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achaの言いたい放題
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土曜は、中学の同窓会でした。楽しい時間でした。15才に戻って、話が出きるのですね。世間のしがらみや、嫌な人間関係、など、浮き世の憂さをすべて忘れられる、時間です。
何年逢っていなくても、その空白の時間はすぐに埋めることが出来るのです。不思議ですね。
7クラス有って、私のクラスは7組。一番端っこのクラスで、中学になると、男女別の授業が有って、普通は隣のクラスと合同で、人数はひとクラス分になるのに、何故か我がクラスは、7組だけなんです。
体育なんて18人でやるんですよ。バスケットは3チーム出来るから休む時間が有るけど、バレーボールなんて大変です。だから、他のクラスより団結が強かったように思います。
で、担任の人柄もよかったのか、卒業してからも必ず先生の都合を一番に聞いてからクラス会を開いていました。何回か開いていくうちに、開いていないクラスの人がうらやましがって、行きたいというので、ゲストの参加が増えてきたのです。
それで、こんな事なら全体のを開いてみようと。我が7組が母体になって、合同同窓会、二期生会を作ったのです。二期生とは、中学の卒業が二期なんですね。新しい学校で、創立が分校だったのですよ。施設もちゃんと揃っていなかったので、先生方の苦労も大変だったようです。
体育館がなくて、入学式は屋上。生徒集会は砂埃が吹く校庭。卒業式は校庭の予定が、霙だったので教室。校長が卒業証書を持って、各教室を廻ったのです。渡り廊下を歩いてくる校長のモーニングの裾が風に吹かれていたことを何故か覚えています。こんな卒業式はやりたくても出きるものだではない。
それで、先生方も長い教員生活の中でも、我々の印象は強いようで、私たちの事をよく覚えてくれています。いつも多くの先生方にご出席いただいているのです。幸せなことです。
それで、何回目かは忘れてしまいましたが、昨日、横須賀プリンスで開催したのですね。2年に1度の開催なんです。そんなに何度もと思うのですが、その度に話は尽きないのです。
40代半ばというのは、いろいろな意味で忙しいし、働き盛りでもあます。でも、女性の中には子育てから手の放れた人も出てきて、初めての参加。と言うことも出てきました。嬉しいことです。
今年は行けなくても、再来年がある。一度会えなくても、4年間。もし4年に一度だと8年間会えなくなってしまうのですからね。開催する方は大変かといえば、やり方も慣れているし、2年に1度だと住所捜索もそんなにしなくても大丈夫で思ったより、いいんですね。住所の捜索が一番大変なんですね。
それに、幹事達がみんなに会えることを楽しみで準備しているので、苦労とは思っていないのです。みんなの楽しい顔が見られれればそれで満足なんですね。その幹事も、16人もいるのです。幹事会事態が同窓会みたいなものですね。
今回はいつもよりバタバタしましたね。歳を重ねてくるとわがまま度が増してくるのでしょうか。いろいろと振り回されてしまった会ですが、でもやっぱり、みんなに逢えて良かったなぁ。みんなが楽しんでくれてよかったなぁ。と思う私です。
そして、母体である7組の参加人数は、今回は他のクラスの倍でした。ひとクラスひとテーブルを目標と毎回しているのですが、今回はテーブル2つでした。本当に嬉しいです。珍しい人、初めて参加する人もいたのですが、たぶん、担任に会いたい。という気持ちが大きかったと思います。
私も担任だった先生の顔を見ることが、楽しみなのです。どんなことが有っても、いつも一番に会場にやってくるのです。それが、今回は受付が始まっても、姿が見えません。どうしたのかな。と思っていたら、他の先生から入院されてしまったことを聞きました。私は全身の力が抜けました。どうして、3週間前に電話で話をしたときは、元気そうだったのに。何があったの。不整脈が有るといっていたので、それでなの。命に別状はないの。まだ死ぬには早い歳よ。なんて思いました。
7組のメンバーも一同に心配顔です。だれしもが、どんな状態なのかを知りたかった。今は面会謝絶も取れて意識もしっかりしてきてリハビリが始まるようです。ああよかった。他のクラスの倍も集まったことを伝えたら、病気の回復も早いかなぁ。今回はみんなで撮った写真が有るから、それも送ってみよう。と、時間が過ぎていくと、私の気持ちも落ち着いてきました。
2次会の2時間もアッと言う間。20階の会場から景色を見る余裕もなく、話をして廻る。みんなの楽しそうな顔を見ていると、本当にこの会をやってよかったなぁ。次回もひとりでも多くの人が来てくれたらいいなぁ。と。
そして、私は初めて多くの人に自分がホームページを作っていることを伝えました。名刺を印刷して配ってきました。今までは、どうも気恥ずかしくて、ほとんど極々親しい人にしか教えていなかったのですね。やっぱり、夢を追うために会社も辞めたのだから、どんどんと宣伝をしなければと思ったのでした。
そして、11時過ぎに、また2年後に逢おうね。と別れたのでした。いつもより寒い夜。みんなは3次会にいったのだろうか。私は終電に乗って帰宅。一次会場では、食べたのに、さすがにこの時間になったらお腹が減った。
発芽玄米を作ってみました。これが可愛いのです。作り方は簡単です。でも、根気がいるのかな。いや、ずぼらな私でも出来るからいいと思う。
ファンケルの発芽玄米が出てきてから、随分たつし、テレビでも雑誌でもギャバギャバ。ギャバがいい。って。でも、ファンケル高いですよね。二度買ってみました。そのうちの一度は、あの入れ物が欲しくてサイトから オーダーしました。そしたら、サイトで発芽玄米の作り方を見つけたのです。そりゃ、何にでも興味津々の私ですから、当然のように挑戦しましたよ。
実は、6月にやすらぎの里へ断食に行ってから、便秘のためにご飯は玄米ご飯にしようと、玄米も買い、圧力鍋も買ったのですが、どうも手が進まない。2キロ買った玄米は一度炊いたきり、冷蔵庫の中で眠っていました。で、発芽玄米のことを知り、これ幸い、作ってみよう。と。
そして、毎日食べているご飯は、玄米じゃなくて、胚芽米にしました。抵抗無く食べられます。そして、先週からは7分づきのお米に変えましたが、これが炊いているときの匂いが香ばしくて嬉しくなっています。炊き方は普通のお米と同じです。食べても美味しいよ。
発芽玄米の作り方は、玄米を、バットかトレーなどの平たい入れ物に薄く敷いて、玄米がすっぽり埋まるくらいの水を入れます。そして、3〜5時間で水を換えます。夏場で2日半くらい、今ならば3日半くらいで、可愛い角が出てきます。この姿が愛おしいと感じる私は変な奴。
それをそのまま使ってもよし、白米に混ぜて使うのならば、新聞の上に広げて乾燥させて、小出しで使います。私は密閉容器に入れて冷蔵庫で保管しています。乾燥させてから炊いた方が、プリプリ感が出るような気がします。
混ぜる分量は好みですよね。2合のご飯で、私は半カップを発芽玄米まします、時に、1合の場合もあります。自分の好みにするのがいいですね。
食べると、発芽玄米だけが色が違うのですぐにわかりますが、プチプチして香ばしくて美味しいです。自分で作ったから余計に美味しく感じるのでしょうか。そのうちに、全発芽米で食べることになるかな。
注意点は、水の取り替え。どうしてこんな短い時間に取り替えるのだろうかと思っていたら、発芽するあたりになると、匂いがしてくるのですね。発酵したような臭いです。そのまま放っておくと、出来ても臭うし、炊いても臭うのです。頻繁に水を取り替えると、大丈夫です。夏は3時間ごとに取り替えて、今回は、4時間ごとにしてみました。夜は寝る前に、そして起きてからすぐ取り替えます。
夏場はそのままの温度でも大丈夫ですが、30度から37度くらいが発芽の適温のようです。35度のぬるま湯を入れて下さいと書いてありましたが、発芽に時間が掛かるだけで、絶対にその温度にしてやる。と言うことは無いです。
私もまだそんなに何度も作っていないので、これからもいろいろ試したいと思っていますが、稲にするときに、玄米をお湯で洗うことを知りました。殺菌や発芽を促進させる効果かもあるのだとか。今回は手が入れられるほどのお湯で洗ってから、やってみました。でも、ここ数日の気温の低さなので、どう違うのかは、わかりません。
とにかく、何でも自分の手に掛けると、愛しいし、美味しい。玄米はスーパーではなかなか売っていませんよね。私は「らでっしゅぼーや」を取っているので、前回はそこから買いましたが、昨日行った百貨店の地下。要するにデパ地下になるのでしょうか、そこではいろいろな種類の玄米を量り売りしていました。2キロ買わないと精米はしてくれないようでしたが、私はコシヒカリの減農薬を新米で1キロ買ってきました。今は、増量サービス中で200グラムもおまけされていました。ラッキー。
なんて、大げさの事では無いですが、私は自信でいろいろと実験しています。準備が出来たらどこかでちゃんとページを作りますね。
夏からお腹の実験をしています。私は便秘です。その事はあちらこちらに書いていますが、どうやったら快便になるか長い間いろいろやっているんです。でも、なかなか解決策は見付からないのです。
お腹にはアロエ、ヨーグルト、ビフィズス菌、食物繊維を実験しました。そして、ついに我が家にもカスピ海ヨーグルトがやって来ました。これから実験に入りますが、結果が楽しみでもあるけど、これでいい結果が出なかった場合は・・・考えると落ち込みます。
お肌は、何もつけないとどうなるのか。この時期になると、テレビでは美容液だ、モイスチャーだと、高い化粧品を宣伝していますね。そりゃ、高ければ効果はありますよね。高いに何の変化も無ければ、ユーザは怒りますよね。
会社に行かなくなってから、ほとんど化粧らしい物はしなくなりました。ファンデーションについては一度もつけてない。 一昨日から、乾燥注意報が出ています。さて、私の顔はどうなるのでしょう。
最近アトムの事が目に付くと思っていたら、来年の4月7日は手塚治虫先生が作ったアトムの誕生日だという。そういえば、小さい頃にそんな事を読んだような記憶がある。夢中になってアトムを見ていた頃が懐かしい。あの歩くときの、シュッポ、シュッポって音が好きだった。しかし、私にとって2003年なんて先の先のことだったので想像がつかなかったのだろう。
それが来年なんだ。なんか不思議だ。アトムの誕生日かぁ。未来の国からやって来た。って、そうか2003年って未来の国だったんだよなぁ。それが来年かぁ。
未来の国って、車が空を飛んだり、宇宙に自由に出入りが出来たり、宇宙に住んだり。そんなことを考えていたっけなぁ。夢があったなぁ。何でもかんでも出来てしまうのが未来だったように思う。それが21世紀だったように思う。
でも、今、これが昔に考えた未来の時間なんですよね。あふれるゴミ、深刻な産業廃棄物、二酸化炭素によるオゾン層の破壊、人間のモラルの低下、人間性の変化、不健康、etc。誰がこんな世界を想像していたのだろうか。誰が、人間が自分の手で自分の首を絞めることになると考えていただろうか。
ゴミに関しては、手塚先生もどこかで書かれていたように記憶しているが、どんな物語だったかは覚えていない。しかし、いま、鉄腕アトムを読み返せば、今でも通用する話が一杯出てきてびっくりすることだと思う。
宝塚の手塚治虫記念館に行ってからどのくらいがだっただろうか。7、8年ほどが過ぎている。アトムに久しぶりに出会った時の感動は忘れない。思わずキャラクターグッズを買い込んでしまった。今でも、アトムノートは私のパソコンノウハウの雑記帳となって私の手許にある。
その記念館も入場者が減っているという。来年そうそうには改装のために閉館して3月には新装の記念館になるというが、私があそこのアトムに出会えるのはいつだろう。
記念館と言えば、川崎に出来る手塚ワールドの話は、どうしたんだろう。出来たんだろうか。調べてみよう。と、思っていたら、今朝の新聞に「手塚ワールド 断念」となっていた。資金不足だという。規模を小さくして何かはやるようだが。
このワールドの構想が出来たのは5年ぐらい前だったから、あのころはまだテーマパークで人が呼べると考えていたんだろう。しかし、ここ数年のテーマパークの破綻、閉園。考えてみれば、出来たての数年は人が来るだろうが、それを持続させていくと言うことは莫大な資金が必要だろう。
リピーターがどれだけ来るかが、テーマパークの使命。それは難しいこと。私が行ったテーマパークでまた行きたいと思ったり、行ったのはディズニーランドだけ。あそこほどいろいろと変えているところは無いと思う。アトラクションを変えたり、新設したり、季節ごとのパレード、テーマ。そして、ゴミ一つない園内と、色あせや埃がないアトラクション施設。子供でも大人でも、その夢を壊さない運営にはいつも感心してしまう。これだけを維持して行くには、莫大なる資金が必要だけど、それだけかければゲストも沢山来る。いい循環になっているんですね。
この前行ったハウステンボスのアトラクションでは、ずいぶん前に行った人が、奨めてくれたアトラクションを見たが、聞いたことと同じ事をしていた。同じ話をもうずーっとやっているのか。次回来たときも、この話なのかなぁ。それを思うと行く気が無くなる。
と言うわけで、建設の断念は寂しいことだが、出来ても人が行かなくて、経営に困るくらいならば、規模を小さくして、細く長くアトムの夢を私たちに与えて欲しい。いい選択だったと思う。
1.博多 2.札幌 3.喜多方 4.和歌山 5.旭川 6.函館 7.熊本 8.尾道 9.横浜 10.荻窪だと、だいぶ前の日経のプラス1に載っていた食べたいラーメンのベスト10です。
ふむふむ、食べていないのは和歌山ラーメンかな。その地で食べていないのは、和歌山、函館、熊本ラーメン。こういうランキングに載ってくるものはほとんどクリアしているなぁ。私なんて自分で感心してしまう。
最近我が家の周りにはラーメン屋がニョキニョキと出来ている。磯子のどこだかがラーメン街道と呼ばれているらしいが、ここらも負けなくなりそうだ。家系ラーメンとは誰が名付けたかは知らないが、良くも言い表している。地獄ラーメン、ご当地ラーメン。さまざまであるが、時にだまされた味の店がある。そのうちに周辺のラーメン屋の紹介ページでも作ってみようかな。
しかし、ラーメンとは妙な物である。老若男女いつかは食べたいときが有るものでは無かろうか。ラーメンは大嫌いで見るのも嫌。と言う人には出会ったことがない。そりゃ、豚骨が嫌とか、味噌味が嫌い。ニンニクが嫌いって人はいるけど、何故かか食べたくなるラーメンには何が潜んでいるのだろうか。
麺にはかん水が潜んでいて、胃酸過多になりゲップが出る。スープは豚骨やちゃんとしたスープから作っている店の他に、だまくらかして、化学調味料を使っている店もある。背油ならまだしも、出来上がりのトッピングにラードの固まりをポトリと投げ入れられたラーメンには参った。これがウリなんだろうけど、これだけの脂を身体の中には入れたくないと、賢明によけるのだが、スープにどんどんと溶け流れていくのである。
食べた後に胸焼けや胃もたれに見まわれるラーメンも有る。二度と行きたくないと思うのだが、喉元過ぎるとまた行きたくなる。
どう考えても、身体に良くないラーメンが多いのに、どうして食べたくなるのだろうか。不思議だ。
そして、高校時代によく行った店がある。麺は細めでスープは東京系なのだろうか。とにかく美味しかったのである。横須賀に住んでいたときはよく行ったものだった。ずーっと美味しいと思っていて、しばらくそのあたりに行く機会が無くて、やっと数年前に行ったときにがっかりした。こんなにも塩辛かったのかと。それともこっちの舌が肥えてしまって美味しいと感じなくなってしまったのだろうかと思っていた。がっかりして帰ってきた。
先週、横須賀時代の仲間に聞いたところに寄ると、そこにいた人が一駅先に開業したという。そういうことか、あの味はその人がいなくなってしまったので、変わったと言うことか。妙に納得。横浜ウォーカーなどにも掲載されて、店の前はいつも待っている人がいるという。
それは、行きたいなぁ。思っていたらなんとそのチャンスは早くもやって来ました。今日その店の前を通ったので、早速行ってきました。いつもならば月曜日は定休日。しかし、今日は祭日なので営業。その上、祭日なのでいつもは3時から5時までは休憩らしいが、今日は休憩なし。5時少し前に行ったらすんなり入れた。ラッキー。
ラーメンはなんと350円。今時350円のラーメンには出会ったことがない。最低でも600円はするだろう。私はサンマーメン550円を頼む。餃子は半ぶんこ。いやぁー、懐かしい味だった。麺の細さといい、何ともいい味。これが私が高校時代に食べた味だわ。懐かしい。少し味が濃いめに感じるのは私が歳を取ったせいだと思う。
場所は京急YRP野比駅から海方向に進んで右側の「光楽」カウンターが6席かな、二人掛けのテーブルが一つに座敷が一つ。待つのが当たり前、そのままは入れればラッキーですね。
家の前の川沿いでは、桜が先週ごろから突然色づきはじめた。なんかいつもより早いなぁ。しかし、その先の公園の桜はほとんど色づいていない。川沿いは気温の温度差が有るのかなあ。
通年ならば鎌倉の紅葉を見ながら歩くのにいい時期が12月。ここらの紅葉も11月の末から12月。今年は紅葉が早いのだろうか。それならば、今月の中旬に鎌倉を歩かないと。
10月の気温の差は一年の内で一番大きいものだと思っていたけど、今年は特にそうなのかも知れない。この10日間くらいの気温の差は体感でもずいぶん違う。去年より寒さが駆け足でやって来たような気がする。半袖で歩いていたのが、突然マフラーやジャケット姿の人が目に付くようになりましたねぇ。
体感温度と言えば、マフラー、手袋、ダウンジャケットを着込んでいる人もいるんですね。確かに11月はもう冬かも知れないけど、半袖の上にGジャンの私とは、ひと季節違うように感じる。もっと寒くなったら何を着るんだろうか。
気になったので、気温を調べてみました。こんな時は、ホームーページって便利ですね。
10月2日の最高気温が28度。10月26日が14.8度。なんと14度も違うのですね。
最低気温が10月2日で20.9度 10月30日が8.9度。これも12度近いですね。
寒いと思いましたよ。朝は吐く息が白かったように思う。
15日の最高気温が25.5度で、22日の最高気温が20.8度。一週間で5度の差。
このあたりで紅葉が始まったような気がする。
22日の最低気温は12.4度。やっぱり紅葉は15度を切ると始まるのだろうか。
ちなみに、去年は最高気温の26.9度と16.1度 最低気温も18.9度と10.8度
今年の方が落差が大きい。
それに、最高気温が10度台になり始めたのが、去年は11月に入ってから、今年はも28日から毎日。その前も何日も有るのです。やっぱり、今年は紅葉は早いのかも。そして、これだけ気温の差があると言うことは、きれいなのかも知れない。今年の紅葉に期待しよう。
ああ、まさかの4連敗だった。こんなに西武ってつきが無いチームだったのかな。と言う感想。あっけない日本シリーズだったなぁ。しかし、こんな寒い夜に外でビールかけは大変だろう。今までは、ホテルやどこかの室内だったけど、ここ数年は外になったのは、やっぱり世の中不景気で、ビールかけの後処理料が大変なのだろうか。
日本シリーズを見ていたら、私は西武ライオンズのファンだったことを思い出した。森監督、伊東、渡辺久信、清原、工藤、秋山、清家。あら他のメンバーの名前を忘れてしまいました。でも、そんな時代の西武です。底抜けに明るい人たちの集まりだったように思う。どうも巨人は暗くていけない。と思っていたら、こんなチームが有ったのかと、これならプロ野球もおもしろいかも知れないと思ったのでした。
我が実家は大の巨人ファンでパシフィックリーグの試合など見たことが無かったのですね。巨人のゲームではどうもプロ野球は好きになれなかった私でした。だいたいが動きが怠惰すぎる。で、中学の頃まではプロ野球には見向きもせず、高校野球のさわやかさ、機敏さに惚れ込んでいたのです。それにしても、あんなに機敏なのがどうしてプロに行くと怠惰になるのだろうか。
オールスターでも、日本シリーズでもパリーグが絶対に強いんだ。と思って見ていましたね。でも、悲しいことにテレビ中継は数少ないし、有っても時間切れの放送ばかり。こっちの方がおもしろい試合なのになぁ。と。で、ますますプロ野球ニュースのファンになりました。
しかし、それもいつの間にか、フリーエージェントせいだか、なんだかで、移籍が多くなり、選手の顔と球団が一致しなくなってきた。シリーズが始まると、あらどうしたのかしら。と言う人ばかり。ねこの目のようにメンバーが変わっていく。なんだかそれについていけなくなってしまった。
秋本も清原も、工藤もユニフォームを変えてしまった。清原が巨人との初めての日本シリーズの時に流した涙は私は忘れられない。あの涙を見て私も泣いてしまった。しかし、どうして、みんな巨人に行きたいのだろうか。巨人に行くと何がいいのだろうか。やっぱり引退後のことを考えてだろうか。
そして、今期、秋山はユニフォームを脱いだ。脱いだと言えば、ビュンビュン丸の池山も好きだったなぁ。
しかし、巨人に行ってからの工藤と清原の体型はどうしたものか。巨人に行くと精彩に欠けるように思うのは私だけだろうか。清原もあのまま西武にいたら何かの冠が取れたのではないだろうかと思う。
昨日は九州場所の番付が出たらしいが、相撲もここ数年見なくなったなぁ。寺尾が引退してしまったから、ますます見なくなるだろうなぁ。
そういえば、野球を見ていた頃は相撲も見ていたのだろうか。双子山親方が貴の花だった頃で、千代の富士、北天祐、北尾、寺尾、高見山。このころからよく見ていて、若貴時代もよく見てましたね。毎回大相撲ダイジェスト欠かさず見ていた。武蔵丸が上がってきた頃から、見なくなったのだろうか。
野球も相撲も見なくなったのは、ただ私が世間の波に乗れていないって事なんだろうか。スポーツの世界もサイクルが早くなって私の頭がついていかないのか。
もう何年もプロ野球の試合を見ていない。8年ほど前までは、なにげなく見ていたし、選手も知っていた。プロ野球ニュースも大好きだった、あら、あの放送が無くなってから見なくなったのかしら。いや、そうじゃないなぁ。
久しぶりに、日本シリーズの試合を端折りながら見てる。しかし、私の頭の中にある日本シリーズの試合は今テレビで放送している野球風景とはまったく違う。今の風景はペナント試合もしくはオールスターかと思ってしまう。
日本シリーズは晩秋の午後の日射しの中で、時に西日がまぶしかったり、時に日が落ちた球場の日陰が妙に寒そうに写ったり。終盤では投手の影がマウンドに長く長く伸びていく。延長になるとライトが点灯され、その昼と夜の間の時間が何とも言えない。西日で黄金色に染まった画面を見ているとこれで今期の野球も終わるんだなぁ。と言う哀愁さえも感じる。それが私の日本シリーズ。
いつから、こんな寒い時間にストーブをつけながらやるようになったんだろう。私が野球を見なくなったのとはこのせいなのだろうか。
確かに、平日の昼間に試合をしても観客、売り上げ、視聴率、何を取り上げても、ナイターとはかけ離れた数字が出てくるのだろう。今は、ドーム球場だし、天候も関係ないし。平日も週末も余り関係ないのだろう。ナイターならば観客動員数も違うだろうなぁ。お弁当も飲み物も沢山売れることだろう。一試合の売り上げというのはすごい物らしい。しかし、ドームというのは暖房も効くのだろうか。これで毎年7戦やってもらえば、言うことなし。何だろうなぁ。球団。
今日で、巨人の王手。さて、明日はどうなるのだろうか。過去に3連勝4連敗って試合もずいぶんあったなぁ。4試合で終わってしまったのは、どのくらい有ったのだろうか。勝ち負けの事もあるけど、売り上げのことも気がもめるのだろうなぁ。優勝バーゲンだって曜日で売り上げが違うんだろうなぁ。といろいろ考えてしまうから、試合をおもしろく感じないのかな。私。
伊豆山に仲間で一泊旅行に行ってきました。翌日の昼は仲間の1人がネットで探してきたピザとパスタの店。ここはそのページをプリントアウトするとピザを一枚サービスしてくれると言う。それではそこにしましょうと、熱海駅からブラブラとおみやげを買いながら、その店にたどり着きました。
銀座商店街から一つ脇に入ったところにその店は有り、私が看板を見つけました。二階から袖看板も掛かっていましたが、その看板と同じ位置に洗濯物が干されていて、なにやら妙な生活感。なんで店の表に洗濯物なんだろう。ここは駅前食堂じゃなくて、イタメシ屋なのになぁ。と、私は密かに思っていました。とにかくたどり着いたので、みんなで入ることにしました。店は、テーブルが5脚でカウンターに椅子が5つ。その一つに女の子が座っていました。
パスタ、ドリアなどを5人であれやこれやとやっている間に、早くもサービスのピザのマルガリータは出てきました。その女の子は私たちの注文を聞いている女性に向かって、かあさん、かあさん。と呼びかけて何かを訴えていました。あら、ここの店の子なのね。と最初は気にならなかったのが、母親が仕事をしているためにすぐにそこへ行かなかったせいか、その子が泣き出したのです。1人の男性、おじいちゃんらしき人がその子のそばに行ったのだが、違う。かあさん。と言う。そして、なんと生まれて間もないあかちゃんの鳴き声も聞こえてきたのです。振り返ってみると、乳母車が厨房の前に置いてありました。
女の子は母親を呼び続け、そして母親はどんな態度をするのかと見ていたら、ちょっと待っててね。としか言わない。女の子は本格的に泣き出した。子供が泣くことで、お客さんに迷惑が掛かるというそぶりはまったく感じられない。そして、母親はその子を抱いて、カウンターの中で飲み物を作り出した。
私としては、どうも納得が行かない。家族でやっていて、子供の面倒を見ながら注文取りの仕事をしなければならない家庭的な事情はわかるとしても、店に出しておく以上は、もう少し言い聞かせてもいいのではないか。子供がぎゃーぎゃーと泣いている中で、パスタやピザを食べるお客の気持ちを考えたことが有るのだろうか。ただ、食べられればいいのではなく、その雰囲気の中で食べる価値も有ると思うのです。
店に座らせて、アイドル的な存在になれば、それは店のイメージアップ。しかし・・・
次に入ってきた、女性の団体さんは11人で突然に店の中は大忙し。母親も水だし、注文取りと大忙し。子供はどうもそれが気にくわないらしい。もしかしたら、いつもはあの椅子に座って母親に遊んでもらっている時間が長いのだろうか。この今の混雑ぶりは珍しいのだろうか。団体客は年輩の女性達でなかには、おかあさんは仕事中だらか少し待っててね。と子供に言っている人もいる。私もそう思った。その若い母親がその一言は言うべきだと思った。そして、その団体客の1人は乳母車を揺すっていた。
旅行客を相手にする店であり、ネットで紹介している店。せっかく美味しいピザもパスタもおいしさが半減したと感じたのは私だけではなかった。いち早くあの洗濯物を見たものが仲間にはいた。やっぱりあれは良くないよねぇ。あれを見たときに一抹の不安はあったのよねぇ。と、こんな事は気にならない人はならないのだろうが、私はどうも気になる。気になる私が普通じゃ無いのかなぁ。サービス業って何なんでしょう。
だから、ピザがサービスなのか。だから、ランチはパスタと一緒に飲み物を頼むと、バケット、サラダとデザートが無料で付いてくるのか。でも、どうしても納得が行かない私でした。まぁ次回は無いのだからいいのか。
会社を辞めたらここに書く時間も増えると思っていたのに、逆になっています。なにやらバタバタと時間が過ぎていきます。本当は時間が沢山あるはずなのに、いろいろなことに手を出すので、時間が無くなるのですね。
会社に行くことは習慣であり、平日は同じ時間に起きて、同じ時間に家を出る。家に帰ってきてからも、ほとんど毎日同じように時間が流れていき、パソコンに向かう時間も、向かってからの流れも同じであり、ここに書くことも習慣づけされていたのです。
それが、家にいると時間の使い方がなかなか習慣にならない。今月に入ってから、家にいる時間はやっと増えてきたのだが、気付くと夕方になっている。一日何をしていたのだろうか。毎日何かをしているのだが、その何かが思いのほか時間が掛かったりする。
こんにゃく湿布を毎日したほうがいいと、8月の最初の頃に数日したまま、暖められてちびたこんにゃくは冷蔵庫の何かの入ったまま。家にいるようになったら、中国茶を楽しもうと思っていたのに、そんなに優雅に過ごす時間がない。はがき絵も、パッチワークも、ぺーじ作りもやりたいことは沢山あるのに、何故か時間がない。時間が有るはずなのに時間に追われて過ごしているように思う。どうして時間に追われる気がするのだろうか。自分ながら不思議である。時間の使い方がまだ慣れていないのでしょうね。
天気が良ければ洗濯だ。掃除だ。とやっているうちに家の中のいろいろにところが気になってきて、片づけをはじめたりする。そして、その片づけが一向に進まないのである。気付けば夕方で、あら、今日も湿布をしなかったなぁ。朝の体操、夜の簡単な矯正体操。お腹に良い体操。毎日やっているつもりでも、まだ3日目。そして、やらなくなるとアッと言う間に10日が過ぎている。ここにも書かなければ、と思いながら20日が過ぎた。過ぎた時間は短いが、毎日書いていると長い。いつになったら習慣尽くのだろうか。いろいろな事を習慣づけるには大変です。