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achaの言いたい放題
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お風呂の中、通勤途中や仕事の合間に、去来するいろいろな言葉、瞑想、考え、想像。すぐに書き留めておくことをしないと悲しいことにドンドンと消える。少しして、さて書こうと思うともうすっかり消えている。何を考えていたのかも消えているのである。悲しい。跡形も無いことが淋しく悲しい。
忘れるといえば、いろいろ忘れます。持っていくのを忘れないようにと、玄関先に置いてもなぜか、それをまたいで出かけてしまう。一度持っても、何かの拍子に置いて、そのまま。本人は持ったつもりなので、現地に着いて忘れたことに気付く。
山梨まで富士山を撮りに行って、さて、ここから撮ろうと車のリアシートに手を伸ばすと、カメラがない。三脚だけがある。真剣に取られたのかと思いましたが、記憶をたどっていくと、玄関に置いたのでした。でも、玄関に本当に置いたのか、もしかしたら車に乗るときに、一度外に置いたのでは。もしかしたら道路に置きっぱなしか。と心配が巡る。
朝早く起きて何をしに、山梨まで出かけたのやら。そんな日に限って富士山がきれいなんです。家に帰ると玄関に寂しくカメラがお留守番をしていました。玄関のなかでよかった。と安堵。
シルクロードオレンジをバックに富士山が本当にきれいに見えていた、三浦半島の有る夕方。ばったりであったこの景色に一心不乱でシヤッターを押した。37枚でもシャッターが下りる。38枚。アレ。おかしい。と、カメラを見るとフィルムが・・・アチャー。この時ほど落胆したことが有りません。逃がした魚は大きいといいますが、あれほどのきれいな夕焼けはその後見たことが無いのです。
忘れてはいけないものは、バックに縛り付けておきます。さすがにバックを持っていくのを忘れることはない。あああ、有りました、バックを忘れたことも。小学校の頃、新しく買ってもらった、手提げ袋がうれしくて、メインのランドセルを持っていくのを忘れたことは有りました。落胆していると、優しい友は一緒に家までランドセルを取りに行ってくれました。
とにかく、出かけていく時に持っていくバックに縛り付けておくのが一番です。バックを持てば、ずりずりと一緒にくっついてきますから。中に入れても何かの拍子にバックの中身を入れ替えたり、他のものを持ったかという点検でバックの外に出たら、それは二度とバックの中に入るとは保証でき無いのですから。
あーあ、自分ながら情けない。
プロフィールにも書きましたが、中学の友とは、いまだに何かの理由を付けて会ってます。卒業してからどのくらい会っているのだろう。子育ての時期にはなかなか出てこらなかった人も出て来るようになった。何度会っても話は尽きない。
先日も、新年会と称して数名と飲みましたが、今回は私の人生観を変えた二人の先生の参加していただけました。
当時の先生の歳をはるかに越えた今でもお会いできることは、うれしいことです。人生の先輩、後輩として杯を重ねあわせることが出来るなどとは思ってもいなかったです。ほんとうにうれしいことです。
人生の中で、いろいろな出会いがあるのですが、この仲間との出会いも私の財産ともいえます。いろんな意味で影響しあっているいい仲間です。何よりも、こうやって会うと、自分が抱えているすべてのことを忘れて15歳に戻れる。幼稚園からの友もいる。いい歳をした男と女が呼び捨てや君呼び。気の置けない話をして、夜のふけ行くのも忘れてしまう。いいなぁ。
全体の同期会も、2年に一度、開いていますが、こちらは参加者が多くて、話もあちらこちらに飛んで、二次会三次会と流れていきます。先生方も沢山参加していただけて、みんな楽しそうに過ごします。
知らぬ間に大声で話すので、帰ってくると声が出なくなっています。とても楽しいひと時です。自分も楽しい、みんなも楽しい。みんなが楽しんでくれると、私たちも開いてよかった。といつも思うのです。みんなが楽しく過ごしている姿を見るのが私は好きです。ひとりでも喜んでくれる人のいる限りこの会は続けていこうと思っています。
もし、一度もそういう会に出たことのない人、毎回欠席のはがきを出している人、返事も出していない人。一度勇気を出して参加してみてはどうでしょうか。なにか違う世界が開けるというか、もとに戻れるというか、何とも言いようのしれない力が湧いてくると思います。
確かに、中学時代にいやな想い出が多い人は、当時の人たちに会えないかも知れない。会いたくないかも知れない。
強者は歴史を忘れるが弱者は歴史を忘れない。と言う言葉が有るので、参加したくない気持ちはよく分かるのですが、それを忘れて参加して欲しい。今の自分の姿を考えると参加できないなんて、思わないでください。それは幻、15に戻った世界で時間は進んでいくのです。まるでタイムリップしたように、会わなかった期間を埋める必要は無いのです。
当時出来なかったことも、長い年月を隔てると出来たり、聞けたりすことも有ると思うのです。時間とご都合が合えば勇気を出して、出かけてみてください。15に戻るのではなく、改めて知り合いになる人もいて、まったく新しい世界が開けるかも知れません。こんな楽しい時間を過ごせないのは、もったいないです。
どうぞ、勇気を出して参加してみてください。ひとりで参加できないときには、幹事さんにぜひ連絡をしてみてください。
会社で目の前に座っている課長の家が長野は小海線沿線に有り、そして、数年前に母親が亡くなってからは誰も住んでいないということを、ひょんな世間話から知った。母屋に納屋と土地も畑も結構な広さだという。
「なんてもったいない。私が住みたいよ。」「先祖から預かったものだから俺の代で手放すわけには行かない。子供の代になれば分からないけどなぁ。」「いやいや、売ってくれなくてもいいのよ。貸してくれれば。そういうところに住みたいって人って多くいて、探しているのよ。」「そんなものかね。俺はもう住む気はないけどなぁ。」「あーあ、もったいない。貸して欲しいなぁ。その家はどうなっているの。誰も住まないと傷むよね。」「今は親戚がいろいろやってくれてるよ。たまに風は通しているみたいだね。俺の一存で貸すわけにも行かないし、たとえ貸すと決心しても、他人者を住ますには、まわりの親戚たちが了解しないだろうな。」「やっぱり、どうしてだろうね。過疎化が進んで人がいないいないと言うのに、住みたい人を受け入れてくれないのよね。」
田舎暮らしを求めている人がいる、空いている家がある。需要と供給で、上手くいけば万事丸く収まる。しかし、そうは簡単にいかないのですよね。世の中。
いろいろ話を聞けば、田舎には空き家になっているところが多くあるという。年老いたので都会の子供の所に行ってしまった、親が亡くなって後を継ぐ者がいない、などといろいろな理由が有るようです。
しかし、いつか帰るかも知れない。自分の代では処分は出来ない。自分の代で処分するには相当の覚悟をしなければ出来ない、周りからの重圧がすごいと思うという。処分しなくても貸してくれればいいのにと思うのだが、一度貸せば出ていってもらえない。どんな人が来るか分からない。などとの不安要素も有るようです。だから、それらは市場に出るわけでもなく、人目に触れることなく寂しく過ごしている家も有るのでしょう。
過疎化が進んでいるのに、他の者を受け入れてくれない地域もまだまだ多いです。住みたいと思った場所に地道に通い、もしくはアパートなどに移り住んで、土地の人に認められ、家を紹介してもらう。と言うのがいい家を見つけるコツだという。
確かに、住みたいという人をどんどんと受け入れれば、中には変な人もいるかも知れない。今までのその土地の習慣風習で上手くいってきた事が、破壊されてしまうかも知れない。今の都会の人たちを見ているとそれはいえる。自分勝手な人が多い。でも、そんな人間ばかりではないし、本当に心から純粋に田舎暮らしをしたいって人もたくさんいるはず。都会から着たものと地の人たちとがどうやったら融合できるのか。難しい問題なんだろうか。
今日は引っ越し記念日。5年前の今日ここに越してきたのである。昨日のことのように覚えている。この5年の間にいろいろありましたが、過ぎ去れば早いもの。
寒かった。寒かった。引っ越し前の掃除やカーテンつけに来たときに、しんしんと床から冷えるのには堪えた。マンション中が冷えていたのでしょう。引っ越し前だから暖房器具は無かったので、着込んで作業をしたのでした。それでも、足からドンドン冷えてくる。耐えきれなくて近くのスーパーに暖まりに行ったのでした。何を買うわけでも無いのに、地下から二階まで何度となく往復して、暖まって帰ってきて、また続きをするのです。
引っ越しの当日は、一番最初にファンヒーターを出したものの、引っ越しのトラックには灯油を積んでもらえずに灯油が無い。結局、灯油が無くてファンヒーターはつかず。エアコンの移設工事が来たのは、午後の遅い時間。手伝いに来てくれた友達も寒い寒いと。普通マンションって暖かいんじゃないの。と文句たらたら。
夕方遅くなってやっと灯油が手には入って、ストーブ点火。周りから思わずの拍手。とにかく、寒かった。今まで火の気がないコンクリートの固まりは冷え切っていたのですね。そして、フローリングの床はなおさら冷える。
しばらくすると、隣の家、下の家も引っ越してきて、なんかマンションが暖まりだした。って感じでした。でも、寒い一冬でした。
翌年になると、随分と暖かくなってきて、引っ越しの時に手伝ってくれた友達には、今年は暖かくなったから遊びに来て。といった覚えがあります。下の家が暖房をつけると我が家も暖かくなるような気がします。
雪が降って停電になるとファンヒーターは用を足さなくなるので、石油ストーブを買い足しました。
私は基本的には暖房は嫌いなので、あまりつけないし、つけても暖かくなれば切ってしまいます。このころ同居人は起きればストーブを抱えるようにしていました。当然、灯油を買う当番は同居人です。
そして、今年は今日まで、ほとんどストーブはつけていません。たぶん灯油も去年の残りを使っているのではと思います。ファンヒーターの活躍する日はなく、石油ストーブを二回ほどつけただけのようです。他は一畳のホットカーペットのみ。
マンションが暖まったことも有るし、暖冬でもある。しかし、一番の要因は、私たちが冷え取りをして、下半身浴で身体の芯から暖まり、下半身にたくさんはいて、上半身を薄着にする生活にしたからでしょう。
我が同居人は、去年まではストーブを抱えて、家の中でジャンパーを着ていたのに、今年は風呂上がりは半袖であり、普段もTシャツにトレーナー。去年の姿からは想像が出来ない。変われば変わるものである。
さて、明日から6年目になるわけです。ここに越してきた当初、私自身はここには10年も住めばいかな。と思っていたのですが、5年という歳月もアッという間だった気がします。このままで行けば10年もアッという間なのでしょうか。でも、私としては10年目が来る前に、終の棲家見つけたい。と思っています。
マンションの四角四面の天井や壁、せり出した下がり天井にどうも慣れない。確かにすきま風は吹かないし、ドアのカギ一つで戸締まり完璧。忘れん坊の私にはもってこいである。でもでもでもなんです。外の天気や気温を感じる生活がしたい。
断煙なんて言葉があるかどうか分からないけど、、禁煙ではなくたばこを止めた話です。禁止されたのではなく、自らが断ったので断煙としてみました。
会社のストレス、家でのストレス解消という、お題目の上でたばこを吸っていた時期がある。あの時は、それが最大なるストレス解消方法だと思っていた。なぜ、吸うのかと問われれば、そう、答えていた。
一番はじめは、たぶん学生の時に好奇心で吸って、でも、私には吸えない。こんなのどうして。と思ってそのまま吸わなかった。私には縁のないものだと思っていた。
それが、ストレス解消として吸い始めたのは何時のことだったんだろうか。確か、二十歳は過ぎていた。ふとしたことで、一本もらったら、なんか気持ちが落ち着いた。仕事で、身体も心もがんじがらめになっていた頃だった。
それからは習慣になってしまった。最初の頃は、口の中の臭さが気になり、吸った後は、ガムを噛んだり、歯を磨いた。あまり深く吸うと気持ち悪くなった。なにもそんな思いをしてまで吸うことは無いだろうに。と、思いながらもすがるものは、それしかなかったのかも知れない。
そのときは、仲間内でも沢山の人間が吸っていて、吸うことに疑問なんか無かった。世の中も気兼ねなく吸える環境だったし、煙いの臭いのって、言う人がほとんどいなかったのである。在来線のなかで吸えたんですよね。今は、喫煙者は肩身が狭いですね。
そのうちに、臭いも分からなくなり、気持ち悪くも無くなった。お酒を飲んで、飲み過ぎ吸いすぎ。そんな毎日を過ごしていたときもある。止めた方がいいのかな。と思ったことは有る。気持ちだけ本数を減らすことはあったが、具体的に何をしたわけではない。
吸えない環境下にいれば、何時間でも吸わなくてもいられるし、きついたばこは吸えなかった。こんなに吸わなくてよいのなら、ずーっと、吸わなければいいのに。と自分でも思うのだが、吸える環境になると、吸ってしまう。
家を出て、一人暮らしを始めた時から、部屋の中では吸わず、ホタル族をし、雨の日は台所の換気扇の下で吸っていたのです。
昼間は誰もいない閉めっぱなしの部屋に帰って一歩入ると、臭うのである。たばこが。換気扇のフィルターに付いた臭いらしい。料理を作っていても、臭いが気になる。たばこを吸う自分が何でこんなにも臭いが気になるのか。
当時、家の中からすべての合成洗剤を排除し石鹸にして、化粧も止めて二年ほどがたっていたころ。引っ越しした家では、最初から使っていなかった。家の中に、科学的に作られた臭いが無くなっていたのです。化粧水も自分でクエン酸と焼酎で作っていたし。香料が家の中には無かったのですね。自然回帰だ、食品添加物や合成洗剤の怖さを訴えている人がたばこを吸っているのは、実際の話変だったわけです。
科学的香料が無くなってみると、たばこの臭いだけがクローズアップされてきたのです。髪の毛も、服も気になる、タンスを開けても臭いが気になる。こんなに気になるのならば、自分が吸わなきゃ良いんだ、止めればいいのにと、でも止められない。ジレンマに陥る。
忘れもしない、七五三の前の日、そのジレンマがひとりで爆発した。何で、こんなに臭いのに離れられないの。ストレスの源だった家もでてきたのに、吸う理由が無いじゃないか。と、自問自答し、吸いかけのたばこからストックのたばこ、マッチ、ライター灰皿すべてをゴミ箱にぶち込んだ。最後の一服なんて考えもしなかった、そのままもみ消した。
次の日、口寂しくなったときのために、ガムや飴を沢山買い込んできた。
一番辛かったのは、食後と飲み会。ご飯食べた後に、ここで一服していたよなぁ。と思う。しかし、それも一週間だった。
飲み会も当時は車で通勤していたので、ほとんど参加せず。会社も完全分煙になり、自分が煙の中に行かなければ、臭いをかぐこともなかった。臭いをかがないと言うことが一番良かった。
初めは今日で1週間、今日で1ヶ月と数えていたけど、それもいつの間にかしなくなった。吸いたいという気持ちが薄らぐのと、数えなくなるのは比例しているように思う。そして、山ほど買った、お口の友達はほとんど在庫は減らなかった。
当時は自分では止めたとは言わなかった。何人も止めたといいながら次に会ったときには吸っていた人を見ていたので、絶対にそれだけはしたくなかった。食後に吸わないの。と言われれば、今は吸いたくないと言っていた。やっぱり、一番辛いのはお酒の席。だから、なんだかんだと理由を付けて飲み会の席から離れていた。
一年半が過ぎて、初めて止めたという言葉を発した。飲みに行っても吸いたいと思わなくなったのである。それよりも、飲みに行って帰ってくると、全身たばこ臭い。バックの中も、下着までも臭いのである。ここまで臭くなるとは吸っていたときには気付かなかった。
そして、あの七五三の前の日から、一度もたばこを手にしていない。
今では、たばこは絶対的に臭いと思う。世の中禁煙が叫ばれているのは、吸っていた人が止めて、臭い臭いと言っているのだと思う。ごたぶんに漏れず、私もそのひとりである。もともと、鼻はいいので、臭いには敏感なのである。電車の中でたばこを吸ってきた人が隣に座ると臭いと思うし、会社のなかでも喫煙室から出てきた人とすれ違うと臭い。
飲み会に行っても、喫煙席と禁煙席を積極的に作る。空調の流れを判断して、当然、喫煙席は風下。世間も分煙、禁煙が進んできたので、受け入れてもらえる。
しかし、それも、今ではあまり積極的にしなくなった。出来ればそれに越したことは無いが、出来なくても仕方ないと思うようになった。臭いが臭いことには変わりないが、煙に負けなくなったのでしょう。
自分が吸っていて、周りもその環境に有るときは、吸わない人の気持ちが分からなかった。環境が変わって、自分の周りに吸わない人が多くなったときに、煙をいやがる人の事がよく分かって、食事の席や、人の家に行ったとき、カラオケボックスなど喫煙してもいいところでも、吸うことはしなかった。それが、たばこ吸いのエチケットだと思った。
私は自分に強いわけでも、意志が特別強いわけではない。それなのに、そんなに苦労したわけでなく止めることが出来たことは、自分でも不思議です。あの日あの時臭さに爆発し、自分の置かれている環境にたばこの臭いが無かったことが、止められた一番の理由でしょう。そして、私の鼻が異様によかったことも幸いしているのではと思っています。
昨日のタイトルが、死に方。心が元気だったら、生き方ってしたかも知れない。同じ事でも、自分の心や身体が元気な時とそうでないときは、いろんなものの感じ方が、違う。心の持ちようとは良く言ったものです。
時に、何もかもが嫌になる。自分を取り巻いているすべてが嫌になり、心が沈む。しがらみから逃げたくなる。上手くいかないことはすべて自分が悪い。と思いこむ。自分の存在さえも拒否したくなる。なんで私は存在しているんだろう。存在している意味は何なんだろうか。軽うつかな。と思う。
こんな時に他人からも否定されるとますます心が沈み、ため息が出る。本当はその人は私のことなど否定していないのに、そう感じてしまう私がいるのです。こんな晩は、月を見ていると吸い込まれそうになり思わず月に向かって一歩踏み出してしまいそになる。
この時の回避方法。今は心得ているので随分といいが、それを習得する前までは泥沼だった。気持ちの切り替えが出来ないままに、深みにはまっていく。しかし、今でも思いも掛けない強い力で引っ張られるように、奈落の底へと落ちる場合も有る。
気分だけだったのが、身体の変調にまでなり、疲れて言いようもない不調感。自分ではコントロールは出来なくなる。それは、後から思えば、心情的に無理をしたり、我慢をしていた場合が多い。不幸なことにそうなるまで、我慢していたことにも気付かない私なのである。
最初の対処が大事で、来たなと思ったら手早い手当が大切。回避方法は、とにかく日常と違うことをする。いやいや会社にいてもダメになるので、とにかくいまのいやな環境から離れること。
危険信号を感じ、それが軽い場合は、大きく深呼吸をする。ストレッチをする。指をマッサージする。全身に力を入れて、力む。そして、一瞬にして力を抜く。こんな事を椅子に座ってやるだけでも違う。
人間誰でも躁鬱の時が有るという。今日は出かけたくない、今日は人と会いたくない。今日は気力がない。今日はなんだかダメだ。心が重い。そんなとき有りませんか。逆に今日はなんだかハイだなぁ。なんだか心が軽いなぁ。ってとき有りませんか。
でも、それはいつの間にか消えているんですよね。一瞬で終わる場合も有れば、一日で終わる場合もある。そして、数日続く場合もある。ほとんどの人が一時を過ごせば終わるようです。
私は半年に一度くらい重い不調の時が来ます。よく言う季節の変わり目ですね。金木犀の花、沈丁花の花が咲く頃です。その時に仕事の失敗や人間関係の行き詰まりが重なると、症状も重傷になります。やる気、気力が無くなる。 気の持ちようなんですが、その時は出来ないのですね。危険信号がいろいろ出ていたはずなのに気付かないのです。この秋もそうでした。
ある日、心が重かった。朝起きたら、会社に行きたくなかった。会社に行きたくないことは結構多くある。でも、今回は違うなぁ。来てしまったなぁ。さぁて、どうするか。やっぱり、仕事を休む。それしかないなぁ。と。しかし、突然には休みにくい。午後半休しよう。今日なら出来る。と思っただけで、気持ちが和らぐ。会社に行って、午後半休の届けを出して、さて、午後は何をしよう。と考えていると心が少し晴れてくる。
とにかく、会社を出てどこに行こうか。そうだ、夏休みに機会を逃した、「千と千尋」だ。開演の時間に合えば見ようと映画館に行く。ラッキーなことに予告が始まったばかり。
映画を見て、喫茶店に入り、お茶とケーキ。それにしてもどうしてスタバはあんなに混んでいるのだろうか。今日も座れなかった。
町をブラブラと歩くと、見慣れぬ手芸店。そういえば、最近編み物もパッチワークもやっていないなぁ。何で時間が無いんだろう。もう少し余裕の時間を持たなくちゃ。などと考えながら、店の中を徘徊して毛糸を見たり、布を見たりしていると創作意欲が湧いてくる。なんか心も浮いてくる。機織り機の前でしばらく止まって見る。前からこの卓上の機織り機が欲しかったのよね。これでショールを作ってみたいなぁ。ベストも出来るなぁ。といろいろと想像を張り巡らす。でも、今は出来ないなぁ。置いておく場所もないしなぁ。田舎暮らしが実現できたら、出来るかなぁ。 などと考えながら、あきらめてその場を離れる。
夕方の食品売場を、あちらこちらとのぞいてみる。お腹が減っているので、何でも食べたいが、何を食べたいのか決心が付かず、人間ウォッチングだけをして何も買わずに出てくる。
こんな事をして、自分のためだけに時間を使う。ほんの半日フラフラしていただけで、ずいぶんと心が晴れる。これが無理して会社にいてもただただ心が重くなって、不調感は大きくなる。家に帰ってこもってもダメ。とにかく歩いたり、他の空気を吸うことが大事。気分転換って大切なもののですね。
さぁて、これで上手くいけば、また明日からがんばれる。
どんな風に死ぬか。人間一度は死ぬ。死ぬときまで元気でいたい。自分の運命に任せて死を迎える。自然に死にたい。と考えるようになったのは何時頃からか。
中学校の頃から死について考えていました。最初は死ぬことが怖くて、人間誰でも死ぬということを知った小学校の4年くらいの時は、身体がパニックを起こしたものです。
数度の入院体験で人間の死に付いていろいろ考えました。息をしているだけが、生きているというのか。その呼吸さえも、機械でコントロールされる場合もある。違う。絶対に違う。あんな姿で生きていて楽しいわけがない。人間、自分で食べて、自分で歩いて、自分でいろいろ考えられる。それが生きているって事じゃないのか。
健康に自信がなかった私は、自分の人生はけして長いものではないと確信していました。でも、人間は生まれたときから死に向かって進んでいくのだ。日々時間を過ごすことは死に向かっているのだ。と気付いたときに、自分のやりたいことはやろう。後悔の無い人生をすごそうと思ったのです。そして、天命の下るときに、満足して天に昇りたい。と。
なかなか、思い通りにならないのも人生で、性格もすぐに変わる訳じゃないから、やりたい放題、思いのままに生きることは出来ない。でも、そう思って生きるだけでも違うと思うのです。今の平均寿命まで生きられる。なんて思っていたら、最後の時に後悔ばかりになってしまうと思います。もし、平均寿命以上に生きることが出来たら、それは、それで幸せなことです。
3年ほど前までは、一番怖い病気はガンだと思っていました。だから集団検診も積極的に受けていました。ガンが怖いのは、掛かったら絶対に死ぬからでしょうか。でも、どんな病気だって死ぬことは有るんですよね。
風邪をこじらせて死ぬ人もいるし、肺炎で糖尿病で。何にしても、人間はいつかは死ぬのです。突然の交通事故や心臓病でも死ぬんですよね。今の世の中一寸先は闇だったりするんですね。なのにどうしてガンという病気は怖いのでしょうか。苦しいことや、痛いからか。
でも、最近はガンでもいいなぁ。と思うようになりました。余命宣告される病気ってガンだけ何じゃないかな。自分の人生の決算をさせて死ぬことが出来るのはいいことのような気がする。痛みさえ取れれば、延命治療も化学治療もしたくない。薬は手助け。
それこそ、自分の命を天に任せたいと思う。病院のベットで余命の5ヶ月を過ごすより、時間が短くなってもいいから、自分の好きなこと、やりたいことをして、自分の残された時間をしっかりと使ってから逝きたい。
実際に目の前で、余命宣告されたらどうなるのか。って、自分でもよく分からない。藁をもすがる思いで、いろいろ医療機関を巡ってしまうだろうか。
最近の報告では、すべての治療を止めても余命宣告以上の時間を生きている人もいるという。自分が生きようとする気持ちが大切だという。
そのためにも今の私の健康法が有るのだ。今までは、病気になったら医者に行けばいい、薬を飲めばいい。今はいい薬が有るから、医術が進んだから大丈夫。と思っていました。
でも、今は違います。病気にならないように生活をして、心から元気に過ごしたい。と思っています。
自らが持っている治癒能力を信じて、そしてそれがよく働くような生活をする。そして、後悔せずってのは、どんな人生を送ったとしても無理だとは思うので、せめて精一杯生きて、笑って死にたい。
どこかに出かけると、ふとどこからともなく「私を連れて帰ってよ。」と言われている気がする。見回すと、陳列棚に座った招きねこだったりする。そうか、あんたかぃ。うちに来たいのか。と私は買って連れて帰るのです。
招き猫に一番最初に声を掛けられたのは、7年程前。それからは自分でも意識して探してきした。今では、玄関に小さい招き猫がたくさん集まっています。ミミズクやカエル、天使の卵にも声を掛けられました。
そして、どこかに出かけたり、どこかの道を歩いていると、どうもそこを通りたくないと思うところに出会うのです。何がなんだか分からないけど、そこにはいたくないのです。誰かの家に行っても感じるときが有ります。それはなんだか分からないのですが。
写真を撮るのが趣味の一つ。どんなに富士山がきれいに見えるところでも、どうしてもそこからは撮りたくない。こんなにきれいに見える場所なのにと、心での葛藤。でも、居たくないものは、居たくない。とその場を立ち去り他を探します。
ある日、ある時、ある場所に行ったら、通りたくない場所に出会った。でも、戻るには大変だし、そこを通り抜けないとならない。仕方ないので、駆け抜けた。あとで調べてみたら、そこは戦時中にたくさんの人が亡くなった場所だと言う。こんな事を感じるのは私だけ?私になにかの力が多少の有るのかな。
私は温泉が好きである。泉質やら効能やらにはあまり興味がない。短気、せっかちの私は温泉に入るときくらいは、のんびり、ぼーっとしたいのである。
けっこう若いときから温泉が好きで、みんながペンションだなんだと騒いでいるときから、温泉旅館にしようよ。といっていた。なぁに、ばば臭いこと言ってんのよ。とみんなに言われたけど、その連中も今はしっかり温泉に行っている。
初めて露天風呂に入ったときの、気持ちよさは忘れられない。髪の毛の中を風が通り抜ける心地よさ。空は青く、木々は緑。木洩れ日が気持ちよい。浮き世の垢が落ちていく。
しかし、しかしである。この私のリラックスタイムを壊す事が多々起きるのである。大騒ぎして脱衣室で脱ぎ、大胆にプロポーションをほこるようにタオルで身体を隠すことなく歩き、そのまま湯船に直行。おいおい。そのまま入るのかい。プールに入るときだって、なにかするだろうに。
掛け湯をして。身体を洗ってから。とそこかしこに張ってあるじゃないかい。自分ちのお風呂にもそうやって入るのかい。親から教わらなかったのかい。テレビのようにバスタオルを巻いて入らないだけいいのかい。
掛け湯は身体を流すためだけじゃなくて、これからお湯に入る身体の準備でも有るんだよ。そのまま直行したら、お湯を熱く感じるでしょう。掛け湯で熱さにも、温泉にも慣れて欲しいのよ。そうすれば、自分たちだけでうめることも無いでしょう。そのままの体感でそんなに水を入れたら、ぬるくなってしまうのよ。
身体洗うときも隣の人にもう少し気を使ってね。あなたのシャワーが私に掛かるのよ。おまけに最後に立ってシャワーを浴びないでね。ひとりのお風呂じゃないのだから。
どうして、脱衣所から、湯船に直行なのか。せめてせめて掛け湯をして欲しい。これは、テレビ番組の影響なのだろうか。テレビ番組は脱衣室からバスタオルを巻いて出てきて、そのまま、湯船に。そりゃ、掛け湯や前を洗っている所は映像には出来まい。だけど、だけど、温泉に入る最低のエチケットはどうにか教えて欲しいものだ。テレビの影響は大きいのだから。
しかし、最近はカランの間に仕切のあるところが増えてきましたね。みんな隣の人のシャワーに迷惑していたのでしょうか。迷惑を掛けないように気をつけるのではなく、迷惑が掛からないように注意する世の中なのですね。
路上生活のおじさんが、雨が降ったり、寒かったりすると、地下道に入ってくる。一晩のつもりが、暖かいので数日になるのか。しばらくするとなぜかみんないなくなる。そして、また雪や雨になると降りてくる。
この繰り返しのなかで、このおじさん達のすぐ横でジベタリアン、もしくは寝ころんでいる高校生がいる。遠目に見ていると、なんの違和感も無く、高校生とおじさん達が同じような格好で、自分の前に何か食べ物を置いている。非常に不思議な世界だ。
そして、自分達が、ぺっぺといつか唾を吐いたところに、座れるのはどうして。その汚いお尻のまま、電車に乗り、家に帰り、もしかしてそのお尻のまま、ダイニングの椅子に座ったり、ベットに座ったりするのだろうか。するんだろうな。
そのズタズタのズボンの裾で掃除したゴミもご家庭にお持ち帰りですよね。その袈裟のようなスカートについた埃もお持ち帰りですよね。そして、その親たちは抗菌グッズにはまっているのだろうか。不思議だ。