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achaの言いたい放題
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あまりに暑いので、木陰でバスを待っていた。このバス停は暑い場所にあるので、こうやって待っている人もずいぶんいるし、私も今まで何度となくこのように待っていたのです。
バスは5分ほど遅れてやって来た。後方にバスが見えたので、日傘をたたんでバス停に近づいていくと、なんとバスは左側に寄ることもなく、バス停を通過していってしまった。
手前の日陰で待っていたおじさんも、私と同じようにバス停に近づいてきたが、バスが通過するのを見て、苦笑していた。あれー、何で私が居るのに。見えなかったのか。バス停に近づくのが遅かったのか。バスが来たところ手でも上げれば良かったか。
そして、そのおじさんは元の場所に帰っていった。私はバス停の日陰に立った。だって、これ以上バスに通過されては、ハローワークの時間に間に合わなくなってしまう。バスの時刻表では2分後に来る。
バスの運転手はどの時点でバス停に人が居るか居ないかを判断するのだろうか。確かに私が動くのが遅かったかも知れないが、でも、あの走り方はバス停など無いような過ぎ去り方だった。
そして、次のバスが来たので、あわてて乗った。さっきのおじさんも乗れた。しかし、乗ってから気付いた。このバスではハローワークまではいけない。アチャー。
8月はゆっくりしよう。1カ月休めば今までの疲れも取れるだろう。1カ月も休めば休んだ気になるだろう。と思って8月を過ごしましたが、実際にはバタバタとしていましたね。結局は、まだ休み足りない。充分に休んでない。と言うのが実感です。
友達の家に行き、役所、ハローワークにも行きました。買い物にも出掛けました。習い事にも行きましたが、結局21日間出掛けました。会社に行っているときと同じ数なのが不思議です。でも、強制されて出掛けたのは数日です。会社に行かねばならないと、出掛けるのとは大きな違い。あの7月の引継のために会社に行かねばならいと言う、ストレスはすごいものでした。
しかし、休むと言うのは、どういう状態のことを言うのだろうか。何もしないでボーーットしている。それとも組織に支配されない。会社に行かない。自由に行動できる。など、人によって感じ方が違うのだろうか。私にとっての定義は何だろう。身体がゆっくり出来ることだろうか。今日は何もする事がなーい。と思って初めて休んだって気がするのかな。
私はこの1ヶ月の間は強制されて過ごした日はない。だけど、8月はゆっくりしたなぁ。って気分じゃないのです。家にいても、日常の洗濯、掃除、炊事の家事しかしていないのに、何かバタバタと追われていました。
余裕が有れば、朝晩で通算3時間はお風呂に入っていたなあ。その時間が大きいかも。でも、それで本は月刊誌も含めて20冊ほど読みました。
出掛けてはいたものの、目覚まし時計は掛けない生活。これはやっぱりいいですね。会社に行っていた時は、目覚ましが鳴る前起きることがあっても、鳴ったら起きなければと言う、強制感が嫌ですよね。だから、自分が自然に目覚める毎日は快適です。
不思議なことに、最初の一週間ぐらいは、目覚ましが鳴らなくてもいつもの時間に目が覚めてスッキリ起きてました。やっぱり、目覚ましに起こされるより自然に目が覚めた方がスッキリなんだ。などと実感して。多少、寝る時間が遅くなっても時間には目が覚めるのですね。
それが、日が過ぎるにしたがって、だんだんと起きる時間が遅くなるのです。当然寝る時間も遅くなっていきました。5時半に起きているときは11時過ぎると、眠くて眠くて。明日会社に行かなくていいと思うのに、眠さに負けて寝る。
しかし、同じ時間に寝ても少しずつ起きる時間が遅くなっていく。そして、少しずつ眠くなる時間も遅くなっていくのですね。そうすると、なぜかビールの量が増えて、また寝るもの遅くなって。と言う循環です。
そして、最終的には9時半に起きました。ゴミ出しに間に合いませんでした。いつの間にか、寝る時間は1時を過ぎていました。睡眠時間は3時間も増えました。
睡眠は、今日寝て、明日起きる方が時間は少なくても気持ちよく起きられます。同じ睡眠時間でも、今日寝て、今日起きると、気持ちよく起きられないのです。もっと寝たいのです。不思議です。早寝早起きはやっぱり身体にいいのだろうか。
体内の一日の時間は25時間周期だと言いますが、これだろうか。このせいもあって起きる時間が変わっていくのだろうか。体内時計の修正は、起きてから陽を浴びることで自然と出来ていると言うが、会社に行くために定刻に外に出ていたことは、自然と体内時計の修正が出来ていたというのか。
それと、、今までは起きたらすぐにベランダに出て体操をしていました。これも体内時計の修正になっていたのか。それも、この1カ月は何故かしていない。スッキリ目覚められるので必要を感じなかったのです。夜眠くならないのは、昼寝をしていたわけではありませんよ。
そして、9月からは6時半に目覚ましを掛けていますが、これが起きにくいのなんのって。やっぱり、長い間自由な時間に起きていると、強制されて起きるのは辛いのか。寝る時間も明日になっているし。
また11時前に寝るようになれば、6時前には起きられるようになるのだろう。ただ自分の身体が求めるままにしていると、寝る時間も起きる時間も遅くなっていくので、どこで自制していかないとだめなのね。朝の体操しようっと。
ビジネスマンはスーツにネクタイ。どうしてこの灼熱の夏にスーツにネクタイなんでしょうね。いつから日本は真夏に長袖のシャツにスーツにネクタイになったのかなぁ。昔の映画を見ると夏は、半袖に開襟シャツに扇子なんですよね。今は、会社の中でも長袖のシャツやスーツじゃないと無礼だ。なんて風習もあって。どうしてなんだろう。あのネクタイだけ外して開襟シャツにするだけでも随分と涼しいものになるだろうに。有る意味男性も可愛そうですよね。この暑い中あの格好で。
しかし、あのような格好の人と、まるで浜辺を歩いている格好の人が同じ冷房の中にいるのは、どうしても私には解せないなぁ。やっぱり海辺姿の人は寒いだろう。それとも冷えていることを感じないのだろうか。冷房の中では一枚羽織った方が身体のためにもいいよ。肩だし、へそ出しの人たち、けっこう冷えていますよ。冷えは身体に良くないのだから。
二酸化炭素の削減とか冷房の温度を下げろとかいろいろ言うけど、その前に真夏はネクタイとスーツ禁止令でも出さなければ、前に進まないような気がする。
誰かが勇気を出して、ノーネクタイ、ノーブレザーで会社に出掛けていけばいいのに。テレビなどでも、ノーネクタイのデザイン、スタイルの人が増えていますが、ビジネスの世界では普及しないのだろうか。
そして、みんなが夏らしい格好になれば、冷房の温度だってもっと高く設定できる。気温が高くても湿度が低ければ過ごしやすいはずだもの。すると、女性は冷房冷えからも解放され、今のファッションも満喫でき、電気の使用量も二酸化炭素の排出量も随分と減る。こんないいことはないのに。どうして出来ないのだろう。
町はビーチか。冷えはしないのか。と先日書きましたが、その後も増殖しているへそだしルック。知らぬ間に目に入ってくる人のおへそ。そこで発見をしてしまいました。
いゃー、きれいなお腹、きれいなおへその人がいるものですね。あんなにきれいなおへそだったら出して歩きたくもなることでしょう。たまに見たくもないほどのお腹とおへそと目が合うこともありますが・・・。
女の私が変かも知れませんがきれいなおへそは見入ってしまいます。普段、銭湯などで他人の裸は見ることは有っても、見つめたりはしないし、それに銭湯には若い人はいないので、若い人のおへそ見る機会はなかったですね。それで、町で不思議を発見してしまったのです。
人のおへそを何気なく鑑賞していると、おへその位置ってみんな違うのですね。そして、随分と高い位置に有るんですね。ウエストのくびれのあたりにあるおへそ。今のGパンはヒップボーンの腰浅。恥ずかしいほどお腹が出るパンツもありますが、そんなときはベルトの位置とおへその位置の離れていること。離れていること。私のとは比べものにならないくらい高い位置に有るんですね。私だけが低いのだろうか。
おへそって真ん中って表現にも使われますよね。日本の真ん中とか、日本のへそはどこかとか。富良野は北海道の真ん中とへそ踊りが有るくらいですからね。で、私はおへその高さを測ってみたら、半分より上でした。と言うことは、あの高い位置のへそはどの位置になるんだろう。八頭身美人など言われるが、8分のどこがへその位置なんだろう。
若い人たちが手足が長いように、へその位置も高いのか、それとも私だけが低いのか。友達にも聞いてみたけど、やっぱり私のおへその位置は低いらしい。
背伸びをして初めて上に移動してくる私のおへそ。そういえば、前に読んだ便秘の本にはおへその位置で内蔵が下がっているのがわかる。と書いてあったことを思い出す。ウエストのくびれから5センチ下までなら下がっていない。そうか、やっぱり私のおへそは下がっているのだ。逆立ちでもしてみるか。こんな事を考えている私って、やっぱり変かしら。
私が依頼日を間違ったのかと、9月1日まで待ってみたけど、配達はされませんでした。あのメールはどこへ消えてしまったのでしょうか。テレビコマーシャルで、今お申し込みの方にスヌーピータオルプレゼント。とやっていますが、私はもらい徳かな。
釣りバカ日誌を見てきました。映画としてはおもしろかったのですが、私にはもう一つ物足りなさが残りました。ダメ社員浜ちゃんはどこへ行ったのぉ。と言う感じです。
釣りバカ日誌が千円で見られると、いろいろなところで宣伝している。レディースデーならいつでも千円で見られるけど、いつでも千円というのはいい。釣りバカ日誌は好きだけど、映画館へ行ってまでは。と、ビデオを借りてきたり、テレビで見ていたのです。だってねぇ、1800円は高いですよね。どうして映画はこんなに高いのでしょうね。物価の上昇より高い気がする。中学の頃千円握りしめて、映画見てご飯食べてもお釣りが有ったなぁ。懐かしい。
千円だったら見に行ってもいいなぁ。しかし、関内の松竹がなくなってしまったので、我が家の一番近い松竹系は本牧のマイカルになってしまった。車がない我が家にとってはなかなか行きにくい所なのです。
東映でもやっていると言うが、定員37名のビデオシアターだという。千円だけど、普通の映画館で見たいなぁ。と思っていたら、川崎に所用が出来て、それが早く終わったので、これはチャンスと何年ぶりかでチネチッタに行ったのです。
開演10分前に入ったらほぼ満席。所々に空きが有るだけ。おおお、盛況だわ。やっぱり千円がいいんだね。松竹さんもなかなかの事をする。
1人でよかった。1人だからどこでも座れる。とまだ明かりがついている会場を見回すと中高年アベックが目に付く。映画を見るのは久しぶりという会話がどこからともなく聞こえてくる。
ストーリーとしてはなかなかの出来でした。時代の話題をよく取り上げていると思うし、富山の風景がきれいに撮れていましたね。楽しかった。笑うところもしっかり押さえてあるし、今回のキャストがなかなか豪勢。鯉太郎も大きくなったし。充分楽しめて映画館を出てきました。
しかし、西田敏行の浜ちゃんはいつもとどこか違う。ダメ社員じゃなくて、優秀営業マンに見えるのです。「陽はまた昇る」の加賀谷部長が随所に出てきたように思う。まるで正反対の役だから、役作りも大変だろうし、ましてやこの2作の撮りの間は余り空いていなかったのですよね。今年の春の撮りなんです。
今回の浜ちゃんは、スーツの着こなしもなんかビシッと決まっていて、なんかかっこいいんです。今までの浜ちゃんは、姿はだらしなくヨレヨレで、スーツもまっすぐに着ていない。歩き方もだらしなくお腹をつきだして歩き、まっすぐに歩かない。それが私の浜ちゃん像だったのです。
着こなし、歩き方、話し方などで、ダメ社員になるんですね。だから、今回の浜ちゃんは私の目には優秀営業マンに写ったのです。それとも、私の頭の中にビシッと決まったサラリーマン加賀谷部長が住んでいるので、そのようなイメージで見てしまっているのだろうか。
西田敏行は最近太りすぎだなぁ、と思っていたらに加賀谷部長役で随分とスッキリした体型になってきて、スーツもビシッと着こなして、この時は浜ちゃんのイメージが有るので、いくらシリアスな顔をしてもなかなか素直に入っていけなかった。西田敏行の久々なまじめな役に見る側がなれていなかったんですね。ああ、こんな役もこなせるんだ。と思いながら最後の方はすっかり目も頭も馴染んでいました。でも、かっこよすぎるよ浜ちゃん、なんて思ってしまいました。
演出なんだろうけど、私としてはもう少し浜ちゃんのダメ社員ぶりを見たかったなぁ。
同窓会の打ち合わせで、同級生と二人で甘味屋さんに入ったときのことです。二人とも昼は済ましていたので、お茶にしようかと店を物色しながら歩いていると、二人の目にはクリームあんみつが入ってきたのです。ここにしよう。あんみつもいいじゃない。と京ラーメンの店にどちらからともなく言い出して入ったのです。
昼食の時間も過ぎていたので、店はそんなには混んでいなく、好きな席にどうぞ。といわれたので席に着く。もう二人のオーダーはほとんど決まっていたので、水を運んできたウェートレスが「ご注文が決まりましたら・・・」というところで、「クリームあんみつ!」と言うと、「少々お待ち下さい。」とクルリと行ってしまった。あまりの素早さに二人の目は点。あら私の注文は??私の注文も聞いてよ。と、後ろ姿に小さく言ったけど、もういない。
もしかしたら、クリームあんみつが出来るかどうか厨房に聞きに行ったのかしらね。と言って見回すと、他のテーブルの片づけをしていた。あれはいったい何だったのかなぁ。と二人でしばし考えると、パッとひらめいた。たぶんあの子は「ご注文が決まりましたらお呼び下さい」と言ったんだよ。だから、クルリと行ってしまったのよ。こっちの言う事なんて聞いてないのよ。考えてみれば、こっちも相手の話を聞いていなかったんだね。こっちのオーダーが決まっているなんて考えていないのよ。マニュアル通りなのよ。初めは席に通して水を出すのよ。そして注文が決まったら呼んでくださいってマニュアルなのよ。と二人で妙に納得してしまった。
通りかかった他のウェートレスを呼んで注文を告げると、ちゃんとオーダーを電卓のようなものにインプットして厨房の方に消えた。「さっきはあれだしてこなかったもの。やっぱり、お呼び下さい。だったのよ。マニュアル通りにしか出来ないのよ。まったくマニュアル人間が増えたものよね。」「最初からオーダーを決めて入ってくる人いないのかしらね」
打ち合わせなので、クリームあんみつがすっかり空になっても話は終わらず、コーヒーを二つ追加オーダーした。一番最初に来たウェートレスがそのコーヒーを運んできて、「お待たせしました。コーヒーは・・・」と言葉をのんで二人の前にコーヒーを置いたのです。私はもう笑いをこらえるのが苦しい。
彼女が去った後に二人で「絶対に、コーヒーはどちら様って言ったね。」やっぱりあの子はマニュアル通りにしか出来ない子なのよ。納得。
いやぁ、スーパーで人間ウォッチングしているとなかなかおもしろいです。一日中観察していたいと思う私は変態でしょうか。
昨日もびっくりしました。私はレジが終わって袋に入れていると、前に女性がやって来て、なにやら動きが普通でないのが、視界の端っこに入ってきたのです。顔を上げるとびっくり。かごから買ってきたものを出すまでは同じ、出したものの包装を破くのです。まさに破くと言うのが表現にぴったりで、お肉のパックのラップをむしり取り、スーパーに常備されているビニール袋に手を入れて、肉を鷲掴みにして袋を縛りレジ袋に入れる。
買ったものすべてトレイから出してそのビニール袋に入れていました。そして、そのトレイはサッカー台の下のゴミ箱にポイポイと入れるのです。思わず、見てしまいました。凄い人がいるんだなぁ。
まぁ、確かにトレイはゴミになるのだし、家に持ち帰っても捨てるか、もしくは、洗ってまたスーパーに持ってくる事にもなるのだから、最初からスーパーに置いていけば、工数は省けるし、持ち帰る荷物のかさも減る。
トレイだけじゃなくて、不要な包装はすべてはいていきました。しかし、いくら回収していても卵のパックや牛乳のパックは無理でしょうが、これでもか。って程ゴミを置いていきました。すごい。だから、スーパー人間ウォッチングはおもしろいのだ。
去年「ファーストフードが世界を食いつくす」を読んで、こりゃえらいこっちゃ。本当にこんな事が起こっているのだろうか。大変なことだ。だが、やっぱり私が考えてきたことは間違った道ではないと、確信もしたのでした。なんとかしないと日本どころか地球人がおかしくなってしまう。
マクドナルドが出店した国には戦争はもう起きない。ような事も書いてありましたが、経済的に安定するからマクドナルドが出店できると。しかし、経済的に困難な国ではマック1つの値段は相当なものでして、それを食べるためには他のものを節約しなければならない。そして、行列をして買い求め食べることがステイタスとなるのです。しかし、高いお金を出して買ったそのものは、あきらめたものより栄養価、安全度に掛けても低いものです。満腹度もきっと低いことでしょう。でも、食べられたことで満足なんですね。
昔読んだ本に、アフリカだったかアジアだったか忘れてしまいましたが、とにかく発展途上国に赤ちゃんの粉ミルクが輸入されました。粉ミルクは栄養価があるという、政府政策か資本主義政策か分かりませんが、どこのお母さんも同じで自分の赤ちゃんには栄養をつけたいと、なけなしのお金を出してその粉ミルクを買ったのです。しかし、しばらくしての結果は多くの赤ちゃんが栄養失調になったのです。
どうしてでしょう。栄養価が高い粉ミルクを飲ませたのに栄養失調か。なけなしのお金で買い求めたので、赤ちゃんに充分に飲ませる量を買えなかったのですね。
私たちならば混合授乳ということを考え実行している人は多いと思いますが、当時のこの発展途上国では、粉ミルク神話と言うか、それだけしか飲ませなかったのです。ただで栄養分満天の母乳を張ってきたら捨ててしまったのですね。情報というのは恐ろしいものです。マインドコントロールのように粉ミルクは栄養が有る。と信じ込まされてしまったのです。
どんな方法で粉ミルクを売り込まれたかは分かりませんが、昔の日本のように、「ごはんを食べると頭が悪くなる。」とか「ごはんを食べると太る。」などという、政府政策的間違った情報を流されて、パン食に走らされたのと、同じだったのではないでしょうか。
1つの物を浸透させるときに、新しいものを褒めたり、積極的に売り込むのではなく、従来の物をけなすと、新しいものの浸透が早いそうです。
日本の消費者も弥生の時代から慣れ親しんできた米飯をアメリカからの小麦輸入消化のために考えられたパン食浸透にころりとだまされて40余年。今ではいろいろな障害が出ていることにどれだけの人が気付いているのだろうか。
日本ではファーストフードは生活する上で切っても切れないものになっているのではないでしょうか。しかし、毎日毎食アレを食べていたら、人間の身体はどうなってしまうのだろう。いまの子供の将来はどうなってしまうのだろう。
小児ガンがすごい勢いで増えているのは、なぜ。体格だけどんどん成長して体力が伴わないのはなぜ。昔の人は小さかったけど、力持ちだった。なぜ。なぜでしょう。毎年、アトピーだ、花粉症だって人が増えていくのはなぜ。なぜなぜなぜ。ご飯との関係が有るの?と毎日思って暮らしている私です。
日本は戦争に負けたのは、今までの食べ物せいだ。と思っていた所もあり、戦後突然に西洋文化、西洋食を当たり前のように受け入れてきました。いや、先程も書きましたが、故意的に与えられたものも有りますが。まぁ、とにかく40年間ぐらいでこれだけ食生活を変えた国は無いというのは、前々からいわれた来たことです。これは、今までは誇りであったのですが、今はそう思っていない人も増えてきたはずです。どうして、日本古来の伝統をそうもあっさり切ることが出来たのでしょう。
新しいものの受け入れが好きなのかな。そうですね。好きなんですね。新しいもの。
何かの本で読んだのですが。(すいませんこればかりで。私、同時に何冊もの本を読んでいるので、何の本に何が書かれていたかは、覚えきれないのです。でも、納得したり印象が強かった人はよく覚えているのです。が、しかし、最近は物忘れがひどくて、誰が書いていたかを忘れてしまうのですね。その本を探せばいいのですが、残念なことにどの本だか・・、そこらへんは端折ってしまいますが、そこの所ご了承ください。詳細に付いては違う部分も有るかも知れませんが、大きな所では話は違わないと思っています。)
こんな小さな国との戦争でこんなにも手を焼くとは、相手国は思っていなかったという。結局は勝ったものの、このままにしておいては、いずれ自分たちの国がやられてしまう。いったい、彼らの底力、忍耐力はどこから来るのか。と勝ったものの、日本に対しての恐怖感が有ったそうです。そして、今までの生活をすべて変えなければまずい。となり、進駐軍の改革が始まったという。そして、小麦はアメリカ戦略の元、日本に入ってきたのでした。
アメリカでは戦争が終結したあと、農産物が余ったそうです。これをいかに発展途上国に消費させるか。さすがに作戦です。損して得取れ作戦でした。当時は、代金は後払いだったり、学校給食に補助したりして、小麦が無くてはならない存在とさせて、将来までの輸出を考えていたようです。そして、日本はまったくその通りになりました。昨年の小麦の輸入量は600万トン、米の生産量が1000万トンと言うからのその多さは理解できると思います。
30年前の日本人ひとりが食べていた年間のお米は115キロ。そして、去年が60キロ。約半分になってしまいました。お米の消費が減った分、パンとかパスタ類を食べているのですね。そして、この30年間にアトピーだ、花粉症だが増えたのとは何にも関係がないのだろうか。と思ってしまう。
30年前と言えば、70年代。高度成長期で使い捨てはいいこと。新しいこと、簡単なこと、合理的。とどんどんと昔の習慣、風習を塗り替えて行った時代ですね。合成洗剤も出まわってきて、有リン問題などで、環境汚染、公害がクローズアップされてきたのでした。
もっと、ついでに言っておけば、30年前の食料自給量は79%で、去年が40%。先進国では農業従事者はどんどんと減っているものと私は思っていましたが、日本だけでした。こんなに減っているのは。農家の平均年齢が60才を越しているという。フランスだって、アメリカだって、イタリアだって農夫は沢山いるのですね。なんで、日本の農夫は減ってしまったのでしょうか。農業が大事だと言うことをいま若者に伝授していかなければ、日本は滅びてしまう。と私は思っています。食べるものを自分たちの手で作ることは大事なことだと言うこと、喜びだと言うことを教えていかなければ。
最近、スローフードと言う言葉が世に出てきました。イタリアが発祥ですが、イタリアがマクドナルドの出店を拒んだ。あのような物が入ってきたら、イタリアの食文化が壊れる。との判断。凄いですよね。ファーストフードが伝統を壊すとちゃんと判断できていたんです。スローフード自体は前から有るのですが、やっと日本も自分たちの伝統を守るべきだと分かってきたのでしょうか。あっぱれです。日本も目先の物だけにだまされずに、本心を見る目を作って欲しいなぁ。消費者も政治家も。
今日になっても新聞は配達がされない。それなのに、購読キャンペーンの粗品が届きました。これはサイトで申し込んだ場合の限定粗品だと思います。しかし、私の心境は複雑だなぁ。このスヌーピーのバスタオルを頂いていいのかしら。新聞はいつから配達されるのかなぁ。どうすればいいんだろう。販売部長さ〜ん