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achaの言いたい放題
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1.博多 2.札幌 3.喜多方 4.和歌山 5.旭川 6.函館 7.熊本 8.尾道 9.横浜 10.荻窪だと、だいぶ前の日経のプラス1に載っていた食べたいラーメンのベスト10です。
ふむふむ、食べていないのは和歌山ラーメンかな。その地で食べていないのは、和歌山、函館、熊本ラーメン。こういうランキングに載ってくるものはほとんどクリアしているなぁ。私なんて自分で感心してしまう。
最近我が家の周りにはラーメン屋がニョキニョキと出来ている。磯子のどこだかがラーメン街道と呼ばれているらしいが、ここらも負けなくなりそうだ。家系ラーメンとは誰が名付けたかは知らないが、良くも言い表している。地獄ラーメン、ご当地ラーメン。さまざまであるが、時にだまされた味の店がある。そのうちに周辺のラーメン屋の紹介ページでも作ってみようかな。
しかし、ラーメンとは妙な物である。老若男女いつかは食べたいときが有るものでは無かろうか。ラーメンは大嫌いで見るのも嫌。と言う人には出会ったことがない。そりゃ、豚骨が嫌とか、味噌味が嫌い。ニンニクが嫌いって人はいるけど、何故かか食べたくなるラーメンには何が潜んでいるのだろうか。
麺にはかん水が潜んでいて、胃酸過多になりゲップが出る。スープは豚骨やちゃんとしたスープから作っている店の他に、だまくらかして、化学調味料を使っている店もある。背油ならまだしも、出来上がりのトッピングにラードの固まりをポトリと投げ入れられたラーメンには参った。これがウリなんだろうけど、これだけの脂を身体の中には入れたくないと、賢明によけるのだが、スープにどんどんと溶け流れていくのである。
食べた後に胸焼けや胃もたれに見まわれるラーメンも有る。二度と行きたくないと思うのだが、喉元過ぎるとまた行きたくなる。
どう考えても、身体に良くないラーメンが多いのに、どうして食べたくなるのだろうか。不思議だ。
そして、高校時代によく行った店がある。麺は細めでスープは東京系なのだろうか。とにかく美味しかったのである。横須賀に住んでいたときはよく行ったものだった。ずーっと美味しいと思っていて、しばらくそのあたりに行く機会が無くて、やっと数年前に行ったときにがっかりした。こんなにも塩辛かったのかと。それともこっちの舌が肥えてしまって美味しいと感じなくなってしまったのだろうかと思っていた。がっかりして帰ってきた。
先週、横須賀時代の仲間に聞いたところに寄ると、そこにいた人が一駅先に開業したという。そういうことか、あの味はその人がいなくなってしまったので、変わったと言うことか。妙に納得。横浜ウォーカーなどにも掲載されて、店の前はいつも待っている人がいるという。
それは、行きたいなぁ。思っていたらなんとそのチャンスは早くもやって来ました。今日その店の前を通ったので、早速行ってきました。いつもならば月曜日は定休日。しかし、今日は祭日なので営業。その上、祭日なのでいつもは3時から5時までは休憩らしいが、今日は休憩なし。5時少し前に行ったらすんなり入れた。ラッキー。
ラーメンはなんと350円。今時350円のラーメンには出会ったことがない。最低でも600円はするだろう。私はサンマーメン550円を頼む。餃子は半ぶんこ。いやぁー、懐かしい味だった。麺の細さといい、何ともいい味。これが私が高校時代に食べた味だわ。懐かしい。少し味が濃いめに感じるのは私が歳を取ったせいだと思う。
場所は京急YRP野比駅から海方向に進んで右側の「光楽」カウンターが6席かな、二人掛けのテーブルが一つに座敷が一つ。待つのが当たり前、そのままは入れればラッキーですね。
家の前の川沿いでは、桜が先週ごろから突然色づきはじめた。なんかいつもより早いなぁ。しかし、その先の公園の桜はほとんど色づいていない。川沿いは気温の温度差が有るのかなあ。
通年ならば鎌倉の紅葉を見ながら歩くのにいい時期が12月。ここらの紅葉も11月の末から12月。今年は紅葉が早いのだろうか。それならば、今月の中旬に鎌倉を歩かないと。
10月の気温の差は一年の内で一番大きいものだと思っていたけど、今年は特にそうなのかも知れない。この10日間くらいの気温の差は体感でもずいぶん違う。去年より寒さが駆け足でやって来たような気がする。半袖で歩いていたのが、突然マフラーやジャケット姿の人が目に付くようになりましたねぇ。
体感温度と言えば、マフラー、手袋、ダウンジャケットを着込んでいる人もいるんですね。確かに11月はもう冬かも知れないけど、半袖の上にGジャンの私とは、ひと季節違うように感じる。もっと寒くなったら何を着るんだろうか。
気になったので、気温を調べてみました。こんな時は、ホームーページって便利ですね。
10月2日の最高気温が28度。10月26日が14.8度。なんと14度も違うのですね。
最低気温が10月2日で20.9度 10月30日が8.9度。これも12度近いですね。
寒いと思いましたよ。朝は吐く息が白かったように思う。
15日の最高気温が25.5度で、22日の最高気温が20.8度。一週間で5度の差。
このあたりで紅葉が始まったような気がする。
22日の最低気温は12.4度。やっぱり紅葉は15度を切ると始まるのだろうか。
ちなみに、去年は最高気温の26.9度と16.1度 最低気温も18.9度と10.8度
今年の方が落差が大きい。
それに、最高気温が10度台になり始めたのが、去年は11月に入ってから、今年はも28日から毎日。その前も何日も有るのです。やっぱり、今年は紅葉は早いのかも。そして、これだけ気温の差があると言うことは、きれいなのかも知れない。今年の紅葉に期待しよう。
ああ、まさかの4連敗だった。こんなに西武ってつきが無いチームだったのかな。と言う感想。あっけない日本シリーズだったなぁ。しかし、こんな寒い夜に外でビールかけは大変だろう。今までは、ホテルやどこかの室内だったけど、ここ数年は外になったのは、やっぱり世の中不景気で、ビールかけの後処理料が大変なのだろうか。
日本シリーズを見ていたら、私は西武ライオンズのファンだったことを思い出した。森監督、伊東、渡辺久信、清原、工藤、秋山、清家。あら他のメンバーの名前を忘れてしまいました。でも、そんな時代の西武です。底抜けに明るい人たちの集まりだったように思う。どうも巨人は暗くていけない。と思っていたら、こんなチームが有ったのかと、これならプロ野球もおもしろいかも知れないと思ったのでした。
我が実家は大の巨人ファンでパシフィックリーグの試合など見たことが無かったのですね。巨人のゲームではどうもプロ野球は好きになれなかった私でした。だいたいが動きが怠惰すぎる。で、中学の頃まではプロ野球には見向きもせず、高校野球のさわやかさ、機敏さに惚れ込んでいたのです。それにしても、あんなに機敏なのがどうしてプロに行くと怠惰になるのだろうか。
オールスターでも、日本シリーズでもパリーグが絶対に強いんだ。と思って見ていましたね。でも、悲しいことにテレビ中継は数少ないし、有っても時間切れの放送ばかり。こっちの方がおもしろい試合なのになぁ。と。で、ますますプロ野球ニュースのファンになりました。
しかし、それもいつの間にか、フリーエージェントせいだか、なんだかで、移籍が多くなり、選手の顔と球団が一致しなくなってきた。シリーズが始まると、あらどうしたのかしら。と言う人ばかり。ねこの目のようにメンバーが変わっていく。なんだかそれについていけなくなってしまった。
秋本も清原も、工藤もユニフォームを変えてしまった。清原が巨人との初めての日本シリーズの時に流した涙は私は忘れられない。あの涙を見て私も泣いてしまった。しかし、どうして、みんな巨人に行きたいのだろうか。巨人に行くと何がいいのだろうか。やっぱり引退後のことを考えてだろうか。
そして、今期、秋山はユニフォームを脱いだ。脱いだと言えば、ビュンビュン丸の池山も好きだったなぁ。
しかし、巨人に行ってからの工藤と清原の体型はどうしたものか。巨人に行くと精彩に欠けるように思うのは私だけだろうか。清原もあのまま西武にいたら何かの冠が取れたのではないだろうかと思う。
昨日は九州場所の番付が出たらしいが、相撲もここ数年見なくなったなぁ。寺尾が引退してしまったから、ますます見なくなるだろうなぁ。
そういえば、野球を見ていた頃は相撲も見ていたのだろうか。双子山親方が貴の花だった頃で、千代の富士、北天祐、北尾、寺尾、高見山。このころからよく見ていて、若貴時代もよく見てましたね。毎回大相撲ダイジェスト欠かさず見ていた。武蔵丸が上がってきた頃から、見なくなったのだろうか。
野球も相撲も見なくなったのは、ただ私が世間の波に乗れていないって事なんだろうか。スポーツの世界もサイクルが早くなって私の頭がついていかないのか。
もう何年もプロ野球の試合を見ていない。8年ほど前までは、なにげなく見ていたし、選手も知っていた。プロ野球ニュースも大好きだった、あら、あの放送が無くなってから見なくなったのかしら。いや、そうじゃないなぁ。
久しぶりに、日本シリーズの試合を端折りながら見てる。しかし、私の頭の中にある日本シリーズの試合は今テレビで放送している野球風景とはまったく違う。今の風景はペナント試合もしくはオールスターかと思ってしまう。
日本シリーズは晩秋の午後の日射しの中で、時に西日がまぶしかったり、時に日が落ちた球場の日陰が妙に寒そうに写ったり。終盤では投手の影がマウンドに長く長く伸びていく。延長になるとライトが点灯され、その昼と夜の間の時間が何とも言えない。西日で黄金色に染まった画面を見ているとこれで今期の野球も終わるんだなぁ。と言う哀愁さえも感じる。それが私の日本シリーズ。
いつから、こんな寒い時間にストーブをつけながらやるようになったんだろう。私が野球を見なくなったのとはこのせいなのだろうか。
確かに、平日の昼間に試合をしても観客、売り上げ、視聴率、何を取り上げても、ナイターとはかけ離れた数字が出てくるのだろう。今は、ドーム球場だし、天候も関係ないし。平日も週末も余り関係ないのだろう。ナイターならば観客動員数も違うだろうなぁ。お弁当も飲み物も沢山売れることだろう。一試合の売り上げというのはすごい物らしい。しかし、ドームというのは暖房も効くのだろうか。これで毎年7戦やってもらえば、言うことなし。何だろうなぁ。球団。
今日で、巨人の王手。さて、明日はどうなるのだろうか。過去に3連勝4連敗って試合もずいぶんあったなぁ。4試合で終わってしまったのは、どのくらい有ったのだろうか。勝ち負けの事もあるけど、売り上げのことも気がもめるのだろうなぁ。優勝バーゲンだって曜日で売り上げが違うんだろうなぁ。といろいろ考えてしまうから、試合をおもしろく感じないのかな。私。
伊豆山に仲間で一泊旅行に行ってきました。翌日の昼は仲間の1人がネットで探してきたピザとパスタの店。ここはそのページをプリントアウトするとピザを一枚サービスしてくれると言う。それではそこにしましょうと、熱海駅からブラブラとおみやげを買いながら、その店にたどり着きました。
銀座商店街から一つ脇に入ったところにその店は有り、私が看板を見つけました。二階から袖看板も掛かっていましたが、その看板と同じ位置に洗濯物が干されていて、なにやら妙な生活感。なんで店の表に洗濯物なんだろう。ここは駅前食堂じゃなくて、イタメシ屋なのになぁ。と、私は密かに思っていました。とにかくたどり着いたので、みんなで入ることにしました。店は、テーブルが5脚でカウンターに椅子が5つ。その一つに女の子が座っていました。
パスタ、ドリアなどを5人であれやこれやとやっている間に、早くもサービスのピザのマルガリータは出てきました。その女の子は私たちの注文を聞いている女性に向かって、かあさん、かあさん。と呼びかけて何かを訴えていました。あら、ここの店の子なのね。と最初は気にならなかったのが、母親が仕事をしているためにすぐにそこへ行かなかったせいか、その子が泣き出したのです。1人の男性、おじいちゃんらしき人がその子のそばに行ったのだが、違う。かあさん。と言う。そして、なんと生まれて間もないあかちゃんの鳴き声も聞こえてきたのです。振り返ってみると、乳母車が厨房の前に置いてありました。
女の子は母親を呼び続け、そして母親はどんな態度をするのかと見ていたら、ちょっと待っててね。としか言わない。女の子は本格的に泣き出した。子供が泣くことで、お客さんに迷惑が掛かるというそぶりはまったく感じられない。そして、母親はその子を抱いて、カウンターの中で飲み物を作り出した。
私としては、どうも納得が行かない。家族でやっていて、子供の面倒を見ながら注文取りの仕事をしなければならない家庭的な事情はわかるとしても、店に出しておく以上は、もう少し言い聞かせてもいいのではないか。子供がぎゃーぎゃーと泣いている中で、パスタやピザを食べるお客の気持ちを考えたことが有るのだろうか。ただ、食べられればいいのではなく、その雰囲気の中で食べる価値も有ると思うのです。
店に座らせて、アイドル的な存在になれば、それは店のイメージアップ。しかし・・・
次に入ってきた、女性の団体さんは11人で突然に店の中は大忙し。母親も水だし、注文取りと大忙し。子供はどうもそれが気にくわないらしい。もしかしたら、いつもはあの椅子に座って母親に遊んでもらっている時間が長いのだろうか。この今の混雑ぶりは珍しいのだろうか。団体客は年輩の女性達でなかには、おかあさんは仕事中だらか少し待っててね。と子供に言っている人もいる。私もそう思った。その若い母親がその一言は言うべきだと思った。そして、その団体客の1人は乳母車を揺すっていた。
旅行客を相手にする店であり、ネットで紹介している店。せっかく美味しいピザもパスタもおいしさが半減したと感じたのは私だけではなかった。いち早くあの洗濯物を見たものが仲間にはいた。やっぱりあれは良くないよねぇ。あれを見たときに一抹の不安はあったのよねぇ。と、こんな事は気にならない人はならないのだろうが、私はどうも気になる。気になる私が普通じゃ無いのかなぁ。サービス業って何なんでしょう。
だから、ピザがサービスなのか。だから、ランチはパスタと一緒に飲み物を頼むと、バケット、サラダとデザートが無料で付いてくるのか。でも、どうしても納得が行かない私でした。まぁ次回は無いのだからいいのか。
会社を辞めたらここに書く時間も増えると思っていたのに、逆になっています。なにやらバタバタと時間が過ぎていきます。本当は時間が沢山あるはずなのに、いろいろなことに手を出すので、時間が無くなるのですね。
会社に行くことは習慣であり、平日は同じ時間に起きて、同じ時間に家を出る。家に帰ってきてからも、ほとんど毎日同じように時間が流れていき、パソコンに向かう時間も、向かってからの流れも同じであり、ここに書くことも習慣づけされていたのです。
それが、家にいると時間の使い方がなかなか習慣にならない。今月に入ってから、家にいる時間はやっと増えてきたのだが、気付くと夕方になっている。一日何をしていたのだろうか。毎日何かをしているのだが、その何かが思いのほか時間が掛かったりする。
こんにゃく湿布を毎日したほうがいいと、8月の最初の頃に数日したまま、暖められてちびたこんにゃくは冷蔵庫の何かの入ったまま。家にいるようになったら、中国茶を楽しもうと思っていたのに、そんなに優雅に過ごす時間がない。はがき絵も、パッチワークも、ぺーじ作りもやりたいことは沢山あるのに、何故か時間がない。時間が有るはずなのに時間に追われて過ごしているように思う。どうして時間に追われる気がするのだろうか。自分ながら不思議である。時間の使い方がまだ慣れていないのでしょうね。
天気が良ければ洗濯だ。掃除だ。とやっているうちに家の中のいろいろにところが気になってきて、片づけをはじめたりする。そして、その片づけが一向に進まないのである。気付けば夕方で、あら、今日も湿布をしなかったなぁ。朝の体操、夜の簡単な矯正体操。お腹に良い体操。毎日やっているつもりでも、まだ3日目。そして、やらなくなるとアッと言う間に10日が過ぎている。ここにも書かなければ、と思いながら20日が過ぎた。過ぎた時間は短いが、毎日書いていると長い。いつになったら習慣尽くのだろうか。いろいろな事を習慣づけるには大変です。
9月の末日に突然、産経新聞の販売所から電話が有ったのです。電話で10月1日からの配達依頼が本社から来たそうです。そして、今日配達に行ったら、名前が存在しないので配達が出来ないと言ってきたのです。
電話で言ってきた私の名前は読み方が違っていました。でも私はホームページに漢字の名前もふりがなもふったのに、読み方が違うとはどういう事なの。ましてや、10月からの依頼ってどうしてそうなってしまったのだろうか。
販売店の話では、普通はファックスで配達の依頼が有るそうです。ただ、今はファックスが壊れていて電話で連絡を受けたそうです。漢字は聞かなかったので、私の名前は違った読み方で連絡されたらしい。珍しい名前なのでよく間違えられるのです。
しかし、8月が10月にどこで変わってしまったのだろうか。10月からの依頼です。という販売店に文句を言っても始まらないし、購読料を取られているわけじゃないから、何も言いようが無い私でした。
産経新聞がなにも言ってこなかったので、他の新聞を取ろうかな。なんて考えていたので、取らなくて良かったと思ったのです。そして、今日からやっと産経新聞が私の手元に届いたのです。
しかし、どうして10月になったのだろう。考えられるのは、販売店のファックスが壊れていたということが怪しい。本社の販売課は販売店にファックスを送ったつもりだった。それが、何かの都合で配達していないことがわかったのでしょう。それを、かってに10月に変更した。私はそう思うのだが、あなたは私が10月からの申し込みをしていた。と思っているでしょう。実は私も少し不安です。
そうだ、いくら利率が悪くても郵便局にも預けておこうと出先で思い立って、まだ間に合うと3時40分に銀行からお金をおろして、郵便局に向かったです。横浜の西口で下ろして、東口の本局へ行こう。
時間が時間なので、急がないと。スリにあってはいけないと、鞄をしっかり握りしめて、急いでジョイナスの中を抜けて・・・。おっと、ここにも有ったじゃない。郵便局。と言うわけで、地下の窓口に降りていきました。
狭いロビーなので人が沢山いるように思うのだが、整理券発行機のお待ち人数は1人。伝票に記入してから整理券を取っても全然待たずに順番が来たのです。
定額貯金の通帳と伝票をだすと、私の書いた伝票を見るなり局員さんは「定期ですか。定額ですか。」という。私は一瞬なんの事だか理解が出来ず「その通帳に入れて下さい。」というと、憮然と「それでは定額ですね。直しておきますから」という。定期と書いてあったところに線を引き、定額と書き込んでいた。ああ、私はちゃんと選んだつもりだったけど、定の字だけで、伝票を選んでしまったようだ。
しかし、その訂正の仕方はアバウトだ、ただ線を引いただけで、私の訂正印を求める訳でもなく、局員の訂正印を押すわけでもない。こんな訂正も有るんだなぁ。と自分が伝票を間違えたことは棚に上げて思ってしまった。
そして、通帳をおもむろに開いて「これを入れると一千万円は超えませんか。」と、突っ慳貪に言う。私はまたまた眼が点状態。「越えていると払い出ししてもらうことになりますから。」私の頭は???そんなに入っている訳じゃないのに何言っているのこの人。と思ったけど、「越えてないです。」とはっきり言う。「それではお金下さい」と言うので、私も憮然と虎の子を渡した。
この態度、ものの言い方。まるでお客を迷惑だとしか思っていない。もっと親切に優しくできないものだろうか。お兄さん、少し口元で笑うと人相も柔らかくなるよ。と心の中でつぶやく。
局員はお金を預かると、紙幣を数える機械にのせた。「お呼びするまでお待ち下さい。」と言うので、カウンターから少し離れて待っていた。
一千万円超えているかどうか。って自己申告なの。郵便局では名寄せは出来ないのか。何のためのオンラインなんだろう。などと思って待っていると、すぐに呼ばれて。「お待たせしました。ありがとうございました。」と紋切り型にいい、通帳だけを返してくれた。えっ、通帳だけ。これだけか。この前、東京の郵便局で同じ金額を入れたときは、こちらがこそばゆくなるぐらいに、ありがとうといわれ、また次もお願いします。と言われ、紙袋一杯の粗品を渡してくれた。
今は、郵便局もサービス品はくれないのか。別に一度洗ったら絵が無くなってしまうようなタオルはいらないけど、心のサービスぐらいは有ってもいいんじゃないの。と、行列しているATMの前を通って外に出たのでした。あっ、普通貯金にも入れるんだった。でも、この行列には並びたくもないし、この局にはもう来たくもない。これだったら、もっと急いで本局に行くか、今日はあきらめて地元の郵便局に行けば良かった。と後悔する私であった。お金を預けていやな気分になるくらい、いやなものは無いと思う。どうせ預けるなら気持ちよく預けられるところがいい。
今朝の新聞に郵便局のマル優微税漏れの記事。もしかしたらお客さんに300万越えてませんか。って聞いているのだろうか。そういえば、この前通帳を繰り越したときに、印鑑を持っていなかったら、後で同じ印鑑を押して置いて下さい。と言われた。これも非常にアバウトなわけで、私が勘違いして違う印鑑を押していたら、その印鑑が通帳の印鑑になるわけだろうか。確かに、局の印鑑照合済みなんてチェック場所はないなぁ。何の印鑑が通帳に押してあっても、その通帳とは照合されるのだから払い出し出来てしまうのか。
銀行などは、判を押しても身元の確認を要求されるし、通帳に判が押してあると第三者が下ろしに来てもわからないと、印鑑を押すことが廃止されている。犯罪に巻き込まれなくていいが、私などはどの印鑑だったかを忘れてしまうので、口座振替の用紙を作るときに難儀している。
お役所仕事というか、悪意ではなく善意が基本に成り立っている。以前の世の中だったらこれで充分だった訳で、事も無事に済んでいた。
しかし、今はその甘い処理をどんどんとついて犯罪が起きてくる。だから、役所も人間に番号を付けることになったのでが、その運用は果たして信用できるものなのだろうか。
郵便局の事務処理もこれだけアバウトだと、自分でしっかり守らないと。きっと、他人に払い出しされても、郵便局は通帳と印鑑が同じでしたから、ご本人とさせていただきましたので、払い出しをしました。当局には何の過失も有りませ。となるのだろう。
9月17日に突然、産経新聞から号外がメールで流れてきた。そして、今日はプレミアムメールなるものが配信されてきた。
ご購読ありがとうございます。って言うのだが、私はまだ読んでないって言うのよね。
そして、なんと前回の購読申し込みお礼のメールにはHPのURLとメールアドレスが書かれていたのに、今回のご案内には購読の苦情、お問い合わせは電話のみで受け付けています。と書かれている。このメールに返信されてもシステム上連絡はつきませんと書かれている。電話のみになってしまった。私と同じような人がいるのだろうか。
タマちゃんの事など、人ごと、遠い川の事と思っていたら、なんと我が家の前まで来たという。その数日前に横浜に行ったとき、帷子川でなにやら騒いでいたのが、タマちゃん。あらら、こんな川に来たのね。身体は大丈夫なのかしら。と思ったら、この大岡川に。確かに帷子川とは隣同士。
大岡川に現れたのは最初が15日。この日も朝早かったらしい。私が出掛けるときに、みんなが川の方を見ている。今日はお祭りだけど、川で何かイベントをするのだろうか。しかし、はっぴ姿の人だけでなく、野球のユニフォームの人、親子連れのカメラ持ち。何だろう。と思いながらも駅に向かったら、あとでタマちゃんがお出ましだったことを知ったのでした。
あらま、今度は大岡川。いつになったら海原に出ていけるのかしら。そして、今日もまだ大岡川にいるらしい。このまま八景島へでも行って、自ら保護されてそこを安住の地にすれば、いいかなぁ。と思う気持ちと、海へ無事に帰って欲しいなぁ。と思う気持ちとが交錯する。
この川は鯉もクラゲも、小さい魚も沢山いるけど、きれいとはいえない。そして、モーターボートやカヌーがよく通る。
大丈夫だろうか。気のせいかいつもより船が通り過ぎていく。いつまでもこんな川にいて生きていけるほど、柔軟性が有るのだろうか。
しかし、情報の社会である。アッと言う間に、人が集まってくる。小学生も、中学生も、若者も、おばちゃんも。本当に老若男女ってこれだなぁ。どこから湧いてくるのかと思うくらい集まってくる。それは携帯電話なんですね。話している人もいれば、ポチポチメールを打っている人もいる。1人が、2人以上に連絡すればそりゃ、集まりますよねぇ。かく言う私も数人に連絡してしまった。
私はしばらく待ってみたのだが、根が気短なので待っていられなくて家に戻る。すると大騒ぎ。この通りの合い言葉のように「見たぁ?可愛かったねぇ。」と交わされている。小学生もおじさんも大騒ぎ。
「見られてよかったぁ。」とみんなタマちゃんを見て、心が癒されているのだろう。満足顔で帰っていく。あきらめきれない人たちが薄暗くなっても残り、小学生達が「タマちゃーーーん」と時折叫んでいる。
こんなにも簡単に人に情報を流せる社会なのに、連絡も出来ないし、手紙すら出せない。まったく持ってこちらからは情報を入手出来ない。そんな世界も有るのです。やっと情報が入ったと思ったら、訃報だった。
なんと悲しいことで、情けないようにも思う。本当の事は、事実は、どこに有るんだろうか。情報が沢山でも、どれが本当かを見極めるのは大変だが、一つの情報を信じなければならないのも、悲しい。
当たり前の事だが、このタマちゃんをみて癒されている時間と、子供の安否を気遣う時間が同じ線上に有るのですね。