも。
私は、どこかの政党を支持しているわけでもないし、選挙というものに特別感心を持っているわけでもない。だれが政治家になっても、どこかで私腹を肥やしたいとか、名声を得たいという気持ちのある人が政治家になればだれがなっても、そんなに世の中は変わらないだろう。と思っている。
世の中が上手くいくように、日本の将来が良くなるように、今の不条理を正当化させるために。そして、我らの財産の地球のため。そのために自分は踏み台になってもいいと思い、市民権を受けて当選しても、自分のことしか考えていない人たちの中で沈んでしまうか、はじき出されてしまう。なんて世の中なんだろう。
そして、本当の悪人は意地でもその椅子を離れようとしない。何が悪で、何が良なのか判断基準がどんどんとずれていく。赤信号みんなで渡れば怖くない。と言う感じで、多勢に無勢で常識が変わっていくのだろう。
女性の選挙権も、先輩達が多くのものと闘って得た物。選挙権がないときの女性の事を考えると、今は黙っていても選挙には行ける権利がある。当たり前のようにあるから、ありがたさがないのね。
権利と言えば、雇用機会均等法が出来たときに、どれだけ嬉しかったことか。これで対等なれる。と思った。でも、現実はそんなに甘くはなかったけど。
均等法で総合職になり、ただ同じように働かされて、いいように使われて。って人たちもいることだろう。無理な仕事に無理な海外出張、転勤。やむなく子供と別居して仕事を選んだ人もいる。今まで有った温情はなくなってしまったようだ。
そして、10数年が過ぎた頃には、均等法より差別業務の方がいいと言う女性も多い。総合職なんてごめん被る。責任のある仕事はしたくない。面倒なことはしたくない。後輩の面倒は見たくない。海外出張なんてとんでもない。残業なんてせずに遊びたい。でも、給料は同じにして。
諸先輩達がどんなに均等法を望んでいたか。それが時代が変わったら面倒なものになっているという。確かに、仕事に男と女の差はない。だけが先行してしまい、中身が充実していないので、女性は働き損って所となっているところもあるのだろう。
育児休暇や介護休暇、働く女性にいろいろと便宜を図ったようなルールが出来てきて、ああ、良かった良かった。と思われているが、実際にこのような休暇を思う存分権利として消化できる人はどのくらいいるんだろうか。
均等法で重要なポストにいたり、役職になったり。男だったら仕事があるからと逃げられていたものが、女性の場合は逃げられない場合が有る。
その権利を思う存分に消化できるのは、だれでも出来る仕事をしている人だろう。だれでも出来るけど、いなければ困る人たち。その人達はいくらでも補充は出来るし、お互いに仕事のリリーフも出来る。総合職を望まず、差別待遇でいいと思っている人たちが恩恵を受けているのだろう。
私としては、バリバリと仕事をしたい人はどんどんすればいいし、適当にお茶を濁した仕事をしたい人はそれでいいと思う。でも、それにはそれなりのちゃんとした評価がくだされなければ。
そして、バリバリしたい人にも、ちゃんと家庭を持ち子供を持っても、介護老人がいても保護できる世の中になって欲しい。みんなが同じように恩恵を受けて欲しい。でも、それはもっと税金が上がるって事か。それも困るなぁ。
なんか、因果な世の中になってきてしまった。
と、話が選挙からずれてしまったが、私は女性参政権を得るために長い間運動をしてきた人たちを表敬するためにも選挙は棄権しないつもりだ。
そして、多勢に無勢の流れが変わるかも知れないことを信じ、私の一票で当落が決まることも有るということを肝に銘じて、投票しようと思う。
月一度のボーリングはもう10年くらい続いている。そして、私のボーリング歴は年齢マイナス10年くらいはある。ブームになったり下火になったり、そんなボーリング場を見てきたような気がする。私は歴だけは長いのだが、歴だけが先行して技術は全然伴わない。どうやったら上達するのであろうか。
ここ一年ぐらいでなんだか混んできて、そして若者の姿が目に付くようになった。高校のクラブ活動でもボーリング部があるとか。
しかし、どの競技以上に施設が必要なのでなかなか簡単には出来ないらしい。高校の施設にボーリング場が有ります。なんて聞いたことがない。
ボーリングは国体競技でも有るのに、なんかマイナー感のあるスポーツだ。いや、スポーツと思っていない人もいるのだろうか。スポーツにはルールが有るのだが、ボーリングほどルールが守られていないスポーツも無いかも知れない。
ボーリング場さえ有れば手軽に出来るスポーツ。最近は、ボーリングで健康になろうとか、生涯ボーリングなんていわれているほどで、どのスポーツと比べても一家揃って出来るスポーツだと思っている。実際に80代90代の愛好者も数多くいる。
私が初めてボーリングをしたのは、当時、熱狂的になっていた父や叔母叔父達に連れられて投げたのが初めて。お正月になると親族総出でボーリング場へ。
当時は1時間待ちは当たり前。待つのが分かっていても投げに行くのだ。子供が多い時は予約をしてまでいった。予約は時間単位。2時間の予約だとゲームが途中でも終了しなければならない。それでも、大人達はやりたかったらしい。
今のようにバンパーレーンなんてないから、子供達はどぶ掃除ばかり。それでも、大人達は投げた方よりもルールにうるさかった。右のレーンの優先、隣の地域には入ってはだめ、線は踏んではだめ、使ったボールは元に戻す、etc。
今はどうだろう。こっちがアドレスして、さぁ投げる。という体勢になっているのに隣のレーンの人がちょこちょこっと出いってしまう。
こんな時はまだストップ出来るが、もう止まれないときもある。まだこっちが投げ終わっていないのに、投げ出すのだ。視界の中に隣の人が入ってくる。こんな怖いことはない。倒れたピンなど確認せずにさっさと戻ってくる。
そんな人に限って、投げたあと後ろ向きで戻ってきて、こっちのレーンまで進入してきたり、飛び跳ねてこっちに進入してくる。ぶつかったらえらいことだ。
楽しむスポーツのボーリングは、ボールを投げてピンを倒せばいい。それで何本倒すかってのがゲームなので、ルールは知らなくても楽しめる。審判がいるわけでもないので、自分たちで楽しめばいいのである。しかし、隣のレーンの人もいることだけは忘れないでいて欲しい。
隣のレーンの人が投げる体勢になっていれば、投げ終わるまでフロアには上がらない。同時だったら、右側のレーンの人が優先。これは、同時に投げれば危険が伴う。最低、これだけはいつも守って欲しいと思うのだ。
親子連れでやって来て、子供が思うままにかってに投げて、隣のレーンの人が何度も投球を停止しても気付かない。最低のルールだけは教えて欲しいのだが、親もルールを知らないし、スコアの付け方も機械任せで知らないんだろう。
私が大人達にうるさく、右側優先、一緒に投げてはだめ。と教えられたのは、ルールでも有るが、子供を危険から守るためでも有ったのだ。
そんな風に教えられた私が、今は姪っ子達にルールを教えた。
シナボンがなくなった。我が家の生活圏内に2軒のシナボンが有ったのだが2軒とも消えてしまった。
あとから出来たシナボンはもう世の中では少し陰りが出てきた頃で、行列は開店当初だけ。しばらくしてから、閑古鳥が鳴いていた。私は並んでまで買うのもなぁ。と思っていたので、これ幸いと買ってみた。その味はまさにアメリカ的な甘さ。出来立ての暖かいのを食べればもっと美味しいのかも知れないが、二度食べたいとは思わない味だった。
もう1軒のシナボンは開店当初からずいぶん長い間30分以上の行列だった。横浜で1号店だと言うこともあり、いつ行っても店の外まで行列は続いていた。
シナボンとはジャンボシナモンロールにアイシング(溶かした粉砂糖)がかかっている。シナモンが嫌いな人は店の前を通るのも嫌だという。
これが好きで何度も何度も行列に並んだ人がいるという。味覚がアメリカ的なのだろう。その場で食べられる店は今でも元気なのかな。
その行列だったシナボンも先月で消えてしまった。消えることを私は知らなかったのだが、2週間ほど前にまたまた行列になっていたので、ここのシナボンは何でこんなに人気なんだろう。と思っていたら消えた。要するに閉店前に人が殺到していたのだ。そして、2週間後には跡形もなくなり、別の店が閑散と試食販売をしていた。
ベンチャービジネス的には数年でバンバンと出店して売れるだけ売って、人気がなくなったら閉店。こんな商売を次々とやっていけば、手許には随分と残るだろうから、瞬間湯沸かし器的なブームでいいんだろう。設備投資も最低限にすれば悪い商売じゃない。どんなものが人気が出そうかアンテナを高くあげて、一番にその商売をした人の勝ち。
マスコミに取り上げられて人気が出るというのもある。横浜ウォーカーに載ったラーメン屋は数ヶ月はどの時間に行っても行列が出来ていたが、最近は昼時以外は並んでいない。土地柄並んでまで食べる人はいないので、地元の人は並んではいなさそう。
この店もけっしてまずくはない。いい味だと思うけど、私的には麺が細ければ満点。やっぱりもう一歩と思っている人がいるので、並んでまで食べたくはないと思い、そうそうリピーターがいないのかも知れない。
口コミで徐々に広がった美味しい店は、やっぱりいつまでたっても行列は減らない。並んでまでも食べる価値が有ると思うからでしよう。
常連客を有る程度持っていた店が、マスコミに取り上げられ、一見さんのお客が行列する。そこが目的なのだから、混んでいようが、行列が1時間だろうが並ぶのである。
常連さんは並んでまでは食べない。毎日行っても、行列、行列。だんだんと足が遠のく。一見さんの嵐も吹き去り、そして常連さんも去り、店は閉まった。というのを何軒か見ています。
前によく行っていた、天ぷら屋さんはそんなこともあって絶対に雑誌には出ないと言っていた。常連さんをとても大切にしていて、親子何代での常連というお客さんも少なくない。私もその常連さんに連れられて食べたのでした。本当に美味しい。何ともいいあげ具合。かき揚げのお茶漬けは絶品。はっきり言って、店も狭いし、他人には知られたくない。並んでは食べたくない。って思いましたね。
あのシュークリームの店も、消えていくのだろうか。最近は行列が出来ていない。場所によってはまだ並んでいるのだろうか。少なくとも地元の店には並んでいない。一度買って、二度は行っていない私。同じ場所にある、らっぽっぽも普通に買える。物は行ったらすぐ買えるに限る。シナボンのあとはおにぎりや。地道に細く長く人気者で有って欲しい。ご飯は飽きられることは無いと思うから、なにかこだわった店でいて欲しい。
おにぎりも昭和30年関係の流行りなのだろうか。
しかし、流行り、流行とはいったいどうやって成り立っているのだろうか。不思議だ。これからは無添加のスープの店か。
最近、本屋に行ったら「大人の家庭科」と言うのを見つけた。パラパラと見たけど、なかなかおもしろかった。料理のさしすせそも家事のさしすせそも書かれていた。確かに小学校や中学に習ったときより、いま見た方が頭に入るだろう。しかし、なぜ、いま「大人の家庭科」なのだろうか。それほど生きるための基本が出来ていない大人が多いと言うことなのか。
さて、私の炊事。料理は嫌いじゃないです。好きですね。食べることが好きだから作ることも好きなんだろうか。でも、アバウト料理が多いです。食べることが好きでも人の作った物を食べることが好きな人もいますね。
小さい頃から、インスタントラーメンを作り、マルシンハンバーグを焼いていました。火を使うことは怖くなかったし、親が忙しかったので、自分のお腹を満たすには自分で作るのが一番早いと気付いたのでしょう。
3時のおやつはインスタントラーメンをよく食べていました。チャルメラが大好きでした。キャベツと卵を入れるようになったのは、小学校の高学年。卵を割るのを何度も失敗。いくつ卵を流しに流してしまったことだろうか。
私たちの親の時代は簡単便利はいいと何でもうけいれてきたのでしょうかね。我が家にはどんどんとインスタント物が入ってきました。何にでも味の素をかけていましたし、出汁も当然インスタント。便利で美味しいねぇ。とハイミーをパッパーパーといれてましたね。母親
でも、インスタントラーメンを食べていると、隣のおばさんはそんな物ばかりを食べていちゃだめだよ。と言っていました。きっと正しく判断できる身体や口が拒否していたんでしょうね。我が家にはだれも正しい口や身体を持っていなかったのですね。美味しい美味しいと食べていましたから。
クリームシチューもハウスのインスタント。そうそう、グラタンもそうでした。それを使わないと出来ないと思っていたのでした。今風に言えば、スローフードだったものが、ファーストフードになっていったのですね。カレーも当然そうでした。そう言えば、隣のおばさんはSBのカレー粉で作っていたっけ。
クリームシチューもグラタンもホワイトクリームから出来ていて、それが牛乳とバターと小麦粉で出来ると知ったときから、私は自分で作るようになりました。私の担当になったのです。
ホワイトソースから作ったグラタンはなんとクリーミーで美味しいことでしょう。今までの舌に残る違和感の味はないのです。これが本物の味なんだ。と実感。
それからは出来る限り自分ですべてを作るようになり、調味料をさ、し、す、せ、そで入れることを知ったときは、昔の人はすごいなぁ。と思ったものでした。母親が遠の昔に忘れてしまった、出汁づくりから茶碗蒸しも作りました。
子供の頃に食べていたものは、大きくなっても食べるそうです。今はおふくろの味はないそうです。母親の作った物で、何が一番好きだった。と聞くと、答えがないのです。どれが母親が作ったのかわからないし、買ってきたものが多いからでしょう。おふくろの味は袋物の味になってしまったと、幕内氏も書いています。
給食がご飯になり和食がいいと進んできたけど、なぜか、昔ながらのおふくろの味の残飯が多いそうです。まずいから?食べたことがないから?味覚が狂っているから受け入れられない?
もし、産まれてから一度も、煮豆も、ひじきも、筑前煮も食べていなければ口が拒否するかも知れない。煮豆が嫌いな若い女性はずいぶんいる。自分が嫌いなものは作らない、買わない。だから、子供は知らない。
外人が刺身や生ものを食べないのも、習慣だとおもう。お新香を食べない、生の魚介類がだめ。っていう日本人が増えて来たように思う。やっぱり、産まれてからずーっと洋風なおかずや、無国籍料理を食べているからだろうか。
親が買ってくれば、その子は作る事も知らない。食べるものは買ってくるものだと思う。悲しいけど事実なのです。せめて一つは作っているところを子供に見せる物を食べたいですね。
私は母親の作った鯖のみそ煮が食べたい。自分で作ってもあの味にはならない。あれが私のお袋の味なんだろうか。
自分の食べるものは自分で作る。これが炊事のす。
最近、あちらこちらで犬のうん○を見る。一時はほとんど見なかったのに。
それも、草むらや街路樹の根元ではなく、歩道の端だったり、真ん中だったり。前に、歩いていた犬が突然オシッコをした事は書きましたが、うん○も場所を探して心地いいところにする習慣は消えてしまったのだろうか。行き当たりばったりでしたように見える。
いや、そんなことよりどうして飼い主がそのままにしているかってこと。
一つあると、連鎖反応のようにある。あそこにあるから、うちの子のもいいか。とほったらかして行くんだろうか。私が小さい頃は、草むらや道の端っこにはうん○が有る可能性が高いから、気をつけて歩いたり、そばに行かなかったりしたものだった。それでも、下など見て歩いていない私は何度も踏んでしまったことはある。だから、犬のうん○は始末しましょう。って始まったときは嬉しかった。
それが、どうして最近またほったらかしが増えてきたのだろうか。この前なんてマンションの廊下に転がっていた。あれには呆れた。道ばたならとにかく、自分の住んでいるマンションの廊下の真ん中に。
我がマンションは動物飼うのは申請すればOK。そして、公共の場所、ろうか、エレベーターなどは抱っこをする。というのが決まり事。ということは、廊下のうん○は抱っこしていればあり得なかったはずである。
たとえ、してしまっても始末はすべきで、こんな事も出来ないのならば飼う資格はない。消えたうん○はだれが処理していると思っているのだろうか。消えたからそれで良しなのだろうか。
この前テレビを見ていたら、ペットを飼うのがブームで、特に小型犬が人気があるらしい。ミニダックスが流行りだしてからも、ずいぶんたつが、最近はチワワの人気もすごいらしい。
ミニブタもペットとして人気があるという。流行っているから、可愛いから。癒されるから。だけで、飼っては欲しくないものだ。犬自体も自分が犬だということを忘れてしまい、本能を失った犬もいるといる。ペットとは何だろう。
私の知り合いにも、随分前に犬を飼っていた。寂しいから犬を飼ったといい、すごい可愛がりようだった。自分もきれいに着飾っておしゃれな人だったけど、犬にも随分とお金を掛けていたようだった。でも、たまに彼女の服からオシッコ香水が漂ったりして。
その犬は、どこへ行ってもどの家に行ってもわがまま放題。芸はない。なにも教えてないの。と聞くと、お手も、お座りもしないという。芸どころか躾も全然していなかったのだ。
彼女のアパートの部屋はどこでもトイレであった。オシッコ香水はそれだったのだ。トイレは何度か教えたけど、覚えないので諦めたという。確かに、1日のうちで一緒に家にいる時間は少ないから難しいのかも知れないけど、躾は根気が肝心なのだ。それにしても、よくもこの臭いの中で寝られるものだ。とびっくりやら呆れるやら。
もしかしたら、ブームに乗って飼った人たちが、うん○をやりっぱなしなんだろうか。そうは思いたくはないけど、飼った以上はちゃんとして欲しいし、そして、ブームが去ったからと生ゴミには捨てないで欲しい。
同世代だった。ヒポクラテスを見たとき衝撃を受け、その時から気になる役者になったのです。ショックです。春になると天に昇りたくなるのかなぁ。もう少しどうにかならなかったのかな。ワイドショーではいろいろとやっていますが、見たくない気持ちと、知りたいという気持ちが交差してます。
確かに30代に入った頃から、怖いくらいの演技だった。ヒポクラテスの時とは変わってきていた。趣味が役者だったそうで、息詰まっていたのだろうか。もう少し気楽に生きて欲しかった。自分で自分を縛り付けたり、自分を持っている人ほど、自分で道を選んでしまうのだろうか。
自宅の部屋っていうのが、追いつめられていたのではないかと思う。せめて外へ出て欲しかった。外へ出ていけば、踏みとどまることも有ったかも知れない。何かに取り憑かれているものが落ちたかも知れない。
もう、あのしゃべりを聞くことが出来ないと思うと、寂しい。ご冥福をお祈りします。合掌
過去の日記を読み返していたときに、思い出しました。私は中学の頃から万年筆を使っていたのだ。そうだ、あれはどこへ行ったのだろうか。
会社に入ったときからボールペンで字を書くことになったのですが、最初の頃は本当に嫌でした。字を書くならば万年筆か鉛筆。これが一番と思っていました。
鉛筆のシャリシャリとした感覚がいいんですね。働きだした頃はまだ職場に鉛筆削りが有りました。だから、鉛筆を使っていましたが、いつの間にかその鉛筆削りもなくなってしまいました。
そして、いつの間にかシャーペンとボールペンの世界。そして、いつの間にか慣れてしまいました。それでも、会社で支給されるものではなく、自分でいろいろと探して少しでも使いやすいものを使っていました。
海外出張に行く人には、パーカーのポールペン買ってきて欲しいと頼みました。本体の値段より、日本で買う替え芯の方が高いんですよね。だから安い本体を何本も買ってきてもらったのです。一時、ポールペンが1カ月くらいしか持たないほど、字を書いていた時代が有ったのです。でも、あのころは業績も良かったし、会社ライフは楽しかったなぁ。
ドクターグリップが出たときも嬉しかったです。ポールペンで書くとなぜか筆圧が強くなってしまうので、太くないと疲れて疲れて。
もう仕事でポールペンを使わなくていいんだ。そうだ、また万年筆を使おう。絶対に万年筆の方が字が上手く見える。そう信じている私です。そして、机の引き出しをがさごそと探したら、3本の万年筆が出てきました。
中学、高校の頃に買った安物と、叔母に就職祝いに買ってもらっパーカーです。何年もやりっぱなしだったので、固まっている。2、3日ぬるま湯の中でつけて置いた。何度も何度も水を取り替える。
そして、文房具売場に行って驚いた。もう何年もたっているのに、カートリッジが同じなんです。まだそのまま使えるんです。妙に嬉しくなりました。
売場のお姉さんも大丈夫ですよ。同じですから。という。ぬるま湯につけてあるというと、それで出なければ分解掃除をする事になります。と言われた。
早速、家に戻ってからブチッとカートリッジを入れて何度か振るとしっかりインクが出てきた。書ける書ける。懐かし感覚。いい書き味。やっぱり字を書くには万年筆だ。
44年も続いたテレビ朝日の大相撲ダイジェストが秋場所限りで終わるという。平成5年の春場所には最高視聴率26.7%で、今場所は17日の9日目までは2.6-6%と低迷していると新聞に書いてあった。平成5年は「若貴」の人気絶頂期だ。私も毎日のように見ていたし、結びの一番は会社の食堂で何回か見た覚えがある。
この大相撲ダイジェストがこんなに昔からやっていたとは知らなかった。いつの頃から見始めたのだろうか。巨人、大鵬、卵焼きって言葉は知っているけど、巨人は好きじゃなかった。中学生の頃は相撲はリアルタイムで見ることが出来たけど、高校に入った頃は5時に家に帰ることはほとんどなかったのでこのころから見ていたのだろうか。でも、あのころは11時過ぎにはテレビは余り見たことがなかったような。それとも、このころに2台目のテレビが我が家に登場したかな。
若貴も好きだったけど、なぜか一番好きだったのは北尾のちの双羽黒。このころは絶対的にリアルタイムで見るか、聞くかしていた。ラジオで聴いてもどうなったのかサッパリ分からないけど、勝敗だけは分かる。そして大相撲ダイジェストで再度確認。何が何でも見ていた。
会社で見たときは、それぞれが自分の出身地の力士を応援したり、結構盛り上がっていた。なんであんなに夢中になってみていたんだろう。
北尾が双羽黒になって横綱になって、アッと言う間に事件を起こして破門になった。短い横綱だった。優勝は一度もしていないのに横綱になって、本人もいろいろと大変だったと思う。
私はショックでした。59年の入門だというので、入幕前から応援だったのだ。あんな形で辞めてしまったので、気落ちしました。少しの間相撲から遠ざかったかな。
でも、貴乃花が千代の富士に勝った一戦はちゃんと見ているんですね。
昔の力士の方が、個性的だったし特徴もあった。魅力があったよなぁ。どんな相撲を取るのか楽しみだった。武蔵丸がなかなか曙に勝てないときは、なに遠慮しているんだ。ドーンとやれ。なんてテレビに向かって叫んだものです。そして、初めて勝ったときに、やれば出来るじゃないか。と言ってしまった。
琴風は友達の子供がそっくりだったなぁ。昔の力士を思い出してみようとしたが、結構忘れてしまっているものだ。輪島、高見山、隆の里、貴の花、多賀竜、青葉山、陣岳、隆三杉、麒麟児、蔵間、板井、旭国、若島津、逆鉾、朝潮、保志、北の海、北天佑、琴風、そして水戸泉、寺尾。寺尾は38軍団の中で一番最後まで頑張ったのよね。凄いわ。昭和の30年代生まれの力士がどんどん引退をしていく頃から、私は相撲から離れたのだろう。
貴乃花の引退をいろいろなメディアで見たけど、綱を張っていくと言うことは、相当のプレッシャー。歴代の横綱で何年も張ってきた人たちの精神力は凄いものなんだろう。今後も長い期間、綱を張れる横綱がいるのか不安だが、もしかしたら精神力より、怪我で続かなくなるのだろうか。
今の相撲には「覇気」がない。立ち会いの時から迫力がない。やっぱりあの立ち会いの息もできない緊張感のある相撲が数少なくなったことで、ファンも消えたのだろうか。私もここ5年ぐらいはほとんど見ていない。スポーツニュースでちらりと見るくらいになってしまった。あら、まだ頑張っているんだこの人と思ったりしている。だから、貴闘力が引退したことはずいぶん長い間知らなかった。
視聴者層変化と新聞には書いてあるが、視聴者が変わったのではなく、けが人ばかりで覇気のなくなった大相撲に魅力がなくなったのだろう。日本全体がぬるま湯につかってしまったこの時代になにが緊張感を与えるのだろうか。
全国の制覇の旅もあと和歌山を残すだけになりました。その和歌山にも今月中には行けそうです。20歳の頃に廻りの人間が我も我もと海外旅行に出掛けるようになりました。そして、海外の魅力を語るのです。
もともと、和製な人間だった私は、「どうして日本の事を知らないのに海外の良さが分かるのよ。絶対におかしいよ。私は日本を知ってから海外に行く。」と宣言したのでした。
当時は海外旅行の費用も高かったし、飛行機に何時間も乗るなんて考えただけでも嫌だったので、そんなこともあって宣言をしたのかも知れません。
あれから、長い年月がたち、国内旅行よりも海外旅行の方が安くなったり、ヨーロッパへ行くのにも直行便も出来、随分と飛行時間は短縮されたようです。
その間何度となく、海外旅行に誘われたり、行く計画も立てたことも有ります。でも、不思議なことにいろいろな事情で行けなくなってしまうのです。
10ヶ所を切ったときに悟りました。そうか、自分が宣言したことは守らなくてはならないのだ。だから、行く機会が失われるのだ。なんて、変な悟りですがそれで納得したのです。
それからはかたくなに海外旅行の誘いは断り続けてきました。最近は夫が海外旅行に凝りだしたので、私を誘うのですが、やっぱり断っています。そんな訳で去年から制覇に向けてのダッシュが始まったのかも知れません。
あと一県になったので、全国制覇の旅のリストを完成させようと、昔々の日記とアルバムを引っぱり出してきました。
私は中学の頃から日記を付けていましたが、まさか将来こんな事に役に立つとは思いもしませんでした。
旅に出た日のことを追いかけながら、読んでいるといろいろな事を思い出します。1行日記だった時代や、感情がこもった日記を書いていた時代。ずーっと書いていない時期もある。今読むと何に怒っていたのか主語がないので分からないものもある。
一言読むだけでその日のことが昨日のことのように思い出す日もある。書いていない日のことを何で書かなかったのか。それさえ思いだした日もある。私の青春だったなぁ。なんて感慨にふけってしまった。
短い日記を書いているので、こんなずぼらな私でも続いていたのでしょうね。基本の形はビジネスダイアリーですから。青春時代が過ぎた日記の内容は、その日の行動と体調が主な項目ですね。不思議なことに毎年同じ時期にお腹が痛くなったり、不調になったりしているのです。
今では、パソコンの3年日記になっていますがつけています。3年前の今日のことが分かるもの楽しいです。今年は手書きの10年日記にしたかったのに、やっぱりあの大きさでは取扱がだめかなぁ。不精者には不精者の方法があると今年も3年日記です。
不精でずぼらな私がよく続くと思うのですが、最近は物忘れも激しいので、何かに残しておかないと忘れてしまうのです。あとは書いたことさえ忘れないようにならないことを祈ります。
でも、つけていてよかった。あの日記がなければ私の全国制覇の旅は完成しなかった。
このままじゃ日本は崩壊だ。国家危機だ。日本は病んでいる。どうしてこうも毎日殺人事件が起きるのだ。どうして簡単に人を殺すのだ。どうしてそんなに簡単に人の物を盗むのだ。逆上するのだ。どうしてだろう。
世界状況も緊迫していて、どのように日本に影響するか。そんなことは誰が知っているのだろうか。でも私が国家危機だ、破滅だ破壊だというのは、そんな事ではない。そんな大それた事はわからない。そんな遠くのことでなく、もっと身近なこと。
本来の日本人の生活をしないと、日本の将来はない。お箸をちゃんともてますか。1日にご飯をどのくらい食べますか。1日にカタカナ語のご飯をどのくらい食べていますか。
南瓜の煮物食べますか。鯵の干物食べますか。今の旬の野菜食べてますか。みそ汁飲んでますか。鯖の味噌に作れますか。お新香は好きですか。
何で、日本人が日本人で有るための文化をこうもあっさり捨ててしまったのだろうか。西洋かぶれ。しかし、散切り頭をたたいてみれば…の言葉が有るように、明治時代からまねっこ。
ここの所70年代もののリバイバルや昭和30年代の物が新しいものとして、今は受けているという。CMに懐かしい歌が出てくると思わず口ずさんでしまう。いい歌が沢山あった。歌詞がよかったなぁ。
今なんて横文字ばかりでなんの意味なんだか、私にはサッパリわからないし、歌手の名前も横文字やカタカナが多い。日本人の歌なのか、外人なのか。芸能界情報に疎い私にはさっぱり。
何かの機会に見ることがあると、ああ、日本人だったのか。と気付く。新聞のCD売れ行きトップ10などを見ると、漢字やひらがなの名前の人の方が少ないのだ。私などは読み方さえわからない。
30年代は、誰かがもはや戦後じゃない。なんていい、国民所得倍増計画。西洋の生活、西洋のご飯、タンパク質を摂りましょう。お肉をたくさん食べましょう。それらがだめだったとはいいたくないけど、どうしていとも簡単に日本の伝統文化を切り捨ててしまったのだろうか。共存は出来なかったのだろうか。
どこの国でも新しいものは受け入れながら、自分たちの伝統、風習は守っていると思う。そして、それらを守らないと将来が無いと思う。
新しいものが好きであり、戦争という物を経験してきた人は、戦前にしてきたことがすべて悪かったから戦争に負けたと思い、すべてを西洋式にして新しい日本にしたかったのだろう。
どうして頑固にも伝統を守ろう、パンなんて食べたって腹の足しにもならないという声が大きくならなかったのだろうか。
日本の食糧自給率が40%を切っている。目の前にはたくさんの食べ物が有るのでそんなことは考えたこともないだろう。輸入が途絶えたら日本はどうなるのか。自給率が下がっても、物は金で買って来ればいいのだ。という。しかし、買うものがなければいくらお金があっても買えやしない。自国民が食べるのにやっとなれば、どうして日本に売ってくれようか。
消費期限や賞味期限が切れたからと、それだけで大事な食糧が廃棄されていく。自給率は先進国では最低なのに、残飯率は60%。そして手つかずで捨てられる物が9%も有るという。恐ろしいことだ。今日食べるものがなくて困っている人もいるというのに。
先進国でも自給率は上がっている国が多いのです。それなのに、日本は…
一次産業がしっかりしなければ、基盤がしっかりしなければだめなんだ。自分の国で、自分たちの手で作ることを尊ばなくては将来はない。どうして、政府は減反ばかりするのだろうか。食べないから、余るから。余らない方法を考えたのだろうか。地方に行って、休耕田を見るたびに悲しくなる。もっと農業を守りましょうよ。
海外に生産拠点をどんどんと移している大会社よ。今はいいかも知れないけど、日本の製品を作らないとなったらどうするの。今は人件費が安いかも知れないけど、技術は日本にも残しておかないと大変なことになる。
せめて、自分の国で自分たちの食べるものは作りたい。お金で食糧が買えなくなれば化学で作り出せば良いと思っているかも知れない。化学物で腹を満たしていれば人間は病む。まがい物、偽物を食べていれば考えも病む。この病みに飲ませる薬は、自分たちで作った物をたべることだろう。
このいろいろと起きる事件の根源は何なんだろう。何か事が起きれば対処療法で手先の法律やルールを変えて、処罰しようとする。そうじゃなくて、根源を変えなければいつまでも同じ事の繰り返し。
どこの刑務所も満杯だという。定員オーバーだから起きる事件もある。定員オーバーだから刑務所を増やすのではなく、刑務所に入る人を減らす、事件が起きないようには出来ないのだろうか。
せっかく70年代や昭和30年代が流行っているならば、食・生活そのものも40年前に戻ってみれば、日本病も少しは回復するかも知れない。