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achaの言いたい放題
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いつから、天気予報で簡単に今日の最高気温35度なんて言うようになったのか。少し前までは今日は33度か、暑くなるなぁ。と思っていた。ところが最近は東京35度なんて平気で言うのね。甲府なんて何度になるの。
フェーン現象で富山37度と初めて聞いたときは、どんな状態なの。と思っていて、聞いたことがあるけど、身体ダルダルだよ。と言っていた。
しかし、ここ数年35度37度は当たり前になりつつある。特に東京は冷房の熱風が吹き荒れている。去年も都心に出張したときに、電車を降り立ったらクラクラきたもの。夜のニューかで36度とやっていたので、二度クラクラしてしまった。その時どこかは38度だった。身体はどうなってしまうのか。自分の体温以上の気温で過ごすって、精神もおかしくなるよね。温暖化ってやつだよね。このままいったら地球はどうなるのかな。
先日、南極の映像を見て驚いた。氷山がどんどん解けて海に落ち、陸地には土が見え、夏には雨が降るという。ペンギンが雨に濡れ、巣が雨に流されていた。このまま氷が溶けたら、海の水かさが上がり、0メートル地帯は陸地ではなくなってしまうのか。いいのかな。こんな事で。
私も環境だなんだといいながら、車は止めたものの、格安の飛行機に乗っていたら環境汚染、地球温暖化に荷担しているよなぁ。あの飛行機が一回飛ぶのに、どれだけの二酸化炭素をばらまいているのやら。きっと凄いよね。といいながら、ここまで来た文明社会をどこまでさかのぼることが出来るのか。
10年前の二酸化炭素排出量にしましよう。って、地球のお偉いさん達が協議したわけで、10年前なんてどんなに違うのよ。もっと前にしないと、地球が可愛そう。と思ったのですが、富士山を何年も追いかけて写真を撮っていたので、空気の汚れには如実に感じている。5年毎に振り返ると富士山の見える日の数も、見え方が全然違う。空気がどんどん汚れて行くのが分かる。
10年前といろいろ比べていくと、結構違うらしいですね。本当に文明の進化は凄いんですね。
私は10前に何をしていたのか。10年前と比べたら二酸化炭素の排出ってどう変わったのかな。一軒の家に暮らしているので、実家にいるときに比べたら、その排出量は完全に増えている。車は止めたけど、当時はワープロしか持っていなかった。
今、我が家では何台のパソコンが動いているのだろう。細かく考えれば、やっぱり私ひとりが排出している量は確実に増えている。もっと真剣に考えないと、祖先から預かっている地球を子孫に渡せなくなってしまう。私も私ひとりがこんな事をやって何になる。こんな些細なことで何になる。と思う気持ちが大きいのだけど、やっぱりちりも積もれば山となる。精神でもう少し真剣に考えて見ようっと。
今日は今年の最高気温が出ると天気予報は予想をしている。まだ今は風が吹いているからいいけど、午後にはどうなってくるのか。35度以上になればる、日陰が涼しい訳じゃない。もう、10年以上前の真夏に関西に遊びに行ったことがあり、日陰のベンチで涼もうと座ったら、ベンチが熱くて飛び上がってしまった。手で触るとベンチは暖かい、冷たいものと思って座ったので、熱く感じたのです。日陰の周りのものをさわってみたらみんな暖かいのである。気温が上がると言うことはこういうことかと、妙に納得してしまったのです。
外に出るときには日射病に注意だったけど、家の中にいても熱中症に注意らしい。我が家は滅多なことでは、冷房を入れない。おでこに冷えピタ、首に濡れタオルで、今日も乗り切るぞー。夏は汗をかいた方がいいのよ。しっかり、水分ですね。
すっかり、ここにご無沙汰してしまいました。m(__)m
何年かぶりに包丁で指を切った。人参を切っていたので、結構な力が入っていた。切った瞬間も結構な手応えがあった。やっちまった。こりゃマズイ。包丁で切った瞬間に血が吹き出るなんて、どれだけ切ってしまったのか。少しだけ見たらちゃんと指先はついていた。よかった。切り落としてない。
小指の根元を押さえて口に指を入れながら、夫に指切った。と言うとふーん。と言う。そうじゃないよ。凄いよ。これは!ティシュー、輪ゴム、絆創膏と矢継ぎ早に私が言うのでオロオロしながら、簡易救急箱をあさり、なぜかオキシドールを持って来る。何でオキシドールよ。輪ゴム、テッシュ。口の中に血が広がっていくのがわかる。
私自身もこんなに切ったのは初めてなので動揺している。なんか血の気が引くような気がした。輪ゴム、テッシュは有った。と、指の根元を輪ゴムで縛る。指先から5ミリほどの所から斜めにしっかり切れている。骨の先だったので、骨は切れてない。爪は半分切れている。もう少し切れていたら本当に指先が欠けていたかも知れない。
夫が絆創膏をさがしている間に、なんか気分がおかしくなってくる。指の色が変わってきたので、輪ゴムを外す。切り傷などしたことがないので、ガーゼも包帯もない。とにかくぎゅっと縛らなければ。絆創膏がやっと出てきた。しかし、古いので粘着面が重い。なかなかはがれない。その絆創膏をきつく貼り付けて、包帯がないのでその上からテーピングのテープを巻く。そして、夕飯の続きを作ったのです。ズッキンズッキンと痛みが出てくる。
近くのスーパーが9時まで開いているので、ご飯を食べたあと、スーパーの中にある薬局まで行くと、なんとスーパーは9時までなのに、薬局は8時までだった。残念。
ラップで指を包み濡れないようにして、お風呂に1時間入る。当然腰湯。指を下に向けるとズキンズキン。夜は痛みを感じることもなく、ゆっくり眠れた。
翌日、会社の診療所にこのままでいいかな。と相談に行くと、とにかく消毒をしなければ、と言われる。今はこの指を触りたくないなぁ、と思うのだけど、ぐるぐるまきのテーピングを外すこととなる。痛い痛い。目から涙と、うめき声。
最後の絆創膏は自分ではがす。お腹に力を入れて、ゆっくりと剥がしていく。古い絆創膏の粘着力は凄い。出てきた小指の先をじっくりと見るとやっぱり結構切れてる。色も変わっている。
どこからともなく先生が出てきて、私の小指を見る。ああ、随分切りましたね。といわれ、テープを貼りましょう。化膿止めの薬も出しますね。と言われる。口の開いている場所にテープが何本か貼られて、ガーゼで巻かれてテープで留めて、ネット包帯に包まれた私の小指。
救急箱は使わなくても、定期的に中身の交換をしてね。絆創膏は特にね。といわれ、化膿止めの薬をもらって来る。
小指と言え度、結構不便である。手を洗うもの大変。ぶつかると痛い。帰りに、ガーゼと包帯を買ってくる。夜はガーゼを巻いてラップを巻き、ビニール袋をしてお風呂に入る。今日も1時間。出てきて、ラップをやテープを取るときは痛みが響く。
切ってから
12時間後 痛い痛い。指を下に向けても痛い。 夜は腰湯に1時間
24時間後 触れると痛い。診療所に行く。テープを外しても痛い。夜は腰湯に1時間
36時間後 なんか痛くなくなっている。
48時間後 痛みをほとんど感じない、夜は腰湯に2時間。月曜日に診療所に行くまでこのまましなければならないので、傷口を見られないが、こんなに痛くなくていいのか。
60時間後 結構強く押しても痛くない。小指に直接ついている紙テープで指がかゆくなってきたので、肌についているテープを剥がす。ついでに全部のガーゼを剥がしてみたい衝動にかられるが止めておく。
84時間後 傷の場所が少しかゆくなってきた。治ってきたのだろうか。
96時間後 診療所に行って、消毒。傷口は乾いているようだ。
一週間後 止めてあったテープを取る。まるで抜糸のようだ。すっかりくっいていいる。傷の保護のためにテープを貼っておく。
10日後 爪が伸びてきたので切る。割れ目がどこかに引っかかって、爪が取れるのは嫌だからやっぱりテープで留めるが、傷口は表面だけが付いていない状態。化膿せずに治ってよかった。
2週間後 テープも外す。直接どこかにぶつけると痛いが、しっかり傷口も塞がっている。爪がどこかに引っかかってはがれると元の木阿弥なので、水絆創膏で止めておく。
傷口の皮がむけて、ほとんど跡形もなくなったが、爪がはがれているので、そこが痛い。
1カ月後 すっかりきれいな小指。しかし、切れた場所はさわると微かに痛い。
日本人は真似が好き。ここの所ベッカムヘアーの若者を何人も見る。いいのか悪いのか、何とも言い難いが、その昔から、まねることで進歩してきた日本。戦後の復活も真似から始まったと思う。
戦後の復興から高度成長、エコノミックアニマルとかいろいろやってきた日本ですね。世界一働いていた日本人だったけど、働き過ぎ。年休を取りましょう、働く時間を短くしましょう。と最近は、世界一働いていない国になったらしい。イタリアを抜いて働かないらしい。1800時間の目標が達成したのか。でも、これってフリーターはカウントされているのかな。なんて思う。
日本は真似てまねて本来の日本人の心や環境、精神をどこかに置いてきてしまったのだろうか。大和魂はどこへ行ったのか。戦争が終わって、戦前にしていたことがすべて悪い。と言ってきたように戦争を知らない私たちには伝わっている。米飯生活も、和服生活も、家族のあり方も。
新しいものを受け入れる事はいいことだと思うが、何も考えずに受け入れてきた日本。他がやっているからやる。隣の家が何を買ったから、うちも買う。と言う精神ですね。
もし、イタリアのようにMDの進出を制御したら、今の日本はどうなっていただろうか。絶対に食生活は今とは違う物になっていただろう。まぁ、タラレバで考えても先には進まないのだが。
真似をするのはいいけど、いい風習は残して置いて欲しかった。自分たちの祖先がやってきたものすべてを否定するのはおかしいと誰も思わなかったのだろうか。少しでも残っていたら、今のはちゃめちゃの世界にはなっていなかったように思う。
ただ、自分たちの利益だけを求めて来た日本。自分だけ良ければいいと言う、根性だけは成長したのですね。確かに、生活は豊かになったかも知れない。だけど、心は豊かになったのだろうか。どこかの国では、椰子の実が3つ有ったら、一つは自分のため、一つは動物のため、一つは子孫のため。と二つ残すという。しかし、日本人は全部自分で取ってしまうのだろうな。自分たちの将来をも考えずに。
不思議なことに、最近では日本の古い物が若者に新しいものとなって取り入れられて来たようです。新しいものとして受け入れられているから、あの浴衣の着付けでも仕方ないのかな。でも、本当の浴衣の着付けを知って欲しい。伝統の継承をして欲しい。
流行を取り入れるのも凄く早い。しかし、それを自分の物としてこなしている人は少ない。まねた物を自分流にアレンジする。そういうことが最近ないのだろうか。ペッカムの頭はあの顔立ちだから似合うのであって、あなたの下膨れの顔では似合わないと思うな私は。
私は連続物のテレビ番組が見られない。一度見ても放送局も曜日も時間も忘れてしまうから。毎朝新聞でチェックすればいいのかも知れないが、たぶんそれを見ても忘れてしまうのだろう。
基本的に最近はドラマはほとんど見なくなった。見るのを忘れてしまうので、見なくなったとも言える。だから、日替わりメニューで見ても見なくてもいい、情報番組を見ることが多い。でも、スポンサーのご機嫌をとるだけの嘘番組は大嫌い。
そんな中で、見るのを忘れない番組が「渡鬼」「利まつ」「ためガッ」である。昨日は「ためガッ」の放送。いろいろためになったり、新たな情報としてなかなかいい番組だと思っている。この番組のいいところは、一度放送しても、内容に間違っていたことがあったり、読みが浅くて誤解されてしまったことが分かると、前回はこうでしたがと、もう一歩深い内容で放送する事だ。
今回は食器洗いの事。誰でも後かたづけは嫌なものです。国営放送だから食器洗いの宣伝はしないだろう、でも、簡単食器洗いってどんなとだろう。と興味津々でテレビの前に座ったのです。しかし、今回の内容は私が普段やっていることばかりだった。たぶん、これを実行している人は随分といたことでしょう。私と違うのは、洗剤とスポンジを使っていること。
でも、出てきた主婦達は目から鱗の様な話しぶり。そうか、私が当たり前だと思っていたことも、新しいことなのである。考えてみれば、私も10年前までは、スポンジに洗剤をシュッシュとやって、フライパンの油を中和させて洗っていた。
こんな番組は、どんどんとやって欲しいと思う。私が何人に言っても伝わらないことが、メディアを通すとアッという間に浸透するのである。
みなさん、台所にはボロ布や古い電話帳を常備しましょうね。それで油は拭き取ってから洗いましょう。間違っても48度のお湯で流し落とさないでね。どこでまた固まるのですから。排水口が詰まってしまうかも知れませんよ。
排水を汚さないことは水源地を汚さないこと。そして、地球も汚さない。少しでも地球に優しい生き方をして、祖先から借りている地球を子孫に残しましょうね。これ以上地球をいじめるとどんなことが怒るか分かりませんよ。
たばこと縁が深かった喫茶店でさえ禁煙なんですから、本当に喫煙者は肩身が狭くなっている。新幹線も禁煙車の方がいつの間に増えて来ましたね。
禁煙車が増えたせいか、喫煙車の煙はすごい。吸わなきゃ損って感じでしょうか。駅のホームも喫煙場所は決められているし、朝夕のラッシュ時はそこで吸えなくなっている駅が増えてます。
たしか、10年数年前までは、在来線でもたばこが吸えたんですよね。東海道線も平塚までは禁煙だったけど、その先はよかったと思う。通勤区間は禁煙なのか。と思っていた記憶が。そのうちに、禁煙車両が出てきて、増えてきて、全面禁煙。
東海道線が禁煙になっても、上越線とか地方の在来線は喫煙車でしたね。たまに18切符を使って乗ってましたが、ボックスシートに男性三人と女性が1人。男性同士は知り合いらしく、話をしながらたばこをプカプカ。女性が嫌な顔をしているのに、お構いなし。せめて吸ってもいいですか。って有ればいいのになぁ。と思っていたけど、こんな人ばかりだから全面禁煙になったのか。とも思う。
社員旅行のバスの中でも当時は喫煙だったなぁ。隣に座った男性が、たばこ吸ってもいいですか。と言ったときは、なんてスマートな人なんだろう。と思った記憶がある。
考えてみたら、昔は病院の待合室も煙がもくもくだった。当時は我慢していたのか、気にならなかったのか。どこでもかしこでも喫煙は当たり前でしたね。灰皿はどこにでもありました。
今は、そば屋ラーメン屋あらゆるところで、禁煙の店が出てきています。食べ物やが禁煙なのはいいですね。店も食材も臭くならなくて。
ホテルも禁煙ルームと言うのがチョイス出来るんですね。部屋に入ってたばこ臭いときは部屋を変えてもらいたくなりますよね。最近のたばこが特に臭いがきつくなった訳でもないだろうに、妙に臭いのはどうしてだろう。
何にしても、マナーは守って欲しいなぁ。個室や食事の席は当然だが、歩行たばこは本当に迷惑だと思う。あげくにポイ捨て。千代田区では歩行たばこ禁止条例を決めたと言うが、確か横浜市にも有ったと思う。ポイ捨て禁止だったかな。しかし、その条例はなんの罰則がないのでか、なきものとなっている。
外で吸うには他人に関係が無いと思うのか、そんなことはないのです。煙も匂いもどこまでもどこまでも漂っていくのですね。
しかし、喫煙者の肩身が狭くなっているのはそれは大人の喫煙者で、未成年の喫煙者がどんどん増える。そして、若い女性も。最近は女性の歩行たばこの姿をよく見かけるようになのましたね。きれいに化粧した美しい人が、歩行たばこをしていると、幻滅してしまいますわ。
高校生の喫煙はもともとも違反をしているのですから、禁煙場所だろうが、吸ってはいけない時間だろうが構わず吸っている姿を見るのは耐えない。誰かが何かを言えばいいのだろうが、私を含めて大人達は見て見ぬ振りをしている。
私は彼らはちゃんと働かず、住民税も所得税も払わないのだから、せめてたばこ税くらい払えばいい。なんて変な考え方もしてしまう。
まぁ、とにかく高校生の喫煙者は増えている一方なのでしょう。止めたくても止められなくて困っていると聞いたこともある。今の学生はストレスが多いのだろうか。
大人が何も言えない程、今の高校生は一番怖い人種なんだろうか。いや、大人がちゃんとして、ちゃんと叱ればいいと思う。大人がちゃんとしていないから、子供を叱れないのでしょうか。政治家でさえあの態度。何が生きていく上でもの手本なんだろう。大人が子供の手本にならなければならないのに。何という世の中だ。
4月に新橋のローズマリーさんにお会いしたときに、半日断食の話を伺いました。私は一日三食きっちり規則正しく食べることが、健康にもダイエットにもいいと信じていたので、朝ご飯抜いて大丈夫なんですか。なんて、疑問を持ちながらうかがっていました。
西式健康法も耳にしたことは有ったのですが、具体的に何をしているのか知らなかったので、すぐに本屋に行って見ました。すると、甲田光雄先生と言って、西式健康法のお弟子さんと言っていいんでしょうか、その方の半日断食の本を見つけたのです。おお、これか。と、さっさく買い込んで見ました。
半日断食と一日断食。そして、その方法と効果が書かれていました。宗教的なものではなく、お医者さんが書いていることであり、東洋医学の考え方です。東洋医学に興味のある私はまたまた興味津々です。
考えてみたら、私はお腹が空いても空かなくても時間になっていたらご飯を食べていました。だって、三食きっちり。の考えですから。私の不調はもしかしたら、胃腸を働かせ過ぎ?生まれてこの方胃腸が休んだのはいつなんだろう。絶食したのって、慢性盲腸で入院したときだわ。と思い出しました。繊維は消化に20時間掛かるそうです。
一度胃腸を空にしたら体調が良くなるかな。と読みながら思ったのですが、自分でやるにはなぁ。半日断食で18時間食べないと言うのは、どうなるんだろう。やっぱり、会社を辞めてから挑戦しようかな。と思っていたのですが、なにげにネットで検索していると、「やすらぎの里」と言う、断食の出来る温泉をヒットしたのです。温泉治療、食事治療、東洋医学治療の三本柱。ストレス解消、体質改善、健康的にダイエットなどと書いてあります。これは行くしかない。
仕事は引継なんかで休めないと思っていたまのに、引継は全然ないので、わがままを言って3日休みを下さい。とお願いしたら、贅沢と言われて渋々2日の休みを取って、宿に予約をして行ってきました。その体験談は近いうちにマイブームの載せますので期待していて下さい。
結論は、行って良かった。また行きたい。出会った人も病みつきになりますよ。と言っていましたが、確かに空腹の辛さよりあとの気分の違いの方が大きいです。
今回は、初めから一週間は耐えられるのかわからなかったし、一週間の休みも取れないし体験としての2泊3日でしたが、2泊3日ではもったいなかったです。きっちり一週間のプログラムでやるべきだと思いました。治療が気持ちよいし、温泉三昧、食事も自然食で美味しい。世間から離れてボーっとする時間は何とも貴重な時間でした。
1人で参加しても、みんな同じ思いで来ている人たちなので、そこかしこで話の和が出来ます。私ひとりが2泊で出てきたので、淋しかったです。断食反応の辛さなど、同じ苦しさを味わっているせいか、なんか団結心が出てくるようですね。私もみんなと一緒に過ごしたかった。
帰ってきた翌日は、身も心もなんて軽いのでしょう。イライラもしていません。一日の断食だったのに体重は2キロ、体脂肪は3%減りました。一週間いたら、どんな効果が上がったのでしょうか。知り合いになれた人に結果報告をしてね。とお願いをしてあるので、メールが来ることを楽しみにしているところです。
あんまり書くと、体験談と重複してしまうのでここらにしましょう。
ちゃんと断食を体験したことで、自宅でも一日断食の仕方がわかったので、1カ月に一度は挑戦しようと思っています。あなたもどうですか。
愛社精神なんて言葉はもう通じないのだろうか。私は、自社製品に有るものは自社製品を買う。そんなところまで意識するのかと、夫には呆れられるときがある。でも、どんなに小さいものでも自社製品を買うようにしている。
逆にどうして自分の会社のものを買わない人がいるのだろうか。と思ってしまう。他社商品を持って会社に来る奴を見ると腹が立つ。正々堂々とそんなものを持って来るんじゃないよ。と言いたい。あんたはそれを分解して調査するのか。
自社製品に信頼が置けないから買わないと言う。社員が信頼の置けないものを一般ユーザーに売っているなんてとんでもないと思う。信頼がないのならば、信頼できる商品に社員がモニターになったつもりで、使うのが当たり前だと思う。自社製品を愛せない社員が多い会社の将来はない。と思っていたら、確かに、我が社は崖っぷちだ。実証してしまった。
売り上げを上げるために社員販売セールをする。うちの商品は絶対に買わない。すぐに壊れるから。とうそぶくやつがいる。私はそんなことを言う奴は会社を辞めた方がいいよ。と喉まで声が出る。それを声に出して言えない自分も情けない。製造販売会社である。売れなければどうしようもない。
確かに、今の部署は製造でも販売でもない。直接関わっていないけど、我が社は製造販売業。その製造販売をしている社員のサポートをしている部署の人間がそのようなことを言うのだから呆れる。
景気がよくないからと創立記念日も10年前程前から式典も止め、まったく普通の日と変わらなくなってしまった。そのころからの社員は会社の創立記念日さえ知らない。せめて、創立記念日の日には社長のお話などが有っていいと思う。景気がよくなくてもカットしてはいけない行事は有ると思う。
そのころからか、愛社精神が薄らいできたように思う。何でこの会社に入ったのだろうか。そこで働いている以上は会社の繁栄を願うのが当たり前だと思っている。
社員が好きじゃない会社を他人が好きになってくれるでしょうか。好きになってもらわなければ、ユーザーに愛してもらわなければ繁栄はないのです。自分が会社にそっぽを向いているのに、給料が安い。会社のものは買わない。なんて言っている奴は会社にいる資格がないと思う。
でも、こんな奴らがいつの間にか増えていったので、今の会社が有るのでしょうか。いい時代もありました。行け行けバンバン。売れに売れて、前年比130%の右肩上がりの数字をキープしている時代も有ったのです。その時に今の定年間近の人たちは、バリバリの働き盛り。しかし、波に乗っているだけで、波を起こすことは考えなかったのでしょう。畑を耕すことも種を植え付ける事もせず、刈り取りだけに忙しかったのでしょうか。
団体意識、同じものを見ている感じている心は大切だと思う。自分の会社のことをもっと知ってもっと好きになって欲しい。愛社精神がなければ会社は蘇生しないと思う。
会社が勤続10年の社員を対象に早期退職を募集した。いよいよ来たか。10年ほど前に一度赤字に転落してからは、世間ではまだ流行になっていなかった「リストラ」と言う言葉が社内をかけめぐり、いろいろな手当はカットし、文房具は買うな、交際費は申告制、何でも節約、節約。そして、50歳以上の役職の退職勧告。
本来リストラは構造改革であり再構築で、人員整理という事だけではないのに、いつの間にかリストライコール人員整理になってしまいましたね。いつからだろう。
とにかく、我が社は2年に一度くらいは黒字になりながらも、こんな事を2.3回繰り返して、一昨年の夏はついに早期退職の役職年齢は40歳まで下がったのです。いよいよか。一般職まで来るのは近いな。と思っていたら、それはやって来たのです。
労組からの説明会では、定員をオーバーしても定員にならなくても一般職には今回限り。肩たたきも、逆肩たたきもしない。本人の意思に任せます。やりたいことがある人はどうぞ応募してください。まだこの会社で頑張りたい人は一緒に頑張りましょう。という。
今回は、申し出が有ってからの金額の提示ではなく、全員に会社から状況の説明があり、勤続10年以上の対象者全員に金額が提示されたのです。退職日は6月30日。その日まで何日もないのに、仕事の引継はどうなるのか。あとのことは会社が考えるという。外部パワーを使ってでも乗り切るという。とにかく、この上四半期で固定費の削減をしたいらしい。
私は、やりたいことがある。だからいろいろ考えたのです。早期退職の上乗せ分を見ると、自分で辞めると言うより当然だがぜんぜんいい。しかし、目先の金額だけで辞めることを決心すればそれは絶対に後悔する。私は金額が提示される前に何度も何度も考えた。いろいろな場合を想定した。
リストラされたというと、会社からあなたはいらないから辞めてくれと、言われたようになるけど、私はリストラされたとは思わないだろ。会社の利害と自分の利害が合致したと言うことです。
定年間近の人が、早期退職をすると近所の目が気になるらしい。定年退職をしたのならば、正々堂々と旅行に行くことも、趣味にも専念できるという。しかし、早期退職をすると、平日は外に出たくないと言う。土日は元気で平日はうつ状態になると言う。でも、それは、自分がリストラされた。人員整理された。いらない人間と烙印を押された。と思うからであり、自ら辞めた。自分でやりたいことが有るから辞めた。と、自分の気持ちがしっかりしていれば何でもないと思うが、人の目が気になって辞められないのも変だと思う。
目先の金額だけで考えても、あとから来る税金や健康保険料そのたもろもろの費用を考えていないと後悔するだろう。会社にいればとりあえず給与はもらえるのだし、いくら加算金が有っても、そんなのそれこそどのくらい持つのだろうか。子供がいたり、ローンが有ったり、いろいろ考えることはある。
幸か不幸か私にはローンは有るけど、子供はいない。質素に食べていけるだけの金額が有ればいいと思っている。いざとなれば、新聞配達や早朝のコンビニで数時間働ければいいとも思っている。職がないと言っても、人がいやがる仕事はきっと人出不足では無いかと思っているが、考えが甘いかな。
誰々が辞めるから自分も辞める。と言うのも最低ですね。それこそ後悔の人生でしょう。要は、自分がどうしたいのか。と言うのが一番大事。それがしっかりしていないと何をしても後悔するし、人の目が気になるのだろう。
逆に、辞めたくても辞められない人も確かにいる。辞めて欲しいのに辞めない人もいるだろう。
早期退職というものに対して、自分がどのように対処するか。自分の気持ちがしっかりしていないと、何かに取り憑かれて、気付いたら予想外の結果だったりする。
失業率もどんどん上がり、思うような職がないという。どうしてこんな世の中になってしまったのか、と思う気持ちも有りますが、私にとっては転がり込んだチャンスだと思っている。
横浜市営地下鉄では、各駅で一つの国を応援している。駅にはその国のユニフォームが飾ってあったり、小学生が書いた絵が張り出してあったりもする。人形の館からはその国の人形が貸し出されて飾ってある。どこの駅もワールドカップ一色。と言いながら展示が淋しい駅も有りますが。
ワールドカップ、ワールドカップと大騒ぎする気持ちは余りよくわからないし、サポーターと言うのも感覚的につかめないので、高いチケットを買って、ユニフォームを着て12人目の選手の気持ちになって応援する気持ちはチョイト理解できないところも有ります。でも、まぁ、私も若い頃はバレーボールに熱中して、国際試合に1万円近く出して見に行っていたので、同じ事でしょうかね。
まぁ、関心度が低いので各駅で応援する国が決まっていることは知っていましたが、ほとんど気にすることなく毎日地下鉄に乗って通勤をしています。自分が乗り降りする駅がどこを応援しているのかな、くらいは見て知っています。
試合は興味があまりなくても他に見るものがなければ見るだろうし、日本の試合はたぶん見ると思います。スポーツ観戦は好きな方だし、サッカーのルールは良く知らないけど、知らなくても見ればそれなりに興奮するのがスポーツですよね。プロ野球をのぞいては。
外人さんへのサービスか駅名に番号を順にふったこともアイデアですよね。新横浜は何番で降りてください。って簡単でいい。横浜国際競技場で試合のある日は、臨時便を出したり、時間を延長するなど、サービスに努めているので、なかなかいいところが有る会社だなぁ。などと思っています。
そして、今日初めて知ったのは、横浜市営地下鉄の駅数と参加国の数が同じなんですね。びっくり。そんなに興味がなかったので、参加国がいくつ有るかも知らずに過ごしていました。
今日まじまじとポスターを眺めていたら、どこも重複する駅がない。あれ、と思っていると参加国は32国、地下鉄の駅も32駅と書いてあってびっくり。
番号をふってから参加国の数と同じと知ったかどうかは、知らないけど、これに気付いた人は凄いと思う。大発見だったんじゃないのかな。それとも参加国の数が決まっているので、新横浜に国際競技場が出来たときから考えていたんだろうか。私にとっては凄い発見でびっくりしたけど、きっと知っている人は沢山いたんでしょうね。こんなことは。
朝、駅で小学生がみどりの募金をしていた。私はゴミの日でもあり、電車の時間にギリギリ、何で朝なのよ。なんて思いが横切りそのまま改札に入ってしまった。
みどりの募金は中学生の時に、学校近くの駅でやったことがあるので、その時の事を思い出した。あの時は夕方だった。募金をしてくれるのは、女性より男性の方が多い。でも、それは私たちが中学生女子だったからか。
中年のおばさんはほとんどしてくれない。おじさんの方がしてくれる。若い人でもサラリーマン風のきっちりスーツを着ている人より、ラフな格好の人の方がしてくれ、少しだらしがなさそうな人の方がお札を入れてくれたりする。ヤンキーっぽい兄さんの方が、気さくにしてくれる。
人相風貌で決めてはいけないと知ったのです。意外な人が募金をしてくれる。なんか中学生にして人間模様をみてしまったのですね。
だからか、募金したかったのに、電車が。って、電車は一台遅らせてもよかったんだなぁ、と乗ってから気付いたのですね。
すると、翌日は昨日より元気な子供達が、学校名と6年何組と書いたボードを胸から下げて立っていたのです。あの発想は何だったのだろう。
でも、出来なかった。あの羽がなければしたのかな。それだって、いらないと言えばいいことか。やっぱり街頭募金をするのはなんか恥ずかしい。結局はなんだかんだと言っても、おばさんは募金をしないのだろうか。いや、私はまだおばさんだとは思っていない。
その日の帰りには、気付くと駅の壁に二日間の募金の金額が張り出され、学校の金額と駅での金額とお礼が書かれていた。いままで、どこの街頭募金でもこんなものは見たことがなかった。町内会での募金は後々回覧板で回ってくることは有っても、他に有るだろうか。
私は7時40分頃の電車に乗るわけですが、あの子達は何時からいたのだろうか。これもなんとか言う授業の一貫なのだろうか。なかなかおもしろいことをすると思った。