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achaの言いたい放題
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もう何年もプロ野球の試合を見ていない。8年ほど前までは、なにげなく見ていたし、選手も知っていた。プロ野球ニュースも大好きだった、あら、あの放送が無くなってから見なくなったのかしら。いや、そうじゃないなぁ。
久しぶりに、日本シリーズの試合を端折りながら見てる。しかし、私の頭の中にある日本シリーズの試合は今テレビで放送している野球風景とはまったく違う。今の風景はペナント試合もしくはオールスターかと思ってしまう。
日本シリーズは晩秋の午後の日射しの中で、時に西日がまぶしかったり、時に日が落ちた球場の日陰が妙に寒そうに写ったり。終盤では投手の影がマウンドに長く長く伸びていく。延長になるとライトが点灯され、その昼と夜の間の時間が何とも言えない。西日で黄金色に染まった画面を見ているとこれで今期の野球も終わるんだなぁ。と言う哀愁さえも感じる。それが私の日本シリーズ。
いつから、こんな寒い時間にストーブをつけながらやるようになったんだろう。私が野球を見なくなったのとはこのせいなのだろうか。
確かに、平日の昼間に試合をしても観客、売り上げ、視聴率、何を取り上げても、ナイターとはかけ離れた数字が出てくるのだろう。今は、ドーム球場だし、天候も関係ないし。平日も週末も余り関係ないのだろう。ナイターならば観客動員数も違うだろうなぁ。お弁当も飲み物も沢山売れることだろう。一試合の売り上げというのはすごい物らしい。しかし、ドームというのは暖房も効くのだろうか。これで毎年7戦やってもらえば、言うことなし。何だろうなぁ。球団。
今日で、巨人の王手。さて、明日はどうなるのだろうか。過去に3連勝4連敗って試合もずいぶんあったなぁ。4試合で終わってしまったのは、どのくらい有ったのだろうか。勝ち負けの事もあるけど、売り上げのことも気がもめるのだろうなぁ。優勝バーゲンだって曜日で売り上げが違うんだろうなぁ。といろいろ考えてしまうから、試合をおもしろく感じないのかな。私。
伊豆山に仲間で一泊旅行に行ってきました。翌日の昼は仲間の1人がネットで探してきたピザとパスタの店。ここはそのページをプリントアウトするとピザを一枚サービスしてくれると言う。それではそこにしましょうと、熱海駅からブラブラとおみやげを買いながら、その店にたどり着きました。
銀座商店街から一つ脇に入ったところにその店は有り、私が看板を見つけました。二階から袖看板も掛かっていましたが、その看板と同じ位置に洗濯物が干されていて、なにやら妙な生活感。なんで店の表に洗濯物なんだろう。ここは駅前食堂じゃなくて、イタメシ屋なのになぁ。と、私は密かに思っていました。とにかくたどり着いたので、みんなで入ることにしました。店は、テーブルが5脚でカウンターに椅子が5つ。その一つに女の子が座っていました。
パスタ、ドリアなどを5人であれやこれやとやっている間に、早くもサービスのピザのマルガリータは出てきました。その女の子は私たちの注文を聞いている女性に向かって、かあさん、かあさん。と呼びかけて何かを訴えていました。あら、ここの店の子なのね。と最初は気にならなかったのが、母親が仕事をしているためにすぐにそこへ行かなかったせいか、その子が泣き出したのです。1人の男性、おじいちゃんらしき人がその子のそばに行ったのだが、違う。かあさん。と言う。そして、なんと生まれて間もないあかちゃんの鳴き声も聞こえてきたのです。振り返ってみると、乳母車が厨房の前に置いてありました。
女の子は母親を呼び続け、そして母親はどんな態度をするのかと見ていたら、ちょっと待っててね。としか言わない。女の子は本格的に泣き出した。子供が泣くことで、お客さんに迷惑が掛かるというそぶりはまったく感じられない。そして、母親はその子を抱いて、カウンターの中で飲み物を作り出した。
私としては、どうも納得が行かない。家族でやっていて、子供の面倒を見ながら注文取りの仕事をしなければならない家庭的な事情はわかるとしても、店に出しておく以上は、もう少し言い聞かせてもいいのではないか。子供がぎゃーぎゃーと泣いている中で、パスタやピザを食べるお客の気持ちを考えたことが有るのだろうか。ただ、食べられればいいのではなく、その雰囲気の中で食べる価値も有ると思うのです。
店に座らせて、アイドル的な存在になれば、それは店のイメージアップ。しかし・・・
次に入ってきた、女性の団体さんは11人で突然に店の中は大忙し。母親も水だし、注文取りと大忙し。子供はどうもそれが気にくわないらしい。もしかしたら、いつもはあの椅子に座って母親に遊んでもらっている時間が長いのだろうか。この今の混雑ぶりは珍しいのだろうか。団体客は年輩の女性達でなかには、おかあさんは仕事中だらか少し待っててね。と子供に言っている人もいる。私もそう思った。その若い母親がその一言は言うべきだと思った。そして、その団体客の1人は乳母車を揺すっていた。
旅行客を相手にする店であり、ネットで紹介している店。せっかく美味しいピザもパスタもおいしさが半減したと感じたのは私だけではなかった。いち早くあの洗濯物を見たものが仲間にはいた。やっぱりあれは良くないよねぇ。あれを見たときに一抹の不安はあったのよねぇ。と、こんな事は気にならない人はならないのだろうが、私はどうも気になる。気になる私が普通じゃ無いのかなぁ。サービス業って何なんでしょう。
だから、ピザがサービスなのか。だから、ランチはパスタと一緒に飲み物を頼むと、バケット、サラダとデザートが無料で付いてくるのか。でも、どうしても納得が行かない私でした。まぁ次回は無いのだからいいのか。
会社を辞めたらここに書く時間も増えると思っていたのに、逆になっています。なにやらバタバタと時間が過ぎていきます。本当は時間が沢山あるはずなのに、いろいろなことに手を出すので、時間が無くなるのですね。
会社に行くことは習慣であり、平日は同じ時間に起きて、同じ時間に家を出る。家に帰ってきてからも、ほとんど毎日同じように時間が流れていき、パソコンに向かう時間も、向かってからの流れも同じであり、ここに書くことも習慣づけされていたのです。
それが、家にいると時間の使い方がなかなか習慣にならない。今月に入ってから、家にいる時間はやっと増えてきたのだが、気付くと夕方になっている。一日何をしていたのだろうか。毎日何かをしているのだが、その何かが思いのほか時間が掛かったりする。
こんにゃく湿布を毎日したほうがいいと、8月の最初の頃に数日したまま、暖められてちびたこんにゃくは冷蔵庫の何かの入ったまま。家にいるようになったら、中国茶を楽しもうと思っていたのに、そんなに優雅に過ごす時間がない。はがき絵も、パッチワークも、ぺーじ作りもやりたいことは沢山あるのに、何故か時間がない。時間が有るはずなのに時間に追われて過ごしているように思う。どうして時間に追われる気がするのだろうか。自分ながら不思議である。時間の使い方がまだ慣れていないのでしょうね。
天気が良ければ洗濯だ。掃除だ。とやっているうちに家の中のいろいろにところが気になってきて、片づけをはじめたりする。そして、その片づけが一向に進まないのである。気付けば夕方で、あら、今日も湿布をしなかったなぁ。朝の体操、夜の簡単な矯正体操。お腹に良い体操。毎日やっているつもりでも、まだ3日目。そして、やらなくなるとアッと言う間に10日が過ぎている。ここにも書かなければ、と思いながら20日が過ぎた。過ぎた時間は短いが、毎日書いていると長い。いつになったら習慣尽くのだろうか。いろいろな事を習慣づけるには大変です。
9月の末日に突然、産経新聞の販売所から電話が有ったのです。電話で10月1日からの配達依頼が本社から来たそうです。そして、今日配達に行ったら、名前が存在しないので配達が出来ないと言ってきたのです。
電話で言ってきた私の名前は読み方が違っていました。でも私はホームページに漢字の名前もふりがなもふったのに、読み方が違うとはどういう事なの。ましてや、10月からの依頼ってどうしてそうなってしまったのだろうか。
販売店の話では、普通はファックスで配達の依頼が有るそうです。ただ、今はファックスが壊れていて電話で連絡を受けたそうです。漢字は聞かなかったので、私の名前は違った読み方で連絡されたらしい。珍しい名前なのでよく間違えられるのです。
しかし、8月が10月にどこで変わってしまったのだろうか。10月からの依頼です。という販売店に文句を言っても始まらないし、購読料を取られているわけじゃないから、何も言いようが無い私でした。
産経新聞がなにも言ってこなかったので、他の新聞を取ろうかな。なんて考えていたので、取らなくて良かったと思ったのです。そして、今日からやっと産経新聞が私の手元に届いたのです。
しかし、どうして10月になったのだろう。考えられるのは、販売店のファックスが壊れていたということが怪しい。本社の販売課は販売店にファックスを送ったつもりだった。それが、何かの都合で配達していないことがわかったのでしょう。それを、かってに10月に変更した。私はそう思うのだが、あなたは私が10月からの申し込みをしていた。と思っているでしょう。実は私も少し不安です。
そうだ、いくら利率が悪くても郵便局にも預けておこうと出先で思い立って、まだ間に合うと3時40分に銀行からお金をおろして、郵便局に向かったです。横浜の西口で下ろして、東口の本局へ行こう。
時間が時間なので、急がないと。スリにあってはいけないと、鞄をしっかり握りしめて、急いでジョイナスの中を抜けて・・・。おっと、ここにも有ったじゃない。郵便局。と言うわけで、地下の窓口に降りていきました。
狭いロビーなので人が沢山いるように思うのだが、整理券発行機のお待ち人数は1人。伝票に記入してから整理券を取っても全然待たずに順番が来たのです。
定額貯金の通帳と伝票をだすと、私の書いた伝票を見るなり局員さんは「定期ですか。定額ですか。」という。私は一瞬なんの事だか理解が出来ず「その通帳に入れて下さい。」というと、憮然と「それでは定額ですね。直しておきますから」という。定期と書いてあったところに線を引き、定額と書き込んでいた。ああ、私はちゃんと選んだつもりだったけど、定の字だけで、伝票を選んでしまったようだ。
しかし、その訂正の仕方はアバウトだ、ただ線を引いただけで、私の訂正印を求める訳でもなく、局員の訂正印を押すわけでもない。こんな訂正も有るんだなぁ。と自分が伝票を間違えたことは棚に上げて思ってしまった。
そして、通帳をおもむろに開いて「これを入れると一千万円は超えませんか。」と、突っ慳貪に言う。私はまたまた眼が点状態。「越えていると払い出ししてもらうことになりますから。」私の頭は???そんなに入っている訳じゃないのに何言っているのこの人。と思ったけど、「越えてないです。」とはっきり言う。「それではお金下さい」と言うので、私も憮然と虎の子を渡した。
この態度、ものの言い方。まるでお客を迷惑だとしか思っていない。もっと親切に優しくできないものだろうか。お兄さん、少し口元で笑うと人相も柔らかくなるよ。と心の中でつぶやく。
局員はお金を預かると、紙幣を数える機械にのせた。「お呼びするまでお待ち下さい。」と言うので、カウンターから少し離れて待っていた。
一千万円超えているかどうか。って自己申告なの。郵便局では名寄せは出来ないのか。何のためのオンラインなんだろう。などと思って待っていると、すぐに呼ばれて。「お待たせしました。ありがとうございました。」と紋切り型にいい、通帳だけを返してくれた。えっ、通帳だけ。これだけか。この前、東京の郵便局で同じ金額を入れたときは、こちらがこそばゆくなるぐらいに、ありがとうといわれ、また次もお願いします。と言われ、紙袋一杯の粗品を渡してくれた。
今は、郵便局もサービス品はくれないのか。別に一度洗ったら絵が無くなってしまうようなタオルはいらないけど、心のサービスぐらいは有ってもいいんじゃないの。と、行列しているATMの前を通って外に出たのでした。あっ、普通貯金にも入れるんだった。でも、この行列には並びたくもないし、この局にはもう来たくもない。これだったら、もっと急いで本局に行くか、今日はあきらめて地元の郵便局に行けば良かった。と後悔する私であった。お金を預けていやな気分になるくらい、いやなものは無いと思う。どうせ預けるなら気持ちよく預けられるところがいい。
今朝の新聞に郵便局のマル優微税漏れの記事。もしかしたらお客さんに300万越えてませんか。って聞いているのだろうか。そういえば、この前通帳を繰り越したときに、印鑑を持っていなかったら、後で同じ印鑑を押して置いて下さい。と言われた。これも非常にアバウトなわけで、私が勘違いして違う印鑑を押していたら、その印鑑が通帳の印鑑になるわけだろうか。確かに、局の印鑑照合済みなんてチェック場所はないなぁ。何の印鑑が通帳に押してあっても、その通帳とは照合されるのだから払い出し出来てしまうのか。
銀行などは、判を押しても身元の確認を要求されるし、通帳に判が押してあると第三者が下ろしに来てもわからないと、印鑑を押すことが廃止されている。犯罪に巻き込まれなくていいが、私などはどの印鑑だったかを忘れてしまうので、口座振替の用紙を作るときに難儀している。
お役所仕事というか、悪意ではなく善意が基本に成り立っている。以前の世の中だったらこれで充分だった訳で、事も無事に済んでいた。
しかし、今はその甘い処理をどんどんとついて犯罪が起きてくる。だから、役所も人間に番号を付けることになったのでが、その運用は果たして信用できるものなのだろうか。
郵便局の事務処理もこれだけアバウトだと、自分でしっかり守らないと。きっと、他人に払い出しされても、郵便局は通帳と印鑑が同じでしたから、ご本人とさせていただきましたので、払い出しをしました。当局には何の過失も有りませ。となるのだろう。
9月17日に突然、産経新聞から号外がメールで流れてきた。そして、今日はプレミアムメールなるものが配信されてきた。
ご購読ありがとうございます。って言うのだが、私はまだ読んでないって言うのよね。
そして、なんと前回の購読申し込みお礼のメールにはHPのURLとメールアドレスが書かれていたのに、今回のご案内には購読の苦情、お問い合わせは電話のみで受け付けています。と書かれている。このメールに返信されてもシステム上連絡はつきませんと書かれている。電話のみになってしまった。私と同じような人がいるのだろうか。
タマちゃんの事など、人ごと、遠い川の事と思っていたら、なんと我が家の前まで来たという。その数日前に横浜に行ったとき、帷子川でなにやら騒いでいたのが、タマちゃん。あらら、こんな川に来たのね。身体は大丈夫なのかしら。と思ったら、この大岡川に。確かに帷子川とは隣同士。
大岡川に現れたのは最初が15日。この日も朝早かったらしい。私が出掛けるときに、みんなが川の方を見ている。今日はお祭りだけど、川で何かイベントをするのだろうか。しかし、はっぴ姿の人だけでなく、野球のユニフォームの人、親子連れのカメラ持ち。何だろう。と思いながらも駅に向かったら、あとでタマちゃんがお出ましだったことを知ったのでした。
あらま、今度は大岡川。いつになったら海原に出ていけるのかしら。そして、今日もまだ大岡川にいるらしい。このまま八景島へでも行って、自ら保護されてそこを安住の地にすれば、いいかなぁ。と思う気持ちと、海へ無事に帰って欲しいなぁ。と思う気持ちとが交錯する。
この川は鯉もクラゲも、小さい魚も沢山いるけど、きれいとはいえない。そして、モーターボートやカヌーがよく通る。
大丈夫だろうか。気のせいかいつもより船が通り過ぎていく。いつまでもこんな川にいて生きていけるほど、柔軟性が有るのだろうか。
しかし、情報の社会である。アッと言う間に、人が集まってくる。小学生も、中学生も、若者も、おばちゃんも。本当に老若男女ってこれだなぁ。どこから湧いてくるのかと思うくらい集まってくる。それは携帯電話なんですね。話している人もいれば、ポチポチメールを打っている人もいる。1人が、2人以上に連絡すればそりゃ、集まりますよねぇ。かく言う私も数人に連絡してしまった。
私はしばらく待ってみたのだが、根が気短なので待っていられなくて家に戻る。すると大騒ぎ。この通りの合い言葉のように「見たぁ?可愛かったねぇ。」と交わされている。小学生もおじさんも大騒ぎ。
「見られてよかったぁ。」とみんなタマちゃんを見て、心が癒されているのだろう。満足顔で帰っていく。あきらめきれない人たちが薄暗くなっても残り、小学生達が「タマちゃーーーん」と時折叫んでいる。
こんなにも簡単に人に情報を流せる社会なのに、連絡も出来ないし、手紙すら出せない。まったく持ってこちらからは情報を入手出来ない。そんな世界も有るのです。やっと情報が入ったと思ったら、訃報だった。
なんと悲しいことで、情けないようにも思う。本当の事は、事実は、どこに有るんだろうか。情報が沢山でも、どれが本当かを見極めるのは大変だが、一つの情報を信じなければならないのも、悲しい。
当たり前の事だが、このタマちゃんをみて癒されている時間と、子供の安否を気遣う時間が同じ線上に有るのですね。
学生が大勢で電車に入ってくる。手にはジュースや菓子パンに肉まん、そして、カップラーメンだ。えっ、電車の中でカップラーメン。考えられん。お汁まで全部飲むのだろうか。身体のことを考えたら、お汁まで全部飲んで欲しくはないが、お汁が入ったままを車内に置いていった場合事を考えると私は身震いしてしまう。ジュースのように散乱したらどうなるのだろう。あれもどんな心境なのか私にはさっぱり理解できない。倒れたらこぼれる、こぼれたら周りの人が嫌な思いをする、迷惑を掛ける。って図式はないんですね。
そして、思い思いに食べる。最近は本当に電車の中で物を食べる人が増えました。学生だけでなく、社会人も、おばちゃんも食べている。さすがにおばちゃんのサンドイッチやおにぎり姿はないかな。ボックスシートならば分かるが、でーーんと長いベンチシートで食べるのです。
東海道線にロングシートが多くなった時にアーバンやラビットまでロングになってしまって、お弁当が食べられずに困った記憶が有るが、今は行楽電車ではなく、通勤電車でも、人目をはばからず物を食べる。おじさんもビールを飲む。アル中なのかと思うのだが、お酒をチビチビと本当に嬉しそうに飲んでいるご老人もいるのですね。
バックの中にチョコレートやせんべいを忍ばせて食べている女性達。車両の中をポテトフライの匂いや、たこ焼きの匂いまでもが漂う。小腹が空いたから少し食べたい。のはまぁ理解で来ても、おにぎりやサンドイッチに中華マンは夕飯なんだろうか。それで、食事が済んでしまうのだろうか。
それを見ていた小さい子供が食べたがったりして、子供の教育もいろいろ大変になりますよね。座って食べなさいって言われてきたから、確かに座って食べて居るんですけどね。
人前で物を食べる。って、勇気がいるものだと思っていたけど、公衆の中のモラルって無くなってしまったのか。けっこう平然と食べていますよね。そういえば、今の時代にモラルなんて言葉は死語なんだろうか。私は初めてソフトクリームを歩きながら食べたときは勇気が必要だったし、友達以外の人と外で食事をするのにも時間が掛かりましたね。食事も化粧も人前では恥ずかしい。と言う感情が有ったのです。今では初対面の人と食事は出来ますが、さすがに化粧は出来ないですね。
学生や若い人ならば、車内で化粧をするくらいだから食べることくらい何でもないのでしょうが、いい大人が食べているのはどうしてだろう。ダイエットとか言って、ちゃんと三度三度の食事をちゃんととっていないからお腹が空くのだろうか。まぁ、最近はいい歳のおばちゃんも電車の中で化粧直しをしているくらいだから、公衆の面前と言う考え方が変わったのだろ。でも、食べることの大切な意味を忘れているように思う。
お腹が減ったから食べる。電車の中だけじゃなくてあらゆるところで立ち食いしている。食べ物はただお腹を満たせばいい物ではない。確かに、テイクアウトや気軽に歩きながら食べられるものが増えています。合理的かも知れない。今の人たちの食べ方は、食べるよりも時間を取りたいものが有るのだろうか。
でも、食べる意味って有ると思う。ただ、お腹が減ったからお腹に何かを入れればいいと言う問題ではない。ゆっくり味わって食べることで、身体にもいい物になっていくだろうし、食べることに集中すればゆっくり噛むことも出来る。ゆっくり噛めば唾液が添加物なども解毒してくれるというデータも有ることだし。
身体に今はちゃんと食べていますよ。いい栄養素になって下さいね。身体にいい物になって下さいね。としっかり噛んだら、大脳だって、ちゃんと働くような気がする。
とにかく、ちゃんとしたご飯をちゃんとしたかたちで食べない人が多くなってきたので、世の中考えられない犯罪が増えているのだと私は思う。ご飯はちゃんとそして楽しく食べましょうね。
まるまる1カ月冷房の世界から離脱したら、身体の調子がずいぶん違う。一番違うことは汗をかくこと。暑くても玉の汗を流すことはほとんどなかったのが、頭、首と流れ出て来る。やっぱり夏は汗をかかなければ。
今までは汗がにじみ出ることはあっても、流れ出ることは滅多になかったのです。冷房で身体が冷える前から、玉の汗は流れることはなかったのです。もともとが代謝が良くなかったのでしょうか。そして、冷房で身体が冷えてからは、汗が流れる事なんて本当になかったですね。
それが今は、食事の時も出ます。物心着いてから食べて汗が出るのは、夏にラーメンや熱いものを食べた時だけでした。それが、ここ数週間は普通に物を食べて汗が出るのです。こんな経験は今まではなかったのです。人はそれが当たり前でも、私にとってはすごい体験です。
お風呂に入っても、以前の半分の時間で汗が出てくるのです。そしてその量も以前とは違います。汗が出ると言うことは、循環が良くなったと言うことですよね。代謝が良くなっているのだろうか。汗が出ると、どんどん出ろ出ろ。毒よ出よ。と思わず口から出てしまうのです。
足の冷たさもずいぶん違うのです。冷えが溜まって冷え切っていた私の足には、冷房の冷たさは当然ですが、扇風機の風でも足は冷たくなるのです。上半身に心地よい自然の風も私の足には悲しいことに敵なんです。
それが、身体の冷えの蓄積度が減ってきたのか、冷房の中にいても、今までよりは楽になりました。でも、まだ電車やスーパーの冷房はやっぱり寒い。半袖ではとても行けないし、電車も弱冷に乗り、カーデガンは絶対に持ち歩いています。
会社に居たときは、短い時で8時間、長い時で12時間も冷え冷えの中で生活をしていたのだから、体調もおかしくなるのは当たり前ですよね。
日本人は日本の四季にあった生活様式がいいんですね。暑い夏は身体も夏バージョンになるような生活をするのがいいんですよ。身体が暑くなり汗をかくのが夏ですね。旬の食べ物もその季節だからこそ、出来るのであって、そのために夏野菜は身体を冷やすようになっているのです。
万事自然流に生きていくのが、身体のためにも健康にもいいんですよね。しかし、会社で働いていれば自然に合わせた生活なんて出来ない。このように夏は夏らしく生活できるのは、最高の贅沢なんだろうか。
あまりに暑いので、木陰でバスを待っていた。このバス停は暑い場所にあるので、こうやって待っている人もずいぶんいるし、私も今まで何度となくこのように待っていたのです。
バスは5分ほど遅れてやって来た。後方にバスが見えたので、日傘をたたんでバス停に近づいていくと、なんとバスは左側に寄ることもなく、バス停を通過していってしまった。
手前の日陰で待っていたおじさんも、私と同じようにバス停に近づいてきたが、バスが通過するのを見て、苦笑していた。あれー、何で私が居るのに。見えなかったのか。バス停に近づくのが遅かったのか。バスが来たところ手でも上げれば良かったか。
そして、そのおじさんは元の場所に帰っていった。私はバス停の日陰に立った。だって、これ以上バスに通過されては、ハローワークの時間に間に合わなくなってしまう。バスの時刻表では2分後に来る。
バスの運転手はどの時点でバス停に人が居るか居ないかを判断するのだろうか。確かに私が動くのが遅かったかも知れないが、でも、あの走り方はバス停など無いような過ぎ去り方だった。
そして、次のバスが来たので、あわてて乗った。さっきのおじさんも乗れた。しかし、乗ってから気付いた。このバスではハローワークまではいけない。アチャー。