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achaの言いたい放題
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医療費が上がったり、ペイオフが施行されたり、どんどんと生活がしにくくなっているのでしようか。
ペイオフは金融業界の整備、準備の遅れから一年、施行が延期されたわけですが、一年経って去年よりなにか違ったのだろうか。 確かに、この一年、合併が実現したり、支店の統廃合が有ったり、金融業者そのものが無くなってしまった所もあります。少なからず、仕事で銀行の動向に影響が有るところにいるので、いろいろと振り回されているところもあります。しかし、何が大きく変わったのか分からない。
ATMの時間が長くなったり、多くのコンビニで下ろせるようになったりはしましたね。でも、コンビニでは通帳には記帳が出来ない。そして、コンビニの近くにあった銀行のATM機はどんどんと無くなり、通帳記帳はどんどんと出来なくなっていく。
銀行は顧客がインターネット取引をしてくれれば、人件費も含めて、経費節約は出来る。インターネット取引を奨励する。しかし、パソコンを持っていない、インターネット取引が出来ない人たちはますます不便になる。どんどんと取り残されていくのでしょうか。
そういえば、郵便局のサービスはいろいろとアップしたような気が。
世の中がいろいろと変わっていく。テレビのニュースを見ていても、ちょいと乗り遅れると、何のことをやっているのか分からなくなる。新聞だって角からすみまで読む時間なんてありゃしない。
この前のムネオ報道のように、いつでもどこのニュース番組や報道番組でやっていれば、否が応でも目や頭に入ってくるが、チョイとやってすぐに他の話題になってしまうようなことや、特定の局のスクープだったり、特集だったりしたら、もう分かりません。
私はテレビは好きですが、ドラマはほとんど見ないのです。見ない理由は、見たくないのではなく、見るのを忘れてしまうのですね。ドラマの編成期に初回だけはチェックしていたのですが、次回の放送日を忘れてしまい、見なくなってしまうのです。
で、何を見ているかというと、ほとんどが情報番組であり、報道、ニュース番組です。こんな私でも、ペイオフや医療費値上げに関しては、よく理解が出来ていません。
人が集まって、いろいろ話をしていくうちに、一つの物事の情報が集まってきて、分かったような気がすることも多々ありますね。他の人たちはどうしているのかと、常日頃思っているのです。
ペイオフが施行されて、もし自分の取引銀行が破綻しても、我が家には一千万円の預金は無いから大丈夫。と思っていたら、破綻した銀行からはすぐにお金が下ろせなくなるともいう。と、いうことは、今までのように通帳をお財布替わりにして、いるときだけおろす習慣だと、使えなくなってしまうのですね。宵越しの金は持たない。って人もダメですわ。多少の手元資金を持っていないと、明日のご飯が食べられなくなってしまうかも知れませんね。
今週には、いろいろとペイオフについての報道が有ったようですが、今週はなぜかテレビを見ている時間が無かった私です。でも、一般市民がどこまで、ペイオフについて理解しているかは、私と同じような物でしょう。自分になんの影響が及ぶのか。
と、書いていたら、テレビで自分が取引をしていた信用金庫が無くなってしまい、どこかに身売りしていて、いつの間にか自分がブラックリストに載っていたとか。いや、ちゃんと聞いたり見たりしていなかったので、確定な事ではないかも知れませんが、知らない間に取り引き銀行が無くなっていたというのは、怖いですね。でも、ペイオフで地元の信金はどうなっていくのだろう。私は便利で親切な信金愛好者なのに。
ペイオフや医療費の値上げのニュースの町の声を聞いていると、一千万円をどこにどうするか、医療費も値上がるというのに、一千万円でどうしろと言うのですか。老後の医療費は大変な物ですよね。私たちはどうすれば。と言うようなインタビューの答えが多くありました。(預金を一千万円にしろって勘違いしている人かなとも思いましたが)
人は生きていく上では絶対に医者に掛かり、薬を飲まないと生きられないと思っているのですね。テレビでも、栄養ドリンクから、頭痛薬までどれだけの薬のコマーシャルをやることやら。これならば、飲んでるのが当たり前と思ってしまいますね。
実際問題として、私も2年近く前まではそう思っていました。死んで残すことはないけど、医療保険は充実させておかないとと。
医療費が値上がるのならば、医者に掛からないで生きていく方法は無いかとは思わないのだろうか。医療費が上がる、みんなが病気にならない、医者の商売上がったり。が、病気になる人はいるので、医者はやっぱり必要です。淘汰されていい医者しか生き残れない。腕も良く、良心的で、親身な医者。患者が少なくなれば、ゆっくり診療しっかり診断が出来て、治療も効率よく出来る。納得の行く診療に出会えば、それなりの医療費を患者が払うことになっても、それは納得が出来ると思う。昨日今日医者になった医者と、経験値があまりない医者と、ベテランで経験が高い医者、ベテランだけど腕がない医者。このどの医者に掛かっても、診療報酬が同じだというのは、私はどうも納得が行かないのです。
どの医者が何の分野に長けているのか、分かる情報が欲しいですよね。今は、近所で聞き回って、どこの医者はどこだか大学の出身で、信頼できる。と噂だけできめるのですね。
近所づきあいが無くなっている現在では、インターネットで情報を探しているのでしょうか。しかし、近所の情報がそんなに有るわけではないですね。
食べる物に注意したり、生活環境を変えたりすれば、病気に掛かる率も下がると思います。
新聞に子供の糖尿病の事が載っていました。小学生が入学直後の健診で慎重が125センチ、体重44キロで肥満度は80%で、随時血糖値が240。200以上が糖尿病とされているので、立派な糖尿病です。と有りました。
人生まだ6才しか生きてきていないのに、どうしたらこうなるのでしょうか。6年、いや初めから食べているわけじゃないだろうから、3年くらいでしょうか。そんな短い間に掛かった、この病気を克服するには長い時間が必要です。もしかしたら、一生なのでしょうか。
ラーメンとスナック菓子が好きで、ジュースを一日二リットル飲んでいたという。たった数年でこうなってしまうには、大変な量だったんでしょうね。これは自分のせいではなく、親の責任ですよね。親がジュースの味や、スナック菓子の味を覚えさせたのですから。
先日も、毎日カップラーメンを食べさせておいて、栄養失調で死んだ子もいましたね。食べさせていたから死ぬとは思っていなかったと。これを食べたらどうなるかということを考えていないのでしょうか。
自分がスナック菓子が好きだからと、一緒に食べて子供はそれでおなかが一杯になり、ご飯は食べられなくなるのですよね。親はまだ食べられます。ご飯の前にお菓子を食べたら、叱られる時代は終わってしまったのでしょうか。
自分は大丈夫。ちゃんとやっている。と思っていませんか。よーく、考えてみてください。常識の嘘にだまされているところが沢山有ると思います。幼子に牛乳やジュースを飲ませてませんか。スポーツドリンクが身体にいいと思って飲ませてませんか。飲んでいませんか。
マスコミやテレビの情報、コマーシャルにだまされないで、自分で選べる賢い消費者になりましょうね。そうすれば、家計に負担の掛かるような医療費は入らなくなると思うのです。
病気に掛かりにくい生活を目指しましょう。
本当に暖かいというか、暑い毎日ですね。寒の戻りとか、花冷えなどという言葉が、全然似合わない春ですね。三寒四温も無ければ、分厚いコートから一気にカーディガンでいいような、早春の風景なしに、晩春みたいなようですね。桜も咲いてみたものの暑さと湿度の異常な低さのせいか、咲いている花にイマイチ元気が無いように思います。
さて、なにやら長くなりましたが、こんなに暖かくなってやっと、年賀状の当選番号を見ました。いつもながら当たるのは切手シードだけですが、今年は不思議な事に当たったのは7枚でそのうちの6枚が43と言う数字です。そして、当たらない数字でも下二桁は同じ番号が随分と多いのです。確率の問題はよく分かりませんが、毎年同じ数字が多いな。と感じるのです。一番違えば何枚も当たったのになぁ。と去年も思いました。そして、今年は7枚も当たりましたねぇ。でも、きっと交換に行こうと思っているうちに、7月15日は過ぎてしまうのです。そういえば、当選番号も同じような数字が並んでますよね。どうしてでしょう。
毎日更新と考えてきましたが、福井と石川の旅紀行を作りながら、ここを書くのはやっぱり大変です。書かなくちゃと言うプレッシャーを受けるとすると本末転倒のような気がします。と言うわけで、旅紀行が出来上がるまでは、しばしお休みさせていただきます。
「急いで、急いで、みんな急いでよ。早く準備を終わらしてよ。早くしないと間に合わないわよ。もぉーみんな遅いじゃない。」
「これだって充分急いでいるわよ。こんなに早く春が来るなんて思っていなかったわよ。」
「まったくなんて陽気からしらね。」
「もぉ、とりあえず私が咲くから、みんな急いで後からついてきてよ。」
今朝は家の近くのソメイヨシノが一輪咲きました。その咲き方を見たらこんな会話を蕾がしていたんじゃないかな。と。きっと、大忙しで咲く準備をしたんだろうな。
本来ならば、蕾は赤くなり赤さが濃くなって、枝先全体が赤く染まって桜の木全体が赤く見えて咲く。しかし、今朝見たその桜の木は全体には赤くは見えないのです。
昨日は横浜、今日は東京での桜開花宣言。例年より2週間、去年より一週間早い。観測50年の歴史の中で始めてのことと言う。きっと例年にない暖かさに桜の蕾もびっくりしていることでしょう。
そして、花見を商売にしている人たちはどうしているんでしょう。これだけ早いといろいろな事が狂って来ることでしょう。さくら祭りが始まる頃には葉桜かな。入学式にも桜はないのね。
去年も咲くのは早かったけど、寒の戻りがあって、足踏み状態が長く、咲いている間も寒かったので、2週間も花見が出来たのですね。これから一週間も暖かいという。蕾に取っては去年とはまったく逆の現象なのですね。
会社の中庭にある桜はソメイヨシノとは違う種類で、ソメイヨシノより一足早く咲くのですが、こちらは例年通り3日ほど前から、蕾の赤がどんどんと濃くなっていき膨らんで、枝全体が赤くなって、昨日ついにほころんだのです。
桜の花の色の濃さは、蕾の時の温度差で決まると何かで聞いたか読んだかした覚えが有ります。それが膨らみ始めてから寒の戻りが有ったときが濃かったのか、その逆だったかは忘れましたが、今年のように準備期間が短い場合に咲く桜の色はどうなるんだろう。
来週末は鎌倉を歩く予定。予定を立てたときはまさか花見が出来るとは思ってもいなかった。歩くコースは桜の木が沢山あるので、咲いたらきれいだろうな。と思いながら下見をしたのでした。私の思いが伝わってしまったのだろうか。
今年の桜は本当に早い。私は10年ほど前から、桜の開花記録の写真を撮っていますが、こんなに早いことは無かったですね。この先、地球はどうなるんだろう。とも思ってしまう。
近所の公園の桜も私のモデルです。通りを挟んで二つある公園の桜は見事です。小さな公園にこんなに桜が有っていいのかしらと思うほどで、引っ越してきたときにはワクワク、ウキウキ、その絢爛さに驚きでした。憂鬱な通勤時間がなんかうれしかったのです。
それが、悲しいことに今年に入ってから改修工事が始まり、何本かの大木が伐採されてしまいました。せめて、今年の桜が終わってからにして欲しかった。と思う私です。年度末ゆえ、そういうことは出来ないんだろうな。と思いながらも納得が出来ないもう1人の自分がいます。もう、あの風景は二度と見られないのだと思うと、寂しい。
それは、全部の桜の木が無くなったわけではなく、数本が切られただけなのですが、とても減ったように見えるのです。鬱蒼としていた木々が、さっぱりしてしまったのです。毎年写真を撮っている私としてはショックだし、周辺の人にしても寂しいことだと思います。
まだ公園は改修中で今シーズンはこの桜の下での花見は出来ないですね。工事の金網の外からしか、愛でることが出来ないのは、本当に残念です。
小学校の前のしだれ桜が開花した。去年より10日早い。こりゃ、花見の日程も考えなくちゃ。この花が咲いてから10日ほどで、ソメイヨシノも咲くのよね。と言うことは、今年はお彼岸か。
横浜の開花予想は19日と発表されている。ここ数年、暖かいので開花が早くなっているように思うが、実は途中で寒の戻りがあって、平年通り。それどころか、去年も一昨年も2週間、花見が出来てしまってるんですよね。
でも、今年は私の予想では、咲き始めたら一週間は持たないような気がする。
4月の頭に伊豆に桜を見る、温泉旅行に行くのに、八重桜の花見になってしまうかな。
ズズズゥズゥズル、ズーズー。ここ10日ほど前から、電車の中でこの音がいたるところから出てくる。見渡すと、若い女の子も、お兄さんも、中年のおじさんもズルズル。1人2人ならそんなに気にもならないが、これだけ集団の人間がやっていると、気になって仕方ない。
思わず、テッシュ持っていないのですか、と差し出してしまいたくなる。と思っていたら、新聞にもそのようなことが書かれていた。全国展開なのかこの現象。
どうして鼻をかまないのだろうか。人前で鼻をかみたくない。そりゃは分かるよ若い女性ならば。しかし、昨今の若い女性は人目も気にせず化粧が出きるのに、鼻はかめないなんて、そりゃぁ、おかしい。
この花粉症の鼻水はズルズル。鼻にテッシュを当てるだけでも大丈夫だとおもう。何で鼻水が出てくるかというと、鼻の中に入った異物を外に出したいために、鼻水となって出てくるのです。それをズルズルと鼻の中に戻してしまったのでは、何時までたってもズルズルなんです。目にゴミが入って、涙が出るのと同じだと思います。
今でも、テッシュを手放せず、鼻の下が赤くなっている人もいるけど、去年はこんなに集団の音じゃなかったなぁ。花粉が多すぎるのかな。
あんまり、ズルズルとしていると、耳も痛くなるのではと、他人のことなのに心配してしまう私なのです。実は私は花粉症では無いけど、このズルズルで、耳の鼓膜が引っ張られて、内側にへこんでしまったのです。耳に水が入っているような、水の中にいるような不快な気分でした。長い期間耳鼻科に通いました。
鼻に入り込んだ花粉を出すと言う、自衛本能が働いて出したいのだから、鼻水は身体から出しましょう。鼻はかみましょうね。自分のためにも、人のためにも。
年末に風邪を引いて断念した、福井と石川県制覇の旅に行ってきました。福井は永平寺。石川は金沢。金沢はどこへ行っても「利家とまつ」のオンパレード。加賀百万石博が23日から始まるので、このポスターもいたるところ。しかし、あのキャラクターになっている利家は可愛すぎる。
飛行機で小松空港まで50分のフライトはアッという間。チケットレスで予約。3年ぶりくらいに飛行機に乗る私には、まぁ世の中進んだなぁ。と思う。クレジットカードを発券機に差し込めば、ちゃんと私の名前で行き先のチケットが出てくるのですね。不思議です。そりゃ、当たり前と言えば当たり前何でしょうが。私にとっては不思議なチケットレス。
それにしても、行きも帰りも下界がきれいだった。雲がないとこんなにもきれいに見えるのね。と、窓に身を乗り出して下界を見つめました。
永平寺の静寂、長い歴史を見守ってきた、この本堂は何を見てきたのか、何を語るのか。と感傷にひとりで浸っていると、ペチャクチャペチャクチャ、バタバタ、うるさい集団がやってくる。どうして、そんな世間話をしながらここを見学するの。僧侶が食事の修行中だから、ここを前を通るときは、静かに、足音も立てないようにって、始めに言われたでしょうが。ここがなんだかわかっているのかい。困ったおばちゃん集団だ。かえって、ここを見学に来る若い人の方が、心得ているように見える。
金沢の町は、ひとり旅でも十分に楽しめる。それにしても、加賀の人、いゃ前田藩の家人か。とにかく頭がいいというか、知恵者だ。と感心したのでした。前田家ってこんなにすごかったのか。一代でここまでの土台を作った前田利家ってすごいなぁ。どんな人だったのか、俄然興味が湧いたのでした。
前田家のことを知らないで、来てしまってごめんね。って感じでした。
戦国時代の話は好きな方で、斉藤道山、織田信長、豊臣秀吉など、山岡荘八氏などの小説は読みあさりました。でも、なぜか、前田家、前田利家についてはまったく私の目の中に入ってきませんでした。
考えてみたら、これらはみんなNHKの大河ドラマでやっているのですね。私もミーハーだったのか。でも、新撰組には興味が湧かなかったのはなぜだろう。
さて、今日はこれから本屋に行って、前田家の本を買ってこよう。
春になってきたなぁ。いい空気だ。春の匂いがする。空も木々も春を感じている。深呼吸。う、臭い。せっかく人が春を満喫しているのに。くさい。ホタル族だ。上の階から臭いが落ちてくる。おまけに灰まで落ちてくる。春の気分台無し。
家の中に香料がなくなったせいか、もともと鼻のいいのも手伝って、においには敏感。休みの日の午前中には風に乗ってやってくる隣家からのアタックのにおいを感じてしまう。あら、ダッシュ、これはブルーダイヤとにおいが分かってしまうのである。こんなにおいを感じたらすぐに窓は閉めます。合成洗剤がこんなに臭うとは、石けんを使うまで知りませんでした。
香料でアレルギー反応を起こす場合が有るのですが、気付いていない人は多いですね。アトピーで困っていると言う子の服からは、合成洗剤のにおいがプンプン。でも、このにおいに囲まれていたら気付かないにおいだろう。
この前も、駅のホームで小学生の集団に出くわした。これから遠足でも行くのか、リュックを背負って、思い思いに話をしてましたが、その数メートル風下にいた私の鼻は、合成洗剤のにおいをビンビンに感じました。
今の全自動の洗濯機で洗うとすすぎが不充分なのかな。合成洗剤の成分が残っているのも皮膚によくないし、においを鼻から嗅いでもよくない。
しめた窓でも、換気口からたばこの臭いが入ってくるのですね。たばこのにおいといえば、歩行たばこのにおいがこんなにもくさいとは思わなかったですね。臭う臭う、どこから臭うのか。遙か前方だ。
信号待ちなどでは、本当にくさい。風下に立ってよ。と思いながら、自分で風上に行く。たぶん吸っている人は外だから煙も臭いも人には関係ないと思っているのだろう。ところがどっこいこれが、煙くてくさいのである。外は思いも寄らない広範囲でくさいのである。歩きながらは止めてほしいものだ。被害が大きい。
ねこのオシッコ、犬のオシッコ、外にもいろいろな臭いがごろごろしている。家の周りには路上生活者が紛れ込むのですが、歩いているときに、あの独特なにおいを感じてすぐにどこにいるのか感じ取ってしまいます。
仕事場でも、男性の整髪料や女性のムースの匂い、敏感に感じ取ります。においにはいい感じのにおいと、絶対に嗅ぎたくないにおいとが有るんですね。ムースのにおいでも、こらえるのが大変なのもあります。化学的においほどくさいのです。
匂いと臭い、どう使い分けていますか。臭い(くさい)いい匂いって、ところでしょうか。
夜パジャマを着たら、なぜかたばこ臭い。なんでだろう。パジャマでたばこを吸う席になんて行かないのに。と歯を磨きながら考えていたら、気付きました。昨晩は飲みに行って、フラフラで帰ってきたので、風呂にも入らずに、パジャマに着替えて寝たのでした。その時に身体に付いていた臭いがパジャマに付いたのですね。それが一日経ってもまだ臭うと言うことです。臭いってすごい。
こんなに鼻がいいのならば、刑事になればよかったか。違うかぁ。アハ
白杖の人が断歩道を渡ろうとしているとき、車椅子の人が自分の車に乗ろうとしているとき。なにか手助けしたいと思いながら、どうやって声を掛けたらいいんだろう。どうすればいいんだろうと思いながら結局何も出来ないで、無事に横断歩道を渡ったことを遠くから確認する私です。
ある日、ひとりで電車に乗っていると、ほとんど満席だったその車両にひとりの盲目の女性が、誰かに連れられてやって来ました。そして、私の隣の席に座ったのです。その人は空席を探して欲しいと頼んだようで、お礼を言っていました。
しばらくして、次は横浜ですか。と聞かれたのです。はいそうです。と答えた私の心の中は少し複雑でした。この人も横浜で下りるのか。私はどうしたらいいんだろう。
電車は横浜に着いてしまった。やはり隣の女性も立ち上がった。私は頭で考えることなく、どちらに降りますか。と聞いていた。彼女は相鉄線に乗るのです。と言う。それでは、私も京急ですから同じ方向なのでご一緒しましょう。と言っていたのです。ありがとうございます。と歩き始めたのでした。
彼女は杖を右手に持ち、私の右腕をつかみました。そうだそうだ、確か案内をする場合は、手を取るのではなく、相手がこちらの腕をつかむことで安定する。ってどこかで習ったなぁ。階段を下り、通路を歩く。初めて盲目の人を案内するので、どうしたものかと思いながらも、階段終わりです。坂です。一段上がってます。と案内をしたのでした。彼女はお急ぎで無いのですか、とこちらの気遣いをしていました。
それにしても、私より横浜駅の構造を知っていたのには、驚きました。
相鉄の階段の左端で別れました。何で、改札までご一緒しなかったのか。何で切符を買うのを手伝わなかったのかと、京急の通路を歩いてい後悔したのでした。でも、私の初めてのボランティア。いや、ボランティアなんて大それた物では無いけど、次はもっと出来るようになっていたい。これが私の最初の一歩になるようにしたい。と思ったのです。
大丈夫です。って断られたらどうしよう。逆に迷惑だったらどうしよう。押しつけがましくなく、なにげにさりげなくお手伝いをするにはどうしたらいいんだろう。といつも頭の中で考えていました。この時、頭より先に行動に出たのは、相手との距離に考える時間がなかったせいでしょう。
電車で席を譲るときも、譲られた人が、私ってそんなに年寄りに見えるのかしら。って譲り方をしてはだめなことを知りました。目の前に妊婦や私よりも年上の人が立った場合は、言葉は出さずに自分が立ち上がり、ジェスチャーでどうぞ。とすると、相手もなにも考えずに座るようです。それが、自分が立つ前に、言葉でどうぞ。と発すると、いいです。って言われる場合が多いです。
空いてる席に誘導するときも、言葉は掛けずに、空いている席をお知らせすると座ってもらえます。
声を出すとなぜ、拒まれるのだろう。と思っていたら、声を掛けると、頭の回路が働いて、考える時間が出来て、一瞬のうちにいろいろと巡って、いいです。と言うみたいです。本当に座りたいと思っている人は、頭で考えても身体で座りたいと思っているので、座るんですね。きっと。
ゆずって断られるのは、なんか恥ずかしいと思うのはわたしだけ?何時までもお礼を言われるのも恥ずかしいですね。下りるそぶりをして、その場から離れます。
もっと気軽に、もっと普通にお手伝いが出来るといいなぁ。といつも思っていますが、なかなか上手くいかない。されげなく出きる人の事をこっそり盗み見ている私です。