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achaの言いたい放題
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電車に入ってくるなり、ミニスカートのスラリとした足を組んで、大きな声で話し始めた女性二人。まるで自分の家のソファーに座っているように、リラックスした座り方。パンチラになっても一向に気にすることなく、二人は電車に乗る前からの話の続きをしているようす。電車に乗ったからと、声のトーンを落とすわけでもなく、電車がホームに入ってきても聞こえるような声で話していたままです。
車内は乗客が余裕で座れる状態。そんな中での彼女らの話は彼とのデートの話。どうしてそんなことを大声で、それも電車の中で話せるのかと思う話。聞きたくないのにあまりの大声なので、向かい側に座った二人の話は私の耳にビンビンと入ってくるのです。
まるで、部屋の中に二人だけでいるような話の内容。誰といついつどこのホテルに行ったら、設備がどうだったこうだった。あらあんた、あいつと行ったの?おいおい、その先までは話してくれるなよ。自分たちだけの空間じゃないのだから。
と思っていたら、ここはあなたの家のリビングでは有りません。と言う、ポスターが張ってあったのでした。
しかし、最近の世の中、やっていいこと悪いことの判断がおかしくなっている。大人も子供も。どこまでやっていいのか、いけないのか。と言うラインが無くなってしまったのでしょうか。
自分だけがよければ、自分の会社がよければ、自分のところが儲かれば周りはどうなってもいい。
喧嘩は昔からあったけど、殺すまで喧嘩は素人はしなかったような。いじめにしてもどんどんエスカレート。官民政も何かが崩れている。いまの国会を見ていても、なんか変だ。
不正の暴きもそうである。確かに不正は裁きを受けるのが当たり前。しかし。と思うのである。本当はそんなことでなくもっと根本的にやることが有るのでは無いだろうか。
どうも、日本人の頭のどこかのねじが狂っているような気がする。どうしたら、ねじは正常になるのだろうか。
今の若い子達の服はロマカワとか言うらしい。何かと思えばロマンチックカワイイらしい。なにやら不思議なフッション。
そのレースを使ったパンツとスカートを合わせて、颯爽としているはずの若い子。彼氏と一緒に歩いているのに、歩く姿が、膝は伸びていないは、腰はへっぴりでがに股。
もっと腰を伸ばして、膝を伸ばせばかっこいいのになぁ。なんで、あんなにぎこちなく歩いているのか。足でも痛いのか。いつもの人間ウォッチングを駅ホームでやっていた私です。
偶然にも、車内では私の隣に座った。座るなり、「ああー、足が痛い。やばいよこの痛さ、明日学校に行けないかも知れない。」と彼氏に訴え、靴を脱いだのです。
やっぱり足が痛いのか。なにげに足を見ると、先がとがっていて見るからに歩きにくく、履きにくそうな靴。こういうのが流行りなんですね。かかとはバックベルト。そして、素足。
そうそう、なんで生足って言うようになったんですかね。素顔、素手、素足ですよね。生顔、生手なんて言わないのに、どうして生足なんだろう。
素足でサンダルを履くとべたべたしてきて、とても素足と言うほどのすがすがしさが無く、生々しい状態になるからかしら。素足に下駄は合うけど、靴に素足は合わない。生足の方がなんか臭そうで、べたべたしていてる状態を表しているのかな。でも、どうして素足で靴を履けるのだろうか。私には絶対に出来ない。それだけでも足が痛くなるしべとべとさが嫌だな。
まぁ、とにかくその子は素足に赤い靴を履いていたのです。足は所々が赤くなっていて、茶色いところもある。たぶんミュールを履いたときに当たった場所だと思われる。去年の情報番組で、流行りのミュールを履くのは涙ながらの努力が必要だとやっていましたね。
どうしてそんなにい痛い思いや辛い思いをしてまでも、流行の靴を履くのでしょう。それよりどうしてそんな靴が流行るのでしょう。トータルフッション?
私も以前、普通のパンプスを履いて歩いて、指が痛いなぁ。と思いながらも歩くしかなかったので歩いた。その後、何日かして中指の爪が半分取れた。そんなにも負担がかかっていたのか。と自分でもびっくり。パンプスはかかとがそんなに高くなくても長い間履いていると疲れてくるし、どこかに座ると脱いで足をブラブラしたくなる。
買うときにちゃんと試着というか、試し履きして買うのにどうしてこんなにいたくなるのか。パンプスは歩くための靴ではないのか。
そういえば、ニューヨーカーは通勤はスーツにスニーカー、職場でパンプスに履き替えるとやっていたなぁ。歩くには不向きなのか。こんな普通のパンプスをストッキングはいても痛いのだから、赤い靴の子は相当いたいものだと思う。
こんなに痛くなる私の足は普通の足では無いのかな。とシューズフィッターのいる店と言うところで、足を計ってもらい靴を買ったのです。
私の足は左右の大きさが少し違い、親指の高さが有るらしい。人より幅が広いと思っていたけど、そうではないらしい。今まで3Eを買っていたのに、2Eだという。Dと言う細身の足のサイズが有ることを知りました。今まで見たことが無かったです。
買った靴の値段は確かに高い。今まで買っていた靴の倍でした。倍と言っても今までが一万円台だから高くても3万円台。
今まで履いていたようなデザインは無いですよ。あくまでも足の事を考えたデザインですから。と言われて、計ったあとに、何足か出してきてもらい、試し履きすると、なんとぴったりのこと。どこにもあたることもなく、履いているという締め付けもない。
以前の試し履きは何だったのか。感激して、「すごいぴったり」と言うと、店の人が自慢げなのか、そうでしょう。それが私の仕事です。って。いいなぁ、自分の仕事に自信が有るのって。と思ったのでした。
少しの不満は、やっぱりデザイン。足が前に降りていかないように、しっかり甲のところで止めるデザインです。足の指が痛いのは、足が前にのめってしまうから。で、甲で止めるデザインとは、ピアノの発表会靴とでも言うのでしょうか。甲の所にバンドが有るのですね。
ここ数年では町でも見るようになったのですが、あの時は子供の靴って印象でした。それで悩んでいると、店の人が見慣れますよ。と言う。履いているときの感じと見栄えのジレンマ。
でも、履き心地には勝てない。で、買ったのですが、その靴の履き易いことこの上ない。一日中はいていても全然大丈夫。どこかで脱ぎたいなんて思わない。出張に行って、帰りに飲みに行って、一日中履いていても全然大丈夫。確かにデザインは見慣れました。
すごく不思議だったけど、それが当たり前なんだそうです。一足では履きつぶれてしまうので、二ヶ月に一足ずつ買いました。その後は発表会靴ではなく、甲の所をベルトで止める形。色違いで3足買いました。高いとかは価値観の違いかも知れないけど、私はこんなに楽になるのならば、高くは無いなぁ。と思います。それこそ、流行のデザインではないので、大事に履けば何年も履けるのです。
他にもいろいろ矯正はしてくれるので、ちゃんと計ってもらうといいですね。足の長さが違うとか、大きさが違う、人間左右均等な人はいないらしい。外反母趾の人も随分来てますね。腰の高さが左右違う人もいる。今まで歩きづらかった人が、歩く楽しさを戻せるんですね。
靴が足にあっているって、こんなにも幸せなことだったんです。あなたも靴に足を合わせるのではなく、足にあった靴を履いてみませんか、世界が変わりますよ。
人間は何のために働くのかな。食べるため。いい生活をするため。いい思いをするため。仕事が趣味って人もいるでしょう。やっていたことがいつの間にか、仕事として稼いでいる人もいます。そういう人は幸せなのか、それとも趣味が仕事になるって以外と苦しいことなのか。好きでやっていることに、振り回されて何のために忙しいのかわからなくなったりもしているかも知れませんね。
でも、サラリーマンで何かに縛られ、やりたくない仕事にも精を出し、そつなくこなし、嫌な人間関係もどうにか克服するために、すごいエネルギーを使っていると、ああ、私はここに何しに来ているのだろうとさえ思う。それがサラリーマンの宿命なんですけどね。
たまたまいい職場、いい人間関係、自分が好きになれる仕事に出会えればそれは幸せです。自分のやりたいことが見付かるまで、フリーターでいます。ってそれも幸せなのかな。
みんながみんなフリーターになったら、世の中は成り立たなくなる?フリーターになりたくても働くところが無くなるのか。
夏の暑いときは、しっかり働いて、食べ物を確保し、冬の時期にその蓄えを食べる。夏の暑いときに優雅に暮らしていたキリギリスは冬になったら途方に暮れる。だから、しっかり働きなさい。ってアリとキリギリスですね。
でも、最近の世の中を見ていると、本当にそれがいいのだろうかと思うようになってきた。定年を数年前にして亡くなる人の多いこと。定年したら何をしよう。これをしようとせっせとお金を貯めても使うことなく天に召されます。もしかしたら、その貯蓄は入院費に使ったのでしょうか。もしかしたら、定年は55才のままでよかったのでしょうか。
もし、日本が100人の村だったらと言う本にも、日本村の人たちは貯金が好きです。使うためにではなく、貯金をするために働いています。と有りました。まさに。
何のために働いて何のために生きて行くんでしょう。働くと稼ぐの違い。
どうせ同じ人生なせば楽しく生きていきたい。でも、子供もある、家のローンもある。今は、嫌な思いをしているけど、将来はきっといいことがある。と明日への希望を持って、稼ぎに出かけているのだろうか。アリのように将来には楽な暮らしが待っているのか。
人生50年だったときと、今の人生80年とどっちが幸せなんだろう。いや、人生40年の時代も有ったわけです。今でも、アフリカあたりでは42才くらいの人生の人たちもいるという。
私は最近、原始の時代の生活にあこがれます。自分で取れる物を食べて、余計な物は取らない。余計な物は殺さない。陽が昇ったら起きて、暮れたら寝る。本当に生きるために働く。何かを収穫しなければ、死ぬのですから。
自分で作った物で食卓を飾る。今日は白菜三昧、明日は大根フルコース。でもいい。
私はキリギリスになりたい。遊んで暮らすというわけではなく、自分らしく生きたいと思うのです。
そういえば、大人のためのイソップ物語が有るって聞いたことがあるなぁ。読んでみたい。
と言うタイトルで、日経新聞のプラス1にベスト10が載っていた。私はそのうちの9ヶ所に行っている。
1位の中尊寺は随分若いときに行っている。東北にはじめていったときで、いっぺんで東北好きになった。親戚を訪ねたり、友達を訪ねたりの旅。中尊寺は雪の中1人で歩いた。足が冷たくて困ったなぁ。1人で歩いた初めての旅かな。
2位の永平寺は先月行きました。あの大きさ、あの妙な静寂さ。若いお坊さん達は何を考えて修行をしているのだろう。と思いましたね。冬のお寺はひと味違う。
3位の法隆寺は高校二年の冬休み。初めての友達との旅。これも冬だった。京都奈良は普通は中学の修学旅行で行くのに、私たちの中学は行かなかったので、京都へのあこがれ。新幹線に乗ってみたい。と言う気持ちは強かったのに、お金が無くて、往復夜行バス。若かったけど、今のようにデラックスなバスではなく、国鉄の普通のバスだったので、辛かった。
泊まったところはお金もないのに、ユースホステルはなぜか嫌で、レディースホテル。今でも一泊1500円だった事を覚えている。先日嵐山にあれ以来はじめていったら、まだ元気に現在していた。ケチケチ旅行の第一歩の旅。
4位は唐招提寺。ここにも高校二年の時。
5位の室生寺は20代最後の歳だったろうか。旅日記をひもとけば正解は有るのだが、旅のリストを作るまで正解は保留。夏休みに行ったので、暑かった。奈良をひたすら歩いた。この五重の塔は小さいのに重圧感が有った。数年前の台風で被害を受けたときは心が痛んだ。奈良の方が見る場所は離れているが、なんかのんびり、心が優雅になるように思った。飛び込みで入った奈良の旅館はとっても良かった。
6位の西芳寺は行ったことが無い。確か予約がいるのですよね。この予約と言うのに弱い。いつかは行きたい。
7位の平等院も夏の時。夏の風が心地よかった。中を案内してくれるガイドさんを頼んだ訳じゃないけど、説明を覚えているので、いつものようにどこかの団体の後ろについて回ったのだろう。歩いた後の、抹茶フロートが美味しかったことをなぜか覚えている。
8位の善光寺は、一番最初は小学校の3年ぐらいだったと覚えている。桜がきれいだった。まんがのブッタを買ってもらった。地獄巡りもしたことが有る。ここは中学の修学旅行でも行ったし、社会に出てからも行っているので、7回は訪ねているように思う。一昨年、去年も行っている。一昨年行ったときは、カメラカバーを無くしてしまった。
9位の金閣寺も高校の時。どうして昔の人はこのような建物を造ることを思いついたのだろうか。自分の力の表し方なのか。と真剣に思ったのです。しかし、銀閣の方がいい。銀箔が張られていたのかな。なんて思う。そして、数年経ってまた行ったけど、やっぱり私は銀閣が好きだわ。
10位の清水寺は初めてが高校の時で、その後も3回くらいは行っている。季節が違うだけでいいところ。京都のこのあたりは何度行ってもいい。
こう見ると、やっぱり京都、奈良が多いのですね。それにしても中年になってから行ったところは一ヶ所か。
タイトルは随分前から考えていたのですが、今回のみずほ銀行の事件を知ってから、やっぱりなぁ。どうしてだろう。事なかれ主義、自分さえよければいい、何も言われなかった。そんな人間が増えたのですね。プロとして、しっかり仕事をしようとか、きっちりする、自分でも納得の行く仕事をする。そんな意識がなくなってしまったように思う。
銀行の仕事は99%のミスが有ってはいけない。とお客さんから怒鳴られたことが有ります。注意に注意を重ねて、確認しても細かなミスやエアーポケットに入ってしまったような思いも掛けないミスが起こることが有るのです。
しかし、今回のみずほフィナンシャルグループでは予想できたトラブルだという。なんか、呆れて声も出なかったが、このまま行ったら、間に合わないとか、大変なことが起きると予測した人がいるのかいないのか、それとも知っていたけど、誰からも指摘されなかったので、報告をしなかったのか。
いろいろ手を尽くしたけど、今更間に合わないと言えなかった。とか、いろいろ考えられるけど、結果として、膨大な口座振替の二重落としやATM機の不能が出たわけで、この後の処理はどうするのだろう。
口座振替が終わっていると思って、残金を使ってしまい、本当の口座振替が出来ないとか。このトラブルの解消には今月半ばまで掛かると言っていたが、それはシステムのトラブルの修正であって、顧客に起きている事柄はどうなるんだろう。今後の処理方法が楽しみである。
これらは、銀行に限ったことでなく、いろいろな職種の人がプロ意識や職人気質が無くなっている。トラックの運転手が荷積みをばらまいたり、横転したり、高速道路で追突したり。酔っぱらい運転したり。これは、帰りの空車だったらわかるけど、預かった積み荷の事を考えない無謀なこと。確かにトラックの運送は時間に追われて大変な事は良く知っていますが、私が知っている頃の運転手は、どうやっていち早く荷を運ぶかの、ギリギリ無謀運転であり、今のようでは無かったように思う。携帯電話で運転がおろそかになったとか言うが、昔からトラックの運転手と無線やCBは付き物だったのですよね。
泥棒だってそうだ。ピッキングがいろいろ世間を騒がせ、ものの見事に簡単にドアを開け、きれいにものをとっていく。入られた人は、泥棒が入った後何のあまりのきれいさに驚いたとか。
ピッキングの話を聞かなくなったら、今度はバールで壊しているという。両替機、自動販売機、ドア。どんどんバールで壊して、目的を果たすという。プロならプロらしくもっときれいな仕事は出来ないものか。ただ、目的を果たすだけでいいのだろうか。なんて、考える私がおかしいのか。
我が社にもいるのだ。全然プロ意識のない仕事をしているのが。給料をもらっている以上はプロじゃないか。せめて、給料分ぐらいは働けよ。自分の仕事くらいはきっちりやってくれよ。そんな計算間違えるなよ。エクセルのせいにするなよ。計算式を入れたのはあなたなんだから。自分で出した、数字の説明が出来ないなんて、何を考えて仕事をしているのよ。自分で納得して仕事をしてよ。口ばっかりえらそうで、それに見合う仕事が出来て無いじゃない。昨日今日入社した社員じゃないのだから、いままで20年間あなたはいったいどんな仕事をしてきたの、私から言わせれば給料泥棒だわ。尻拭いを年下の私にさせるなんて最低。あんまり馬鹿なことが続くので、呆れてものが言えない。
いろいろ考えていくと、警官も、医者も、政治家もプロ意識の低い人が増えたと言うことか。すると、日本全国プロ意識はなくなっている。こんな事で、腹を立てたり、エネルギーを使う方が、馬鹿を見るのだろうか。ああ、嫌だ嫌だ。
居酒屋に行って、聞き慣れない料理が有ったので、説明を求めるとその女性はわからないらしく、他の女性を呼んできた。そして、私たちは同じ事を言って説明を求めた。すると、その彼女もわからないらしく、どこかへ行き、男性を呼んできた。「なにかご用でしょうか」という。ご用でしょうかって、もう二度も聞いているんですよ。同席の男性が店長呼んでよ。と言うと、私が店長です。という。あーあ。って感じ。仕方なく、また同じ事を言う。やっと、その料理の説明を受け、店長の低姿勢に免じて、それを頼んだのです。
自分が運んでいるものがどんなものくらい知って欲しい。ね。と話していると、その前に頼んだものが来ないのに気づき、一度催促をすると、はい、ただいま作っています。という。さっき頼んだものが来てもまだ来ないので、再び言うと、また厨房にいく。戻ってきて、さっきと同じ事を言うので、もういいよ。いらない、キャンセルして。と言うと、はい、そうですか。と、あっさりとオーダーのキャンセルを受け入れるのである。
あれ。なんかおかしい。せめて、もうしばらくお待ちくださいとか、今持ってきます。とか、そんな言葉を期待していたのに、肩すかしを食らったのです。そして、顧客の満足を得られなかったのに対して、一言とも、謝ることは無かったのです。こんな人たちを使っている店長も大変でしょうが、もっと教育してよね。店長。
辻元さんの辞任記者会見時のあの笑顔は何を物語っていたのだろうか。世間の人はとやかくいろいろ言う。彼女は誰をかばっているのだろう。誰かにあのように言えと言われたのか。彼女の性格から言えば、不本意なことだろう。
はめられた。と思ったのは私だけだろうか。田中真紀子氏の更迭事件も、彼女の行動にも問題はあったが、やっぱりはめられたと思っていた。出る杭は打たれる。出すぎた杭は打たれない。とも言うらしいが、出た杭はじゃまだから打たれる。誰がじゃまだと思っていたのか。
女の私が仕事でガンガン言ったり、行動すると。生意気だ。と平気で口に出す奴もいるし、女のおまえなんかに言われたくない。と顔に書いている団塊の世代のおじさんもいる。それじゃ、ちゃんとやれよ。と言いたい。
女が社会に進出してきたので、いままで忙しい忙しい、大変だと言っていたことが、実は自分の能力が無くて忙しく大変だったと言うことを思い知らされているのかも知れない。だから、女に言われると悔しいんだ。
私も出る杭かも知れない。現実に、私の仕事の前任者は課長職であり、私が引き継いだ後しばらくして、残業しないで出来る仕事が、彼は毎晩夜中までしていたらしい。次長は「彼は苦労したから。」と表現する。大変な仕事だから苦労したのか、自分の能力がその仕事に向いていないので、苦労したのか。どっちにしても、男同士、悪くは言わない。私が涼しい顔で、やっているのが気にくわないようだ。
確かに、能力も行動力も有る男もいる。そういう人は、仕事に男と女の区別を付けないし、いい意味で女の能力を利用している。
政治の世界は誰がはめたかわからないけど、きっと沢山の議員サンが困っていることだろう。たたけば埃が出る。そんな人ばかりだろうに。自分で自分の首を絞めて行くような。
土井さんにも火の粉が飛んだようだし、どれだけの議員がやり玉に上げられるのだろう。
私腹を肥やした人、事務所の経費に当てた人。政治、代議士の世界の事は分からないが、お金が無いところのやりくりは大変なのだろう。秘書が身内で固められている代議士もいると言うし。でも、やっぱり、政治不信というか、どうせ自分の私腹しか考えていない。としか思えない。何だかんだ言っても、本当にクリーンな政治で、自分のことを勘定に入れず、日本のことだけを考えて働いている代議士がどれだけいるのでしょうか。本当に議員手当だけではやっていけない世界なんでしょうか。
今後どのような展開になるのか。徹底的に洗い出されるのか。途中でストップが入るのか。あの笑顔の答えも出るかも知れない。
15日も早く咲いたと手放しで喜んでいいのだろうか。と言いながら先週と今週にお花見散歩に出かけてみました。
先週は鎌倉。今週は横浜。先週はどこもちょうど見頃。しかし、お彼岸に花見とは、誰が考えていたことが。
今週は花吹雪。もっと散っているかと思ったら、先週の寒の戻りが花冷えとなっていたので、花が持ったようです。
この休みの陽気はゴールデンウィーク並だという。歩いていて驚いたのは、木々の新芽が一ヶ月は早い状態。目に青葉って感じです。太陽の光も春と言うよりは、初夏って感じ。
木々もそれを感じているのでしょう、我が家の前の街路樹のハナミズキのがくも色づいています。昨日歩いていたときは、八重桜が咲き、なんと藤が紫色に膨らんでいたのです。何もかもが、5月の感じで、木々達も面食らっていることでしょう。
こんなに季節が進んでしまったら、夏にはどんな陽気になるのでしょう。地球や太陽があまりに人間が自然環境に対して勝手なことをするので、怒っているのかな。
しかし、この快速特急並の天気は、今後どんな影響をもたらすのかと思うと、いろいろと不安です。桜だって咲いたものの、あまりの気温の高さに花がヨレヨレに見えてもいました。
このまま行ったら、農作物にはどんな影響があるのだろう。寒さや暑さの温度を敏感に感じて植物は生きているのだけど、こんなに突然暑いとどうなるのかな。我が家のベランダのネギはここ2,3日で突如としてネギ坊主が成長してしまいました。
春に育ち、私たちに春を感じさせてくれたり、楽しませてくれる。そんな食べ物達はどうなっているんだろう。春キャベツなんて、あの柔らかい葉は通り過ぎて堅くなったりして。
花見があまりに早くなったので、近所の桜祭りはどうなるんだろう。花が咲き始めたときには、ぼんぼりも無いままに、いつの間にか露天商が集まってきて、人がそぞろ歩きをしていました。ぼんぼりやライトアップが始まったときには、桜は満開を過ぎていました。でも、桜祭りは予定通り来週。葉桜祭りですね。関係者に日程の変更を伝えることが無理なのか、準備の都合上いろいろあるのだろう。
そんな中で、私鉄が開催する、夜桜ウォークは一週間前倒しで、開催されたようです。きっと、連絡が付かなくて、来週に来る人もいるんだろうなぁ。
こんなに花見がずれてしまったことで、商売に影響している人も多い事でしょう。酒屋、旅行会社。
この異様な天気が、いろいろな物に影響している。農作物にも、政治にも。何かが狂っている。
医療費が上がったり、ペイオフが施行されたり、どんどんと生活がしにくくなっているのでしようか。
ペイオフは金融業界の整備、準備の遅れから一年、施行が延期されたわけですが、一年経って去年よりなにか違ったのだろうか。 確かに、この一年、合併が実現したり、支店の統廃合が有ったり、金融業者そのものが無くなってしまった所もあります。少なからず、仕事で銀行の動向に影響が有るところにいるので、いろいろと振り回されているところもあります。しかし、何が大きく変わったのか分からない。
ATMの時間が長くなったり、多くのコンビニで下ろせるようになったりはしましたね。でも、コンビニでは通帳には記帳が出来ない。そして、コンビニの近くにあった銀行のATM機はどんどんと無くなり、通帳記帳はどんどんと出来なくなっていく。
銀行は顧客がインターネット取引をしてくれれば、人件費も含めて、経費節約は出来る。インターネット取引を奨励する。しかし、パソコンを持っていない、インターネット取引が出来ない人たちはますます不便になる。どんどんと取り残されていくのでしょうか。
そういえば、郵便局のサービスはいろいろとアップしたような気が。
世の中がいろいろと変わっていく。テレビのニュースを見ていても、ちょいと乗り遅れると、何のことをやっているのか分からなくなる。新聞だって角からすみまで読む時間なんてありゃしない。
この前のムネオ報道のように、いつでもどこのニュース番組や報道番組でやっていれば、否が応でも目や頭に入ってくるが、チョイとやってすぐに他の話題になってしまうようなことや、特定の局のスクープだったり、特集だったりしたら、もう分かりません。
私はテレビは好きですが、ドラマはほとんど見ないのです。見ない理由は、見たくないのではなく、見るのを忘れてしまうのですね。ドラマの編成期に初回だけはチェックしていたのですが、次回の放送日を忘れてしまい、見なくなってしまうのです。
で、何を見ているかというと、ほとんどが情報番組であり、報道、ニュース番組です。こんな私でも、ペイオフや医療費値上げに関しては、よく理解が出来ていません。
人が集まって、いろいろ話をしていくうちに、一つの物事の情報が集まってきて、分かったような気がすることも多々ありますね。他の人たちはどうしているのかと、常日頃思っているのです。
ペイオフが施行されて、もし自分の取引銀行が破綻しても、我が家には一千万円の預金は無いから大丈夫。と思っていたら、破綻した銀行からはすぐにお金が下ろせなくなるともいう。と、いうことは、今までのように通帳をお財布替わりにして、いるときだけおろす習慣だと、使えなくなってしまうのですね。宵越しの金は持たない。って人もダメですわ。多少の手元資金を持っていないと、明日のご飯が食べられなくなってしまうかも知れませんね。
今週には、いろいろとペイオフについての報道が有ったようですが、今週はなぜかテレビを見ている時間が無かった私です。でも、一般市民がどこまで、ペイオフについて理解しているかは、私と同じような物でしょう。自分になんの影響が及ぶのか。
と、書いていたら、テレビで自分が取引をしていた信用金庫が無くなってしまい、どこかに身売りしていて、いつの間にか自分がブラックリストに載っていたとか。いや、ちゃんと聞いたり見たりしていなかったので、確定な事ではないかも知れませんが、知らない間に取り引き銀行が無くなっていたというのは、怖いですね。でも、ペイオフで地元の信金はどうなっていくのだろう。私は便利で親切な信金愛好者なのに。
ペイオフや医療費の値上げのニュースの町の声を聞いていると、一千万円をどこにどうするか、医療費も値上がるというのに、一千万円でどうしろと言うのですか。老後の医療費は大変な物ですよね。私たちはどうすれば。と言うようなインタビューの答えが多くありました。(預金を一千万円にしろって勘違いしている人かなとも思いましたが)
人は生きていく上では絶対に医者に掛かり、薬を飲まないと生きられないと思っているのですね。テレビでも、栄養ドリンクから、頭痛薬までどれだけの薬のコマーシャルをやることやら。これならば、飲んでるのが当たり前と思ってしまいますね。
実際問題として、私も2年近く前まではそう思っていました。死んで残すことはないけど、医療保険は充実させておかないとと。
医療費が値上がるのならば、医者に掛からないで生きていく方法は無いかとは思わないのだろうか。医療費が上がる、みんなが病気にならない、医者の商売上がったり。が、病気になる人はいるので、医者はやっぱり必要です。淘汰されていい医者しか生き残れない。腕も良く、良心的で、親身な医者。患者が少なくなれば、ゆっくり診療しっかり診断が出来て、治療も効率よく出来る。納得の行く診療に出会えば、それなりの医療費を患者が払うことになっても、それは納得が出来ると思う。昨日今日医者になった医者と、経験値があまりない医者と、ベテランで経験が高い医者、ベテランだけど腕がない医者。このどの医者に掛かっても、診療報酬が同じだというのは、私はどうも納得が行かないのです。
どの医者が何の分野に長けているのか、分かる情報が欲しいですよね。今は、近所で聞き回って、どこの医者はどこだか大学の出身で、信頼できる。と噂だけできめるのですね。
近所づきあいが無くなっている現在では、インターネットで情報を探しているのでしょうか。しかし、近所の情報がそんなに有るわけではないですね。
食べる物に注意したり、生活環境を変えたりすれば、病気に掛かる率も下がると思います。
新聞に子供の糖尿病の事が載っていました。小学生が入学直後の健診で慎重が125センチ、体重44キロで肥満度は80%で、随時血糖値が240。200以上が糖尿病とされているので、立派な糖尿病です。と有りました。
人生まだ6才しか生きてきていないのに、どうしたらこうなるのでしょうか。6年、いや初めから食べているわけじゃないだろうから、3年くらいでしょうか。そんな短い間に掛かった、この病気を克服するには長い時間が必要です。もしかしたら、一生なのでしょうか。
ラーメンとスナック菓子が好きで、ジュースを一日二リットル飲んでいたという。たった数年でこうなってしまうには、大変な量だったんでしょうね。これは自分のせいではなく、親の責任ですよね。親がジュースの味や、スナック菓子の味を覚えさせたのですから。
先日も、毎日カップラーメンを食べさせておいて、栄養失調で死んだ子もいましたね。食べさせていたから死ぬとは思っていなかったと。これを食べたらどうなるかということを考えていないのでしょうか。
自分がスナック菓子が好きだからと、一緒に食べて子供はそれでおなかが一杯になり、ご飯は食べられなくなるのですよね。親はまだ食べられます。ご飯の前にお菓子を食べたら、叱られる時代は終わってしまったのでしょうか。
自分は大丈夫。ちゃんとやっている。と思っていませんか。よーく、考えてみてください。常識の嘘にだまされているところが沢山有ると思います。幼子に牛乳やジュースを飲ませてませんか。スポーツドリンクが身体にいいと思って飲ませてませんか。飲んでいませんか。
マスコミやテレビの情報、コマーシャルにだまされないで、自分で選べる賢い消費者になりましょうね。そうすれば、家計に負担の掛かるような医療費は入らなくなると思うのです。
病気に掛かりにくい生活を目指しましょう。