▲HomePage
■検索
■管理
■一覧
achaの言いたい放題
ご意見・ご感想はこちらへ
いやぁ、スーパーで人間ウォッチングしているとなかなかおもしろいです。一日中観察していたいと思う私は変態でしょうか。
昨日もびっくりしました。私はレジが終わって袋に入れていると、前に女性がやって来て、なにやら動きが普通でないのが、視界の端っこに入ってきたのです。顔を上げるとびっくり。かごから買ってきたものを出すまでは同じ、出したものの包装を破くのです。まさに破くと言うのが表現にぴったりで、お肉のパックのラップをむしり取り、スーパーに常備されているビニール袋に手を入れて、肉を鷲掴みにして袋を縛りレジ袋に入れる。
買ったものすべてトレイから出してそのビニール袋に入れていました。そして、そのトレイはサッカー台の下のゴミ箱にポイポイと入れるのです。思わず、見てしまいました。凄い人がいるんだなぁ。
まぁ、確かにトレイはゴミになるのだし、家に持ち帰っても捨てるか、もしくは、洗ってまたスーパーに持ってくる事にもなるのだから、最初からスーパーに置いていけば、工数は省けるし、持ち帰る荷物のかさも減る。
トレイだけじゃなくて、不要な包装はすべてはいていきました。しかし、いくら回収していても卵のパックや牛乳のパックは無理でしょうが、これでもか。って程ゴミを置いていきました。すごい。だから、スーパー人間ウォッチングはおもしろいのだ。
去年「ファーストフードが世界を食いつくす」を読んで、こりゃえらいこっちゃ。本当にこんな事が起こっているのだろうか。大変なことだ。だが、やっぱり私が考えてきたことは間違った道ではないと、確信もしたのでした。なんとかしないと日本どころか地球人がおかしくなってしまう。
マクドナルドが出店した国には戦争はもう起きない。ような事も書いてありましたが、経済的に安定するからマクドナルドが出店できると。しかし、経済的に困難な国ではマック1つの値段は相当なものでして、それを食べるためには他のものを節約しなければならない。そして、行列をして買い求め食べることがステイタスとなるのです。しかし、高いお金を出して買ったそのものは、あきらめたものより栄養価、安全度に掛けても低いものです。満腹度もきっと低いことでしょう。でも、食べられたことで満足なんですね。
昔読んだ本に、アフリカだったかアジアだったか忘れてしまいましたが、とにかく発展途上国に赤ちゃんの粉ミルクが輸入されました。粉ミルクは栄養価があるという、政府政策か資本主義政策か分かりませんが、どこのお母さんも同じで自分の赤ちゃんには栄養をつけたいと、なけなしのお金を出してその粉ミルクを買ったのです。しかし、しばらくしての結果は多くの赤ちゃんが栄養失調になったのです。
どうしてでしょう。栄養価が高い粉ミルクを飲ませたのに栄養失調か。なけなしのお金で買い求めたので、赤ちゃんに充分に飲ませる量を買えなかったのですね。
私たちならば混合授乳ということを考え実行している人は多いと思いますが、当時のこの発展途上国では、粉ミルク神話と言うか、それだけしか飲ませなかったのです。ただで栄養分満天の母乳を張ってきたら捨ててしまったのですね。情報というのは恐ろしいものです。マインドコントロールのように粉ミルクは栄養が有る。と信じ込まされてしまったのです。
どんな方法で粉ミルクを売り込まれたかは分かりませんが、昔の日本のように、「ごはんを食べると頭が悪くなる。」とか「ごはんを食べると太る。」などという、政府政策的間違った情報を流されて、パン食に走らされたのと、同じだったのではないでしょうか。
1つの物を浸透させるときに、新しいものを褒めたり、積極的に売り込むのではなく、従来の物をけなすと、新しいものの浸透が早いそうです。
日本の消費者も弥生の時代から慣れ親しんできた米飯をアメリカからの小麦輸入消化のために考えられたパン食浸透にころりとだまされて40余年。今ではいろいろな障害が出ていることにどれだけの人が気付いているのだろうか。
日本ではファーストフードは生活する上で切っても切れないものになっているのではないでしょうか。しかし、毎日毎食アレを食べていたら、人間の身体はどうなってしまうのだろう。いまの子供の将来はどうなってしまうのだろう。
小児ガンがすごい勢いで増えているのは、なぜ。体格だけどんどん成長して体力が伴わないのはなぜ。昔の人は小さかったけど、力持ちだった。なぜ。なぜでしょう。毎年、アトピーだ、花粉症だって人が増えていくのはなぜ。なぜなぜなぜ。ご飯との関係が有るの?と毎日思って暮らしている私です。
日本は戦争に負けたのは、今までの食べ物せいだ。と思っていた所もあり、戦後突然に西洋文化、西洋食を当たり前のように受け入れてきました。いや、先程も書きましたが、故意的に与えられたものも有りますが。まぁ、とにかく40年間ぐらいでこれだけ食生活を変えた国は無いというのは、前々からいわれた来たことです。これは、今までは誇りであったのですが、今はそう思っていない人も増えてきたはずです。どうして、日本古来の伝統をそうもあっさり切ることが出来たのでしょう。
新しいものの受け入れが好きなのかな。そうですね。好きなんですね。新しいもの。
何かの本で読んだのですが。(すいませんこればかりで。私、同時に何冊もの本を読んでいるので、何の本に何が書かれていたかは、覚えきれないのです。でも、納得したり印象が強かった人はよく覚えているのです。が、しかし、最近は物忘れがひどくて、誰が書いていたかを忘れてしまうのですね。その本を探せばいいのですが、残念なことにどの本だか・・、そこらへんは端折ってしまいますが、そこの所ご了承ください。詳細に付いては違う部分も有るかも知れませんが、大きな所では話は違わないと思っています。)
こんな小さな国との戦争でこんなにも手を焼くとは、相手国は思っていなかったという。結局は勝ったものの、このままにしておいては、いずれ自分たちの国がやられてしまう。いったい、彼らの底力、忍耐力はどこから来るのか。と勝ったものの、日本に対しての恐怖感が有ったそうです。そして、今までの生活をすべて変えなければまずい。となり、進駐軍の改革が始まったという。そして、小麦はアメリカ戦略の元、日本に入ってきたのでした。
アメリカでは戦争が終結したあと、農産物が余ったそうです。これをいかに発展途上国に消費させるか。さすがに作戦です。損して得取れ作戦でした。当時は、代金は後払いだったり、学校給食に補助したりして、小麦が無くてはならない存在とさせて、将来までの輸出を考えていたようです。そして、日本はまったくその通りになりました。昨年の小麦の輸入量は600万トン、米の生産量が1000万トンと言うからのその多さは理解できると思います。
30年前の日本人ひとりが食べていた年間のお米は115キロ。そして、去年が60キロ。約半分になってしまいました。お米の消費が減った分、パンとかパスタ類を食べているのですね。そして、この30年間にアトピーだ、花粉症だが増えたのとは何にも関係がないのだろうか。と思ってしまう。
30年前と言えば、70年代。高度成長期で使い捨てはいいこと。新しいこと、簡単なこと、合理的。とどんどんと昔の習慣、風習を塗り替えて行った時代ですね。合成洗剤も出まわってきて、有リン問題などで、環境汚染、公害がクローズアップされてきたのでした。
もっと、ついでに言っておけば、30年前の食料自給量は79%で、去年が40%。先進国では農業従事者はどんどんと減っているものと私は思っていましたが、日本だけでした。こんなに減っているのは。農家の平均年齢が60才を越しているという。フランスだって、アメリカだって、イタリアだって農夫は沢山いるのですね。なんで、日本の農夫は減ってしまったのでしょうか。農業が大事だと言うことをいま若者に伝授していかなければ、日本は滅びてしまう。と私は思っています。食べるものを自分たちの手で作ることは大事なことだと言うこと、喜びだと言うことを教えていかなければ。
最近、スローフードと言う言葉が世に出てきました。イタリアが発祥ですが、イタリアがマクドナルドの出店を拒んだ。あのような物が入ってきたら、イタリアの食文化が壊れる。との判断。凄いですよね。ファーストフードが伝統を壊すとちゃんと判断できていたんです。スローフード自体は前から有るのですが、やっと日本も自分たちの伝統を守るべきだと分かってきたのでしょうか。あっぱれです。日本も目先の物だけにだまされずに、本心を見る目を作って欲しいなぁ。消費者も政治家も。
今日になっても新聞は配達がされない。それなのに、購読キャンペーンの粗品が届きました。これはサイトで申し込んだ場合の限定粗品だと思います。しかし、私の心境は複雑だなぁ。このスヌーピーのバスタオルを頂いていいのかしら。新聞はいつから配達されるのかなぁ。どうすればいいんだろう。販売部長さ〜ん
なかなかいい傾向になってきた。本屋に行っても和食とか粗食の本も随分と増えてきて、日本食の見直しが出てきた。自然食品の店のレジにも人が並んでいる。自然食品と言っても、回転がよくなくてしなびた野菜は買う気にはならないものね。ファーストフードや多国籍料理を食べて喜んでばかりいられないことに気付いてきたのでしょう。
テレビでも、和食を勧めたり、玄米を勧めたり、添加物の話をしたりと。テレビの力は大きい。しかし、分かってはいるけど、面倒なものはしない。と言うのが現実かも知れない。
何かの番組で、料理が出来なかったり、不得意な主婦の所にプロが出向いて、料理の手ほどきをするのがあって、たまたま見たのだけど、凄い。主婦があんな料理を。呆れてしまった。冷凍食品ばかりだったり、化学調味料でしか味を付けない。あれを食べている子供達はどうなってしまうのだろうか。
子供達の口は正直であり、正しい。この母親は子供の食が細いとか、美味しいと言わないとか不平を言っていたが、それは料理が美味しくなかったのですね。給食がどんなに組み合わせが変だったり、いろいろ問題が有るとしても、あの給食の方が子供達が美味しいというのが、現実で有るとすれば、ずいぶん多くの母親はもっとひどいものを食べさせているのでしょう。
プロが手ほどきして、ちょいと出汁をとり、ちょいと愛情を注いだ料理を、旦那も子供も美味しい美味しい、とおかわりしてまで食べる。それを見ていたお母さんはびっくり。こんなにも違うものかと。そうなんですよ。違うんですよ。
食がちゃんとしていなければ、いい子は育たない。そして、本物を食べていれば、病気も遠ざかっていくのです。そんなに手間暇掛けなくても、美味しく食べられるものは作れる。せめて化学調味料は止めて、本物を使って欲しい。みそ、醤油、塩を本物にする。ちゃんと発酵させた物を使うだけでも、随分と美味しくなる。
アトピーだからと除去食を食べていて、その子の将来は何になるのだろう。薬を塗りたくって治したって、そりゃ根本的には治っていないのです。
西洋医学よりも東洋医学。病気になってからじゃなくて、ならないようにする。病気になったら病院に行けばいいんじゃなくて、その前になんとか自分で健康にする。いままでは、健康と言えば、運動。としか考えていなかった人たちが、食についても真剣に考えだしたのでしょう。
西洋医学の偉い先生が東洋医学の話をしている番組を見ると、なんかいいなぁ。と思う。薬漬けにしてどうなる。薬だって毒だと言うことに、みなさん気付いて下さいね。
健康保険の個人負担が3割になる。それでは困る。と思う前に、病気にかからないようにすると、どうして考えないのだろうかと思っていた。そんなことを考えたことが無いんですね。人間はみんな病気になると思っているんですね。確かに、病気になるかも知れないけど、病院や医者に掛からなくても治る。って事をもう少し気付いてもらいたいなぁ。と思っていたら、ここの所のマスメディアの活躍で東洋医学の知名度が広がってきた。
ただ、ブロッコリーだ、アロエだ、ザクロだ、アセロラだと、テレビがやったとおりに何もかもを受け入れていけばどうなるのだろうか。確かにブロッコリーは栄養も何もいいかも知れないけど、ブロッコリーなら何でもいいのではなく、国産の物を選んで下さいね。海外からやってくる野菜がどうしあんなに元気なのか少し考えてみて下さいね。
幕内秀夫氏が「粗食のすすめ」を出版したときの、週間文春にはめちゃくちゃ書いてあった。あのような食事をとったらみんな栄養失調になると、西洋医学の偉い先生が書いていた。それが、今では添加物の特集をしたり、農薬問題も書いている。いや、前から書いていたのかも知れないけど、ここの所の食の関心度が高まったので目立つのであろうか。
私はそのころ、日本人は日本食、ご飯とみそ汁とお新香を食べていても、立派に生きていける。と確信しつつある頃だったので、どうしてあんなに、粗食のことをコケ降ろすのだろうかと思っていた。資本主義の悲しいところです。ただ、玄米については農薬の事が頭にあり、当時は信じなかったのです。
とにかく、一個人の私が、どんなに叫んでもなかなか浸透しないことが、マスメディアに乗っかるとアッと言う間に、広がる。怖いことに正しいことも間違っている事も。みんなが正しいといえば、嘘も常識になってしまう。
マクドナルドがまたまた値下げをした。それもこの夏休みに。私は悲しい。これで毎日お昼はマクドナルドと言う子供達がどれほど増えるのだろう。そして、おじさん達もマクドを食べるようになったという。あーあ、この先日本はどうなって行くなだろう。
資本主義の日本。どのマスメディアがそのことの怖さについて世間の波に乗せるのだろうか。きっといないだろう。
自分の健康は自分で守る。情報が錯綜している中で、何が本物かを見極める目が消費者は持たないとならないのです。
このところ、何度となく産経新聞の購読勧誘はがきがポストに入っていた。8月からは無職の身、日経新聞だけじゃおもしろくない。夕刊が無くなった産経新聞には興味あり。と言うことで、これは何かの縁と購読申し込みをしたのです。はがきでは遅くなると思って、サイトからしたのです。
しかし、いつまでたっても我が家には配達されないのです。ちゃんと、購読承りのメールも返ってきているのです。8月1日からの予約を入れたけど、届けられない。頼んでから一週間では期間が短かったのだろうか。と思い、返事のメールに有ったお問い合わせメールに送っても、何の返事もない。
2日待って、今度は購読承りメールに出したけど、返事なし。9日が過ぎた今日もなにも無し。なんで、何の回答もないのだろう。購読のメールの返事は機械的でその後のリメールは誰も処理しないのだろうか。
4日目待っても、今日まで待っても返事もなければ配達もない。サイトから購読予約をして予約完了のメールが来たら、後は何をすればいいのでしょうか。完了のメールには確かに電話番号も出ていたけど、どうして私が東京まで電話をしなければならないの。サイトで始まったのならば、すべてその世界で済ませたいと思う私が間違っているのでしょうか。
それでどうして、産経さんよあんたもか。と言うと、今まで新聞の配達で気持ちよく事が済んだことはないのです。
それで、私はあの大手新聞社の勧誘が大嫌いになりました。とにかく今日の契約を取るためにあの方達は大変なのでしょうが、あまりに手口が汚いと言うか、いい加減というか。特に横浜に来てからはいい思いはしていない。
ここの内覧会の時に待ち受けていた読売新聞。要らないと言うのに、どこかの新聞を取るんでしよう。取るんだったら読売にして下さい。と、しつこくしつこく追いかけてくる。会場を離れてもどこまでも追いかけてくる。契約をしない限り追いかけて来るんだろうか。あんた恥ずかしくないの。と言ってやりました。でも、こっちが恥ずかしくなり負けてしまいました。新聞は取るつもりだったけど、内覧会から入居までまだ1カ月以上も有ったので、こっちには心の準備が無かったのです。向こうにしてみればそれがねらいかも知れなかったけど。
その場で、契約成立の粗品をくれたのですが、他に洗剤も多くサービスしますと言うので、うちは合成洗剤は使っていないので、他のものにして下さい。別にものが欲しくて新聞を取る訳じゃないけど、くれるなら他のものが欲しい。今は他のものを持っていないので、必ず後日、何かお届けしますから。と言うので、ハイハイ。と答えてその日は終わったのです。
そして、入居の日から新聞は届きました。しかし、お約束のものは来ていません。1カ月経って集金に来たので、その話を言うと、そうですか。聞いて無いんですけど。と言う。私は物が欲しい訳じゃないけど、あれだけしつこくしておいて、それは無いんじゃない。勧誘と販売店では違うものでして。と言う。そんなのユーザーの知ったことか。誰であっても読売新聞の人でしょう。とにかくそのお兄ちゃんは、今は持っていないので、後で届けます。と言う。そして、また1カ月が過ぎて、集金日。嫌なことに先月とは違う人。あーあ、と思いながら、私としては約束は守って欲しいので言う。そんな毎月が過ぎて結局は4ヶ月後に、ビール券が二枚来た。なんだかなぁ。
絶対に、勧誘が来てもドアは開けずに「はい、ご苦労様」と言ってインターホーンを切るのですが、この朝日のおばちゃんには負けました。なぜか私にドアを開けさせ、契約を取っていきました。巧いんですね。勧誘が。ビール券は置いていくは、こっちが要求もしていないのに、一週間分サービスしますよ。丁度年末だからこの何日分に入っているチラシで安い品物探せば、一石二鳥よ。などと言って、まだ、他の契約が有るのに1年後の契約を取って、帰っていきました。
しかし、やっぱり約束の日から新聞は入ることは無かったのです。販売店に連絡をすると、そんなことは聞いていないと言う。大体が販売店には何度電話しても出ない。時間的に変な時間だったのか、朝に昼に夜に電話をしても出ないんですね。そして、やっと電話がつながった。そして、勧誘員がしたことで、こっちには連絡が無いという。販売店と勧誘員の関係って何なの。そんなことこっちは全然知らないよ。販売店としても、その勧誘員のことが迷惑のようでした。好きに約束をして契約を取っていたようです。そして、まるで責任が無いような言い方をするのです。こんな詐欺みたいな事が有っていいんでしようか。勧誘員はその販売店と関係があるのか、新聞社が地域強化として雇って勧誘しているのかどうかは、知りませんが、とにかく呆れるばかり。結局一週間のサービスが2日くらい前から入っていました。
その後、朝日新聞は配達の仕方にも不満有りでした。二度と朝日は取らないよ。と心に決めたのでした。
勧誘員には横の連絡があったり、この前は読売、今日は朝日になって来る人もいるんですね。一体どういう世界なんだろう。それからは、どんなことが有っても絶対に勧誘員のドアは開けません。開けるもんか。
そして、今は葉書で申し込んだ日経を代金口座振替で取っている。これも半年契約なので半年に一度契約更改をしている。しかし、この日経を配達している販売店が、読売なんですね。これはちょっと引っかかりが有るけど、配達に関しては朝日より優れているので良しとしています。こんな事が有ったので、産経新聞に申し込むときに、販売店の確認をしたのですよね。それなのにそれなのに。我が家には産経新聞は配達されないのですね。私の申し込みはどうなちゃったの。
あなたの所も夜中に蝉が鳴いていますか。
去年だったか、夜中の11時頃に蝉が鳴いた。それまで、迷子になった蝉が網戸にぶら下がって夜に鳴くことがあっても、普通の状態で、夜に蝉が鳴くなどあまり記憶が無かったので、あれどうしたことか。と、妙に不思議でした。
昼間があまりに暑いので蝉も夜に鳴くのか。それとも、夜になっても気温が下がらないから鳴くのか。と不思議に思っていたら、今年は本当に毎晩鳴いています。私が寝る頃まで鳴いているので、もしかしたら朝まで鳴いているのでしょうか。朝まで鳴いたら、昼間はどうしてる。やっぱり鳴いてる。不思議だ。
不思議と言えば、気象庁が梅雨明け宣言をする前から、梅雨明けを知っているように蝉が鳴き出すんですよね。なんでだろう。蝉は温度の変化で鳴くんだろうか。
たった一週間の命、一生懸命生きているのですね。しかし、夜中は寝て欲しいものだ。
私は、何となく、3年周期で物事をやったり見たりして来たように思う。やるかやらないか、自分に合うか合わないか3日で判断し、やってみて続けるんどうかは3ヶ月で判断してきたように思う。しかし、一つのことが3年過ぎると、飽きてきたりくる。今までの私の生き方はこんな感じ。
小学校も6年だけど、3年ずつで切られていたような気がするし、中学、高校は当然3年。勤めた銀行も3年弱。いつも何をしていても3年あたりになると、いろいろ考えてしまうのです。
仕事も、最初の一年目は教えてもらったことをその通りにこなしていく。2年目は教えてもらったことを復習しながら自分のものにする。3年目は自分なりに仕事をこなし、工夫改革して効率よい仕事の仕方にする。すると、4年目には飽きてしまう、人間関係の嫌な場面が見えてくる。ああ、嫌だ。嫌だ。辞めたい。と思うのである。
習い事もなぜか3年過ぎると、突然やる気が失せる。飽きてしまうのです。そんな私が今の会社に入ったとき、3年過ぎても仕事に飽きたり、辞めたいとは思わなかったのが不思議な事。
3年過ぎても仕事がおもしろかった。やることがどんどんと見付かりどんどんと増えていき、飽きている暇がなかった。丁度入社後しばらくしてバブルが始まり、毎年会社の売り上げも成長ししていき、仕事量も増えていくので、3年過ぎても復習期間に入ることなく、いつでも工夫改革をし、効率よく仕事をしていかないと、仕事がどんどんたまる。毎日がどうやったら、この仕事が楽に速く終わるのかを考えていた。それが私には凄く楽しかった。
そして、営業職だったので、自分の周りの人間が3年くらいで変わっていく。当然、上司も変わる。私の事をとことん使おうと思う上司に巡り会うと、俄然仕事がおもしろくなる。いろいろな事をさせてもらえる、提案も、意見も、愚痴もしっかり聞いてもらえる。
仕事を任せてもらえると言うことは、私の事を認めてくれるからであり、その期待応えるべく、またまたいろいろ考えて仕事をし、上司の仕事も覚えていける。
それが、女性蔑視の上司がやってくると、何をやっても女のお前に何が出来る、俺の仕事だ。女のお前が何を言う。そんなけつの穴の小さい上司が来た場合は、今度は闘いの意欲が出てくる。このような上司は男性社員達も違った意味でいやがる。
一番可愛そうな上司は、器、器量がないのにその職にいる場合です。自分が空回りするから、人を使えない。割り切って、人に任せればいいのに、器量がないものだから、任せられない、また空回りする。と悪循環。コミュニケーションも低下し、どんどん業績も下がる。
行け行けバンバンだった会社も、世の中より一足先に、バブルがはじけた。器量がない所長がいた営業所は発展的に解消され、営業地域は他の営業所に移管した。そして、私は営業の世界から投げ出され、経理畑に。ただ、簿記の資格が有るということで行ったのです。
行った先は改革の時期だったので、パソコンはどんどん導入され、嫌でも使えるようになる。毎年何かが変わり、工夫改革が必要でした。仕事には飽きている暇はなかった。しかし、人間関係に悩み3年目はどこかへ異動したい。と思って、いろいろ工作の結果、それから3年で最後の部署への異動。
そして、3年と6ヶ月で退職。この3年半はやることはすべてやって来たので、何の未練も無いのだが、あまりにその部署のIT化が遅れていたので、私が新しく改革したことに、残った人がついて行かれないらしい。一つやり残したことは、すべてが手書きでやっていた仕事の人たちに、パソコンでやる仕事がどんなに楽かを教えなかったことだろうか。
これから、私は自分の道を自分で歩いて行くわけで、一つの夢を持ちました。3年たって飽きるのか、まだまだ興味が出てきて、目標の5年後には開業が出来るのか、今は不明です。
でも、いろいろな経験をしないと私のやりたい事が出来ないのです。いろいろ経験して飽きながら次の経験をするのもいいかな。と思っているところです。
しかし、昔の人はいいことを言いましたね。3日3月3年。まさにそうだと思う。
今年の夏も暑いですね。と思っていたら、なんなの今日の熊谷の予想気温って39度よ!発熱状態なんてものじゃないね。どうなってしまうのでしょう。昨日も名古屋が38度だったと言うし、先日も伊勢崎で38度だった。どんな状態になるのかと思っていたら、今日は39度。この予想気温の標示は初めてだと思う。身震いしてしまった。
35度36度37度が並んでいる画面を見ているだけで気が変になりそう、まさに発熱状態ですよね。いつからこんな数字が当たり前になってきたのだろう。つい最近まで、33度くらいが並んでいると、あら今日も暑いのね。と思っていたのに、この気温、本当に酷暑です。この気温の中、外で仕事をする人は大変ですよね。甲子園もそろそろ始まるけど、あのマウンドの気温は何度になるのでしょう。
都会が暑いのは、エアコンの排気も一つの原因ですよね。これだけ暑ければみんなどこでもエアコンをつけるでしょう。家庭、会社、車。あらゆる所から排気されるんですね、あの熱い風が。その熱い空気がコンクリートの上を漂い、それが太陽に照らされて、どんどんと暖まっていく。気温が上昇する。悪循環ですね。
私はエアコンが苦手と言うか、とにかく足が冷えてしまうのです。でよっぽどの事が無い限り家ではつけないのです。窓は全開。しかし、外から入ってくる風は涼しい物ではない。そりゃそうですよね、周りはマンションばかり。高層マンションのほとんどの家がエアコンをつければ、排気熱が充満。そして、周りに木があるわけでも、土がむき出しに有るわけでもない。どこにも空気を冷やす物がないんですね。
これだけの家がエアコンをつければ、電力も相当なものですよね。でも、本当に地球が温暖化なんだろうか。地球がじゃなくて人間がしているんですよね。きっと。悪循環。
会社で仕事をしているときには、汗をかくと、腕のあたりがべとべと机にくっついて気持ち悪かったり、暑いことで仕事意欲が低下したり。どんなに会社が冷房の温度は28度で。と言ってもそれを守るのは無理ですよね。それではとても快適に仕事は出来ない。快適に仕事をしたい。いい環境で仕事がしたい。しかし、その快適温度ってのが難しいですよね。暑いの寒いのって。人によって体感温度が違うのですよね。
私は会社にいる頃はそれで非常に悩みました。人並みはずれて冷房がダメなので、みんなが快適でも私には冷える。首にタオル、足に膝掛け、ソックスは重ね履き。最後には制服を止めて私服でズボンでした。一度冷えると、それを回復させるのは大変なのです。冷房の冷気というのはどんなに防いでも、隙間をねらって入ってくるのですよ。これだけしても、下半身は冷えて参りました。
しかし、私が思うに、冷房が入っているのに、寒さを感じない人は冷えに対して鈍感なんです。冷えていることが分からないんですよね。最近は気付かない冷えと言う特集で雑誌も出ているほどですから。
夏は暑くてもシャワーで済ませるより、お風呂に入った方が、一日の疲れも冷えも取れますよ。お風呂に入ったときに足が結構冷えていたと気付くとき有りませんか。翌朝のだるさも違うと思います。冷えは蓄積するらしいです。その日の冷えはその日に取りましょう。
会社に行かなくなって7日。なにもしなくても汗が流れていく。暑いけど、汗が流れ出ることが嬉しい。もともと汗を余りかかない体質なので、流れ出る汗を見ていると、ああ、代謝している、老廃物が出ていく、なんて変な喜びを感じるのです。これも冷え取り健康法を始めたことで変わったのですね、私の身体。
夏の暑い日なのに冷房で凍えているなんて、人間の生き方としてはおかしいんです。家にいれば、楽な格好で、汗が出たら拭けばいいし、シャワーで流してもいい。汗で濡れたものは着替えればいいんですね。
これで冷房が駄目になって10年の私の身体が元に戻るのならば、私の身体の中に溜まっている冷えが取れるのならば、どんどん汗よでよ。です。しかし、家の中が汗くさくなってしまうのだろうか。
みなさんも、夏は汗をかいた方がいいのですよ。平日は会社の冷房で快適に過ごしたら、週末はラフな格好で汗をかいてみましょう。汗をかくことで身体の中の老廃物も出てきますよ。夏はやっぱり汗をかくようになっているんですよ。何か工夫して涼しげな演出で週末は冷房を止めれば、地球にも、自分の身体にもいいんですね。きっと。しかし、今は酷暑、少し暑すぎますかね。熱中症に注意しましょうね。
涼しげと言えば、夏でも、土や木々の上を漂ってきた風は気持ちいいものです。ああ、そんな風が吹くところに住みたいなぁ。と毎年夏になると思うのです。横須賀の風は気持ちよかった。と。
電車に乗るときは、必ず弱冷房車に乗ります。時に、乗換口や出口に遠くなって歩く時間が増えても弱冷房車に乗ります。
それぞれ弱冷房車両の位置は決まっているのです。大体が後ろか前の2車両目になるかな。でも、一車両なんですね。
最近は、ホームから優先席や弱冷房車の表示が見えるようになったので、待っているときもその場待っていられるのでいいけど、以前は前後のどちらに有るのか分からず間違ったときは延々と車両の中を移動したのでした。ホンの数分だったら我慢するけど、5分以上乗る場合は、必ず移動します。
その弱冷房車のおかけで、冷房に弱い人がどんなに楽になったか。お子さん連れのお母さんもきっとホッとしていることでしょう。先日は、車内放送でも何号車が弱冷房車です。と案内をしているのを聞きました。暑がりの人、冷房に弱い人。それがあの冷房ガンガンの同じ車両のいるのは変なんですよね。
たまに、弱冷の車両に乗ってきた人が、まぁ、冷房が効いていない電車だわね。と、扇子をパタパタ、パタパタさせているが、弱冷房車の認知度はまだまだ低いらしい。
私は新幹線や特急の指定席を禁煙車が選べるように、弱冷房車も選べるようにして欲しいと思う。
毎日毎日、殺人のニュース。どうしてこんなにも簡単に人を殺すのであろうか。恨みや辛み。ここであったが100年目の敵討ち。だったら、まだ理由があるから、いい訳じゃないけど、仕方なかったんだろうな。と多少の同情心も出てくる。情状酌量のですかね。
でも、ここの所報道されている殺人事件は全然違いますよね。通りすがりだったり、550円の万引きだったり、後を付けて抵抗されたとか、何の理由もなく殺してみたかった。誰でもよかった。試してみたかった。爆発物も試したかった。って、ありましたね。
動物でさえ、自分の子供はどんなことをしても守るのに、人間は子供を簡単に殺してしまうように思う。食べ物の与え方も分からないとか。動物中で最低だね、きっと。
殺人だけでなく、ひったくりや、空き巣も凄い増えている。自分さえよければいい。人がどんなに困ろうが。モラルとか人道的とか罪の意識とか。なくなってしまったのね。捕まったらどうなるか。どんなに罪に問われるかと言う、知識もないのか。捕まらないと思っているのか。
医者でさえ信用できない。平和な日本。治安万全。警察検挙率90%以上(だったかな。間違っていたらごめんなさい。)平和ボケとかいろいろ言われているけど、何がどうしてしまったのか。ああ、嫌な世の中になってしまった。